シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「普通の子」はどこに?

 
 
 「あの化粧品店の店員さん、とっても丁寧で最高。私のことを理解してくれたわ。」
 
 「最近の中学生って最低よね。マナーも常識も知らないし勉強も出来ていない。」
 
 「2ちゃんねらーは、何も考えないで人の悪口ばかり言っている根暗なオタク集団」
 
 
 ゆうべ、「良い子、悪い子、普通の子」という1980年代のコメディ番組をみているという夢をみた*1。随分懐かしい夢だった。当時の私は、良い子と悪い子と普通の子のギャップを楽しみながらこの番組をみていたと思う。良い子、悪い子、普通の子。この対比のつけ方が面白くて、事実、かなりの視聴率を稼いでいたと記憶している。
 
 あれから二十年以上経った。じゃあ同じ番組をやれるのかと今考えてみると、実はとても難しいことに気づく。「良い子」は思いつく。「悪い子」も思いつく。では、「普通の子」は?「普通の子」って何だ?普通の先生、普通のOL、普通の奥様にしたってそうだ。良い先生、良いOL、良い奥様というのは思いつけるかもしれない。極悪教師や酷いOLや鬼妻というのも想像しやすい。しかし普通の先生、普通のOL、普通の奥様というものを描写して、コメディのキャラクターとして仕上げることは出来るんだろうか。そして沢山の人に「あるあるー」と言ってもらえるだろうか。
 
 
 

「ふつう」って、何なんだろう?

 普通の先生、普通のOL、普通の中学生etc...。想像しようと思った時、意外なほど想像がきかないことに気づいた。情報不足の相手を、情報不足の故に「普通」と呼ぶのではなく、幾つかの特徴を見知ったうえで「普通の○○ってこんなものだよね」と挙げるのは、結構困難になっているのではないか。余程自分が詳しく知っている領域*2でも無い限り、「普通」といえる対象像を挙げてみることは難しい。例えば普通の女子中学生って何なんだ。普通の2ちゃんねらーって何なんだ。普通のファミレス店員って何なんだ。これらに対して、「普通」のビジョンが浮かんでこない。
 
 代わりに、「良い○○」「悪い○○」ならば想像するのは容易い。オタクであれ、IT技術者であれ、はてなブックマーカー(笑)であれ、自分が良いと思うイメージを幾つか列挙して「良い○○」とすることも、逆に自分が悪いと思うイメージを列挙して「悪い○○」とすることも、容易い。例えば、「良い2ちゃんねらー」と言った時に、電車男や浜辺ゴミ拾いのような“いい話”を挙げたり、きちんと質問に答えるスレッドの住民を挙げたりすることは容易だし、逆に「悪い2ちゃんねらー」と言った時に、自作自演やネットイナゴなどを挙げることも容易だ。じゃあ、「普通の2ちゃんねらー」というのは何なんだろうか。「普通のはてなブックマーカー」「普通のオタク」「普通のOL」...この辺りも、出てこない。「普通」の空白。「普通」の不在。いや、統計的には平均値・中央値というやつがあるので、統計的には「普通の○○」は間違いなく存在する。でも、イメージが想像できない。思いつくのは、「良い」「悪い」の両極端なイメージばかりだ。中間を想像しようとしても、もやがかかったような、なんとも曖昧なものしか想像できない。今、欽ちゃんが「良い子」「悪い子」「普通の子」とやってみたら、普通の子は透明人間のようなものになってしまうんだろうか。
 
 

「普通」をイメージすることの困難さ

 
 「普通の○○」をイメージしようと思ったら、意外なほど困難だったのは何故か。まず、極単純に、それらの事を僕がよく知らないから、というのはあるかもしれない。情報不足過ぎて、「このぐらいが普通」という相場が分からないのだ。一方で、ニュースやメディアを通して「セレブな○○」「素晴らしき○○」「史上最低の○○」「犯罪を犯した○○」については沢山の情報が耳に入ってくる。例えば実物の女子中学生やアニオタとコミュニケーションをとっていなくても、メディア先行の形で、極端にbestまたはworstな女子中学生やアニオタについての情報を、私達は獲得することが出来る。だが、大はテレビメディアから小は2chのスレッドまで、メディアは、普通の○○については意外と多くを語ってくれない*3。「良い○○」「悪い○○」についての情報は幾らでも流通し、それを元に「良い○○」「悪い○○」のイメージを膨張させることばかりが容易になっていく。いや、メディアだけに責があるわけでもなく、ディスプレイにかじりつく僕らの側も僕らの側で、自分が余程詳しく関わる領域でもない限りは、普通の○○についての情報よりも、best/worstな情報を選好して、娯楽として消費することに飢えてしまってもいる。そうこうしているうちに、「普通の中学生」「普通の団塊世代婦人」「普通のIT技術者」がイメージできないことにさほど疑問を感じることもないまま、日常を過ごしてしまっている。
 
 尤も、色々なジャンルの「普通の○○」を確かめる為にじかにコミュニケーションして回る余裕などありはしないのだ。沢山のIT技術者と頻繁に話し合うのも、沢山のアニオタと何日も語り合ってみることも、沢山の学校教諭と議論してみることも、それが趣味や仕事でもない限りは、コスト的には割りに会わない作業になってしまう。だから、“普通の○○”を突き詰めてみたいと思うよりも、メディアが流布する「良い○○」「悪い○○」のイメージだけを消費していたほうが、ずっと気楽であったりはするし、実質、そうするしかない。多種多様な職種・人種・年代の人達に対して、「良いイメージ」「悪いイメージ」ばかりを膨らませがちな僕達にとって、今、「普通」というのは何なのだろうか。また、「普通」を欠落させたまま、「良いイメージ」「悪いイメージ」をガンガン先行させたままコミュニケーションを繰り返す僕らのコミュニケーションというのは何なのだろうか。欽ちゃんに聞いても、これは答えて貰えないのだろうなぁ…欽ちゃんは「普通」が未だ想像できた時代の人だから。
 

*1:参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%BD%E3%83%89%E3%83%B3!

*2:例えば特定の趣味領域の人々や、自分が就労している職種の人々、など

*3:自分からドキュメンタリ番組でも探しにかかれば得ることは出来るかもしれないが、そういった能動的なアプローチが無い限りは、なかなか語ってもらえない