シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

強い女と弱い男の共依存

 
 共依存、という言葉がある。
 
 これまで多く語られてきた共依存は、[DVや浮気やアルコール依存を繰り返す暴君的男性と、彼のことを酷い酷いと言いつつも、結局は何年も何年もくっつき続ける女]、という男女だった。この手の共依存は、男性側の性格に問題があるのは言うまでも無いとして、そのような男性側に(少なくとも初期の段階では)惹かれ、くっつき、離れることの出来ない女性側にも、性格上の偏りがみられる、ということは意外と知られていない。
 
 実際、第三者の介入によってドンファンや暴君のような男性から解放された女性が、以前と全く同じタイプの暴君男性と再婚して、それで元の木阿弥というのは決して珍しくない。再婚しない場合も、息子との親子関係のなかで、かつてのDV的・主従的関係をそのまま再現してしまう事例もみかける。ドンファン男や暴君男にくっついて離れられず、よしんば離れたとしても、同じタイプの人間関係なりを再現せずにはいられない彼女達。こうした女性達のメンタリティも、それなりに特徴的だと言わざるを得ない。
 
 
 さて、“はてな匿名ダイアリー”で以下のようなテキストを発見した。
 恋とかいう得体の知れないものの理不尽さと切なさと哀しさを久しぶりに味わった
 
 
 これって、性別は逆だけど、まさに共依存じゃないか?
 
 従来のよくあった共依存と男女が反対で、「ドンファンのような女にいいように扱われ、嫌だ嫌だと嘆いているけれど離れられない奴隷男」といったところだろうか。
 
 共依存だとすれば、よほど注意しない限り、このままの関係が続くだろう。記事を書いた男性は、おそらく、見捨てられ不安やら未練やらが山盛りで、この女性から縁を切ることが難しい、と推定する。それどころか、「本来は理性的な彼女を、俺が何とかしないと…」などとさえ思ってさえいるかもしれない。
 
 世間の大半の人であれば、そんなに嫌なら、愛想を尽かしてさっさと縁を切って他の女性を探すか、そこまでいかなくても、今後の二者関係に軌道修正をかけていこうと企てるだろう。しかし、彼はそういったことを考えず、「抱かせてくれと思うのは、人間性の無視だろうか」などと悶々としているのである*1。ハマっている! 

 むしろ視点を変えるなら、彼女をここまで奔放なドンファン女たらしめているのは、彼女自身だけのせいではなく、傅く側の男性にも責があるとさえ言えるだろう。共依存が安定状態になっていればこそ、ドンファン女の側としては男漁りな適応が成立するというものである。「焼酎呑んでめざしを齧る」というエサさえ出せば、不平不満たらたらでも後方基地として機能してくれる男性がいればこそ、彼女の現状のドンファン的社会適応が成立しているわけで、後方基地を失ってしまうなら、彼女の振る舞いは自ずと異なったものにならざるを得ない筈なのだから。
 
 共依存は、一人では成立しないもので、おあつらえ向きの相手と、お互いに束縛しあって成立するもの。なので、もし、匿名ダイアリーの筆者が、このドンファン的女性の男癖をどうにかしたいと本心から願っているなら、今のままの共依存的な関係を続けるわけにはいかないだろう。関係を軌道修正するか、ご破算にするためのアクションが求められる。そうしなければ、日一日と共依存的関係は強化され、深化され、抜き差しならない境地に到達してしまうかもしれない。
 
 シンプルなのは、この女性と縁を切ってしまうことだろう。まあ、言われてハイわかりましたと縁が切れるぐらいでは共依存とはいえないので、簡単には縁を切れまい。また、たとえ縁を切ったとしても、男性側の性格傾向が今のままだとしたら、いずれ同じタイプの女性に引っかかって、同じ主従関係を繰り返すだけだろう。彼自身が変化しない限り、この地獄は何度でもやってくる
 
 では、縁を切らずに軌道修正するのはどうか?これがまた難しい。共依存において、奴隷側が三行半を切り出した時の、暴君側の対処の巧さはハンパない。「もうしません。二度としません。」「心を入れ替えて何とかします」と這い蹲ってみたり、急に優しくなってみたり、なだめて、すかして、今までの主従関係を維持しようとする。そして私の見知っている限りでは、非常に高確率で、奴隷側が折れる格好で、元の共依存関係に戻ってしまう。共依存を続けたいという気持ちが、暴君側だけでなく奴隷側にもどこか残っている限り、このループに終わりが来ることは無い
 
 

女性の側の問題よりも、自分自身の問題を

 
 この事例に限らず、およそ共依存といえるものは、暴君側のメンタリティだけを論議していても始まるものではない。暴君側に惹かれてしまう・縁を切れずにつながり続けてしまう奴隷側のメンタリティにも着眼光せざるを得ないものだし、それが解決しない限りは、“ご主人様が何回入れ替わっても”奴隷は奴隷のままで、同じような男女関係・人間関係があちこちで再現されることになるだろう。
 
 人生がまだまだ長いとしたら、赤の他人のドンファン女をどうにかしようと思うより、死ぬまで必ずついてまわる自分自身の性格的特徴や、共依存に至りやすい傾向をこそ、どうにかしようと考えたほうが建設的だろう。少なくとも私なら、そう考える。

*1:逆だろう?相手の女性と、自分自身の人間性を無視しているのは、この男性自身だ。相手が人間性を思うなら、二者関係に違反することには毅然とした態度を取らずにどうするのか?そして自分自身のことを人間だと思うなら、自分の感情やこの怒りを抑圧するばかりの状況を、どうして許していられるのか?