シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

新橋駅で降りた男と、有楽町駅で降りた女

 
 まだ夏の気配の残る頃、品川プリンスホテルで開催された某社の新薬説明会に出席した帰りの京浜東北線の車内で遭遇した出来事が、何故か忘れられず印象に残っていたので書き留めておく。
 
 
 休日の午後四時前後の列車内は混雑しているわけでもなく、小さな声でお喋りをしても十分に聴こえる程度の状況だった。子どものはしゃぎまわる声や、買い物帰りの女子大生とおぼしき人達の声などが私の耳にも入ってきて、新薬説明会の月並みな売り文句に辟易していた私を気分転換させてくれた。だが、列車内のどこかから、妙な熱気を帯びた男の声が聞こえてくる事に気づくと、そのような爽快感はどこかに飛んでいってしまい、私はその声に釘付けにならずにはいられなかった。
 
 声の方向には一組の不釣合いなカップルが着席していた。男は三十歳から四十歳ぐらいだろうか。思想系のものとおぼしき雑誌を左手に持った彼は、まさにケミカルウォッシュとしか表現のしようのない不自然な色あせ方をしたブルージーンズとくたびれたジャンパーを身にまとい、白髪混じりのもじゃもじゃした頭髪は脂ぎっていた。今では特別天然記念物に指定されそうな、レンズの大きな黒ぶち眼鏡をかけた彼こそが、妙な熱気を帯びた声の発信源だったわけだ。対する女は二十五歳前後だろうか。知的で柔らかな印象を与える上品なコーディネイトではあっても、カーディガンなりバッグなりの端々に色気のシグナルを配置することを怠らないような、そういう油断ならない女のようにみえた。
 
 “だから、福祉の問題とか教育の問題とかを解決するには、どんどん運動していく必要があると思うんですよ、僕は。”
 
 男の熱気には明らかにある種の情念が籠もっていて、今にも声が裏返ってしまいそうだったが、かろうじて抑制している様子だった。身振りを交えながら、女に対して“運動”だの“社会問題”だのを語り続ける彼をそうまで吹き上がらせる駆動力の正体は既に明白ではあったものの、女のほうは彼の場違いな演説に対して、アイコンタクトを交えた頷きを丁寧に返していた。そして男というと、頷きはあって当然とでもいわんばかりのような調子で、滔々と自説を京浜東北線の車内に垂れ流し続けるのであった。私以外にも何人かの乗客が、こっそりと彼らに注意を向けていることに私は気づいていたし、どうやら女自身も気づいている様子だったが、“大事な話をしている”男だけは周りの空気が読めていないようだった。
 
 ややあって新橋駅に到着すると、男は満面の笑みを浮かべながら下車し、女もそれに手を振って応えていた。プラットホームを歩く彼の背中は随分と浮ついてはいたが、転倒することなく階段に吸い込まれていったようだ。彼が何を夢想しながら歩いているのか、女には手に取るように視えたことだろう。三十、四十にもなって思想を語り(それも京浜東北線の車内で思想を語り!)、千鳥足でプラットホームを歩くあの男は、この美しくも計算高い女にはどのようにうつっているのだろうか。それを確認するべく、私は女のほうに視線を向けた。
 
 ああ、予想通りの表情が待っていた!肩で大きなため息をつく彼女の顔面からは、露骨な嫌悪感と侮蔑感を読み取ることが出来たし、彼女の唇の右端は、先ほどの清楚なイメージを覆す程度には釣り上がっていた。たぶん彼女は全部お見通しなのだろう。自分の態度が彼に与える効果も、彼の心の隙間も、彼のような男のあしらい方も、全部分かったうえで、何か合目的で冷徹な計算をしたうえで、わざわざお付き合いしてあげていたのだろう。あんな貧相な男を一人相撲をさせることに一体どんなメリットがあるのかは分からないが、少なくともロマンスに導かれて彼女が男の相手をしているわけでない事だけは間違いあるまい。時代錯誤の御高説にも、男自身の煤け具合にも、彼女の値打ちに見合うものなど何一つないのだから。
 
 しかし男に対する侮蔑と優越感・面倒くさいお芝居から解放された開放感の混合物は、有楽町駅に着く頃には女の顔面からは消え去り、彼女はもとの澄まし顔を完全に取り戻して有楽町駅で下車していった。さっきまでの男の熱気も女の渋面も嘘のように消え去った後、京浜東北線の車内はごく普通の空気を取り戻した。