シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人達

 
 
 一般に、キャッチボールは相手がボールをキャッチしやすいように、相手をよく見て狙ってボールを投げ合うものだ。高すぎるボールや左右に逸れすぎたボールを投げ合っているようでは、キャッチボールはキャッチボールとして成立しない。
 
 同じことは、心のキャッチボールについても言える。労りの言葉をかけるのであれ、励ましの言葉をかけるのであれ、今の相手の状況や心情を出来るだけ踏まえながら、相手が受け取りやすいよう配慮しなければ、かえって相手をうんざりさせてしまうかもしれない。
 
 
  痛いニュース(ノ∀`) : 「風邪で寝込んだ時の彼女のお見舞いがカツ丼」で結婚を断念した男 - ライブドアブログ
 
 そういう意味では、上記リンク先の「風邪で寝込んだ時の彼女のお見舞いがカツ丼」というのは、心のキャッチボールとしては相手の状況や心情をろくに踏まえない拙いやり方であり、目を瞑ったまま心のキャッチボールをしているに限りなく近い。
 
 もちろん、世の中には風邪で寝込んでいる時にもカツ丼をモリモリ食べられる男性もいないことはないだろう。しかし現に結婚する気が失せていることが示しているように、少なくともこの男性にとっては“風邪で寝込んでいる時のカツ丼は、彼にとってはありえない選択”だったわけだ。キャッチボールに喩えるなら、これは、病み上がりの小学生の顔面に向かって剛速球を投げつけるような、やばすぎるチョイスと言わざるを得ない。
 
 どうしても差し入れたくなるような絶品のカツ丼だったんだとしても、事前にメールか何かで「風邪のお見舞いっぽくないけど、今日、すっごいカツ丼みつけたんだ。差し入れていい?」ぐらい聴いておけば良かったのだ。“見舞われる側の状況や心情を出来るだけ踏まえる”という、心のキャッチボールの基本さえ弁えていれば、こんな悲喜劇がそうそう起こるとは思えない*1。もし、このまま彼らが結婚し、風邪で胃腸が弱っている夫にカツ丼を差し入れる妻と、月経で寝込んでいたい妻に気分転換の外出を勧める夫が共同生活を始めたら?心のキャッチボールは、そのうち心の雪合戦へと変わってしまうんじゃないだろうか。
 
 
 ところで、こういう「目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人物」は、意外とどこにでもいて、遭遇確率はけして低くはない。婚活の最中に遭遇しただけなら、さっさと諦めて、もっと意気投合しやすそうな相手を探せば良いが、どうしても避けて通れない立場の人間が「目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人物」であることもある。
 
 例えば職場の上司が「目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人物」だった場合、ありがた迷惑な“かわいがり”の数々に曝されるかもしれない。お前のための特訓と称して限界以上の仕事を与えられたり、タバコを吸わないのに灰皿をプレゼントされたり、行きたくもないキャバクラに連れていかれて「どうだ楽しいだろう」と言われちゃったりするかもしれない
 
 あるいは、母親が「目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人物」だったらどうなるか?お前の将来のためと称してヘンな稽古を強制されたり、お腹がいっぱいなのに無理矢理デザートを食べさせられたり、眠くて仕方が無い時に「ほらほら面白いテレビやってるわよ視なさい!」と起こされたり……心にプロテクターをつけたくなってしまいそうである。
 
 

善意に由来していようとも、顔面に速球を投げられ続けてはたまらない

 
 幸か不幸か、この手の「目を瞑ったままの心のキャッチボールをしようとする人物」による大暴投のほとんどは、悪意によるものではなく、それなりに善意に由来している。確かに彼らはノーコンには違いないが、励ましたいとか力になりたいという気持ち自体は本物のことが多く、力の限り、善意に由来したアウトプットを紡ぎ出している。
 
 とはいえ、いくら善意に基づいていようとも、キャッチしにくいボールや危ないボールばかり投げつけられるようでは、気持ちの良いキャッチボールなんて不可能に近いし、そのうち身体じゅう痣だらけになってしまうのがオチである。もちろん、「目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人物」は、あなたの顔面にボールがヒットして鼻血を出していたとしても、目を瞑っているのでそのことに気付かないだろう。それどころか、心のキャッチボールを遂に諦めたあなたに対して、「私がこんなに頑張って助けてあげているのに、何よこの恩知らず!!」とプリプリ怒り始めるかもしれない。なまじ善意に基づいている分だけ、対処に苦慮することもある。
 
 実際のキャッチボールも心のキャッチボールも、相手の状況やニーズをよくみきわめて、ちゃんと狙ってボールを投げなければ、お互いに気持ち良く楽しめないばかりか、嫌な思いや痛い思いをさせてしまうかもしれない;そういうことを殆ど弁えず、最も親密な人間関係のなかでも目を瞑ったまま心のキャッチボールをやってしまうような人が、あなたの周辺にも潜んでいないだろうか。
 

*1:もっと言うなら、これがレアで不可避なアクシデントだったとしても、事後にフォローを入れて心のキャッチボールを再開するチャンスは幾らでもあった筈なのだ。たぶん、この女性はそのフォローもやっていないのでは?