シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「私は息子の為に頑張ってきたんです!」という叫びに対する得心

 
 (1)
 Tさんは、とある進学高校の一年生だが、一学期の中間テストが終わった頃から不登校となり、現在に至っている。Tさんは小さい頃から学習塾やピアノの稽古事に通い続けており、中学時代は優等生とみられていた。だが、今のTさんはもう学校に行く事が出来ない。学校に行ってもどう振舞っていいのか分からない。勉強も、もう無理だと思って諦めている。塾にも通わず、友人とのやりとりも途絶えてしまって久しい。
 
 会って話を聞くことになった。これが好きという趣味は無い。親から与えられたピアノや教養書をいつも読んでいる。漫画を読むことはあるが、楽しみにしているというよりは同級生と話を合わせる為にみる、という意味合いが強いそうだ。好きな漫画やアーティストは何か尋ねたら、特に無いという。中間テストの成績が悪かったことを親に叱られ、それ以来すべて無気力でどうでも良くなってしまった、という。
 
「そんなに成績悪かった?」
「はい」
「どれぐらい?」
「300人中、23番...。」
「ええっ?それぐらいで怒られるの?(驚愕)」
「常にベスト10に入ってないと駄目だとか...。」
  
 かなりとんでもない話だ。まだ高校一年生、しかも地元一番の進学校で23番というのはなかなかのポジションの筈だ。にも関わらず、10番以内でなければ怒られるというのはどういう事か?さらに詳しくTさんに話を聞いているうちに、私はもう一回り大きく驚かざるを得なかった。
 
・勉強は一日5時間、毎日。休日はもっと。中間テストも死に物狂いで頑張ったっぽい。
・幾ら良い成績でも褒められないが、ちょっとでも悪い成績だと叱られる。
・ピアノの稽古は週二回。発表の前はもっと増える。
・友人と会って遊べる時間は殆ど無かった。小学・中学時代は付き合う友人を制限されていた(しかもその制限に従っていた!)し、稽古事などで時間が足りなかった。
・不登校になって暇なら、ネットでもゲームでもすれば良いだろうに、彼には遊ぶべき何者も無い。かといって、勉強机に座るのがすっかり嫌になっている。
 
 ああ、こんな状態で思春期なんてやってられるんだろうか。親に言われるまま、親が良かれと思って指示した事だけをきちんとやり続ける、途方も無いよい子なのかTさんは?高校進学後初めてのテストも、それこそ全力を尽くして挑み、その末での「敗戦」のようだ。中学校まではそれでも良かった。学年トップさえ保っていれば親に叱られる事も少なかったし、Tさん自身もまんざらでもなかったのかもしれないが、進学高校ではその処世術が通用しなかった。Tさんはおそらく、それほど受験の素養が無いのを異常な努力でカバーしていたのかもしれないが、抜きん出た素養の持ち主が地域全体から集まる進学校ではそう簡単に勝つことが出来ない。少なくとも、ベスト10に入り続けるのは極めて困難だろう。
 
 せめて、グレたり遊んだり友達と繋がったりすれば良いのだが。そう思ってみたところで、Tさんにはグレるべき自我も、遊ぶべきhobbyも、繋がるべき仲間も、希薄なように感じられた。もう勉強もピアノも嫌だ、親の顔をみるのも嫌だ、だけどTさんには代わりになる何物も無い。もっと言えば、代わりを捜し求めてコーピングなり防衛なりを再展開する必死さが無い。何が楽しくて苦しいのかも、自分自身がやりたい事が何なのかも、今何が出来るのかも、Tさんには分からない様子だった。
 
 (2)
 「私は、息子の為を思ってこれまでやってきたんですよ!」
 
 「例えばフリースクールなどはどうでしょうか?」という私の問いかけは、突然の母の叫びによって遮られた。彼女のすぐ横では、虚ろな眼のTさんがおとなしく着席している。まるで他人事のようなTさんの表情を覗き込む衝動に私は駆られたが、今はまず、母親の話を聞かないわけにはいかなかった。フリースクールを勧められただけでどうして彼女が激昂しその台詞を口にするのか?私はほんの一瞬だけ考えて結論を出した後、母親に続きを促した。
 
 曰く。Tの為に頑張ってきた人生だった。Tの将来の為に親として為すべきことは全てやった。学業も文化もスポーツも、全て出来る立派な子に育てたかった。これらはひとえに、Tを思う親心によるものに他ならない。(医者をやっている)父親を超えた、立派な学者に育っていく予定なのに、こんな地方高校で躓いている場合ではない。フリースクールなんて通っている余裕はTには無い。すぐに学業に復帰させなければ、この子はどうなるんですか!
 
 「私が息子の事を一番考えている」「私は息子のために頑張っている」「私は息子に立派になって貰いたい」と繰り返す母親と、それを最早聞いてすらいないTさん。家でもこんな調子なのだろうか?私はその事が知りたくなって父親との面談を希望してみたが、父は渡米して消化酵素の研究に打ち込んでいるとのことで、すぐには帰国できないとの回答を得た。時計をみると、面接の時間は既に終わりに近づいている。最後に私は、幾つかTさんと母親に対して言葉を投げかけてみることにした。
 
 「Tさん、今、あなたがしたい事か、したくない事って何だろう?」
 「...。」
 当然Tさんは何も答えない。
 勉強やピアノは嫌だって、マンツーマンの時には言ってたんじゃないのか?
 
 「どうだろ?やりたい事は分からなくても、嫌な事とかしたくない事は無い?」
 「T、ほら、言ってみなさい」
 Tに回答を急かす母親と、終始無言を貫くT。親子二人の間に横たわる大河の広さと深さを、私はただ黙って眺めやることしか出来なかった。
 

 (3)
 数週間後、「Tの事を理解しない精神科医では不登校が終わらない」ことを遠まわしに宣言した母親は、隣町のXメンタルクリニックへの紹介状を書くよう私に要求した。紹介状を携えた母親は、週が変わるのを待たないうちにTさんをX診療所に連れて行ったようである。
 
 さらに後日、X診療所の担当医と話す機会があり、その後のTさんについて幾らかの報告を受けた。担当医曰く、「リストカットや家庭内暴力が出現し、当人もどうやって感情をコントロールして良いのか分からない状態」に至ったらしい。一方母親は今、掌を返したように息子を罵倒しはじめたとの事。罵倒のなかにも「こんなに私が尽くしてきたのに」という台詞が混じっているんです、困ったモンですよ、と彼は笑ったような困ったような表情を浮かべていた。ようやく私は、得心したような気がした。
 
 つまり、このケースにおける「息子の為に」とは、そういうことだった、というわけか。
 

 ★念のため断っておきますが、このお話はフィクションです。★