シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない

 
 国や地方自治体の政策を「時代遅れ」「老害」「年寄りの顔色ばかり窺っている」と呼ぶ人をネット界隈では大勢みかける。2chでもブログ界隈でもmixiでも、「政治家と官僚は若年〜壮年世代の未来を食いつぶすつもりか?」「時代に追随出来ない、ぼけた政策を改めろ」などなど、批判的な事を書いている人はどこにでも転がっていて、若年世代の鬱憤のようなものを感じずにはいられない。
 
 彼らの批判をよく観察してみると、時折、“民主主義”という語句を用いて為政者批判を行っている人もいる。しかし民主主義における為政者・被選挙者というものは有権者の意見を汲み取って政策に反映させる筈のものなわけで、だとしたら現在の日本の政治状況は必ずしも民主主義の理念に反してはいないように思える。現状においては、「高齢者のほうを向いた政策傾向」を為政者が持っていたとしても、あんまり文句が言いづらいんじゃないだろうか。そこら辺についてちょっとだけ書いてみる。
 

有権者とは誰なのか?為政者は誰の顔色を窺っているのか?

 
 そもそも有権者とは誰のことで、為政者は誰の顔色を窺いながら政をやっているのだろうか?有権者とは、投票する人である。そして選挙においては、投票した人である。そこら辺をちょっと考えれば、若年世代の意見が相対的に軽視されやすく、為政者の声が老年世代重視の、年寄りにも咀嚼しやすい内容になるのが当然だという結論に達せざるを得ない。以下に、2003年の第43回衆議院議員選挙の際に、年代別有権者数と投票数を示してみる(引用:財団法人明るい選挙推進委員会、http://www.akaruisenkyo.or.jp/various/09/index.html)
 

 
 ご覧の通り、有権者人口だけを比較するなら、20代〜40代と50代〜70代の人数はそれほど大きく違わない。しかし投票率が大きく違うせいで、(被投票者からの)見かけ上、有権者の声の大きさは老年世代のほうが大きなものになる。私の記憶する限り、この傾向は第43回衆議院議員選挙の時に限らず、大抵の国政・地方選挙についてもみられた筈だ。比較として20代〜40代と50代〜70代の投票数・有権者数を表にすると、
 

世代 実際の投票数 本来の有権者数
20代〜40代 69256 137677
50代〜70代 104249 140548

 
 投票所で観測される見かけ上の声の大きさは、世代間で区切るとこんなにも違っている。今回は除外しているものの、80代の投票数を加えればもうちょっと年寄りの声は大きくなる。この数をみる限り、若い世代の声は老年世代の声よりも三割ばかり軽視されても不思議ではない。というか、民意の反映という点ではそれぐらいが適切なぐらいかもしれない。
 
 この国の政治体制が民主主義を標榜する以上、より多くの有権者の声を汲むのが為政者の務めだし、そのプロセスとして選挙は重要な役割を担っているわけで、その選挙においてこれだけ声の違いがあるとしたら、為政者としてはより人数の多いほうを向いた政策を*1選択する頻度が高くなるだろう。また、たくさんの票を投じてくれる世代の有権者がわかりやすく納得できそうな政治に傾くだろう。そう考えると、現在の世代間投票率格差のある限り、「年寄り向きっぽい」「年寄りが納得しやすい」政策決定に(相対的にとはいえ)傾くのは民主主義的には案外妥当性の高いことのようにみえる。実際の施策は「老人医療費カット」なども含めて若年者の将来に配慮した内容を含んではいるし、お年寄りが若年者の事を一切考えていないわけでもないわけだけど、施策がやや老年有権者向きに傾いていたとしても投票を通した民意の反映という点では不思議ではないどころか、いっそ正統なものの筈なのだ。
 
 よって、「民意の反映」「民主主義」という言葉を持ち出して「年寄りびいき」「時代遅れの政策」と批判するのはかなり見当違いではないかと私には思える。無論、ネットにまつわる政策にしても、幾ら年寄りに分かりにくくても早急に対処したほうがよさげな問題というのはあって、そういった問題を年寄りに適切に意識づけ出来ていないのは為政者側の責任には違いないにせよ、為政者がどちらかと言えば年寄りに耳を傾け、年寄り向けの政治を行う事自体は、投票を通した民主主義を守るという観点からみれば至極尤もなことのような気がするのだ。「為政者達は老人の顔色ばかりみている」という表現だといかにも胡散臭いけれども、「為政者達は投票者の顔色ばかりみている」となれば、ほら、なんとなく正当性があるように見える。そして現実の投票数を世代別にみる限り、老人の声と顔色に若干の重点が置かれることに、不当性は無いようにしか私にはみえないのだ。民意を酌む、という観点に関する限り、では。
 

若年世代がどうすべきかはとうにわかっているが…

 
 ネット上や2ch上で“為政者の首をもうちょっと若年者に向けるにはどうすれば良いのか”と憂いてみせている若き愛国者諸氏への民主的な模範解答としては、若年者がとにかく投票するしかない、というものになるだろうし、ここまで読んだ人ならそれぐらいは分かっているのだろう。例として極論をあげるなら、20代〜40代の投票率が95%になって、50代〜70代の投票率が5%になった時、為政者はこぞって若年世代を意識した政策決定をせざるを得なくなるし、それでもなお老年世代を贔屓する為政者は(選挙を通じて)速やかに淘汰される、という具合だ。そこまで極端にならなくても、高齢世代より若年世代のほうが投票数で上回るぐらいになれば、為政者は今よりは若年世代に配慮した政治をやらざるを得ない。
 
 誰に投票するのか・どこの政党が勝つのかという点が選挙では重要だ。しかしそれ以前の段階として、「投票者に占める世代層の割合がどれぐらいなのか」も(政党や当選者の如何とはまた別個に)政策に影響を与える政治的ファクターになることを忘れるわけにはいかない。どこが与党になろうが誰が知事になろうが、投票者の世代別パーセンテージはそれ自体が世代の声の大きさに直結するし、政策にも反映されざるを得ない。「誰に投票したのか」「誰が当選したのか」が政策に直結するにせよ、「どの世代の声が大きいのか」「どの世代の顔色をみれば当選しやすいのか」というファクターは誰が当選しようとも間接的ながらも確実に政治に影響を与えることを忘れてはならない。だから無党派だろうが、政治に興味がなかろうが、投票所に行って白紙でもいいから若年者が投票を行うという行為にはそれ自体一定の政治的ニュアンスが含まれているし、2chのすみっこで「老害老害」と喚いている暇があったら、同世代の友人知人を一人でも多く投票に誘うってもんだろう。
 
 例えばもし、20代〜40代の投票率が80%になっていたらどうなるのか?下のグラフは、上段が第四十三回衆議院議員選挙の現実、下段は20代〜40代が投票率80%になったと仮定した場合のグラフである。
 

 
 形勢逆転。
 もしこんな事になったら、為政者達は今までよりは若年世代寄りの政治に傾かざるを得ないし、そうでない被選挙者は(今までよりは)淘汰されやすくなってしまうだろう。ここまで極端な投票率上昇は難しいし、若年者の多い都市部と老人の多い地方の「一票の格差問題」もあるので一概には言えないものの、被選挙者達は若年層の顔色を今まで以上に窺うことになること間違いない。マニフェストの内容も実際の政策も、世代の声の大きさによって質的変化を(ある程度にせよ)遂げざるを得ない。
 
 誰に投票しろとか、どこの政党を応援しろとは言わない。けれども、自分達の世代が必要としている施策を少しでも増やす一助としては、とりあえず投票所に行く必要があるということは覚えておいたほうがいいんじゃないかと思う。一票を投じる価値のある候補者がゼロの選挙で白紙投票の場合でさえ、“20代の声の大きさはこれぐらいですよ”という世代的な政治的ニュアンスには寄与出来るし、それはそれで十分政治参加と言える筈だ。よもや、ネットの隅っこで“老害政治”を憂いてみせる人達が選挙には行かないなどという事はないだろうけれど、自分の世代の声を少しでも政治に反映させようと思う若年者は、同世代の人間を一人でも多く投票に参加するよう呼びかけるってものだろう。そしてそれこそが、民主的な政治体制下においては最も正当な手続きに違いないし、世代別投票率の格差を埋めない限りは「高齢者のほうを向いた政策傾向」は終わらないだろう。
 

※選挙とかに詳しい人は、この辺りをどう思ってどう解説するのかみてみたいです。
 

*1:選挙に勝つ為にも、そして民主主義に則った政治を行う為にも