シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

血を流さなければ為し得ないソレについて

 
 統計的エビデンスでは語りえないものについて。統計的エビデンスに上乗せするソレについて。


 ソレは、触媒として血を要する一連の「魔術」によって行われる。お決まりの詠唱の後、目から一滴の血を流し、指で掬ってペンタクルを描く。このペンタクルは、本来、動物にしか見えない。たまに、見えてしまう人もいるらしく、「血が流れているよ」と言ってくれる人もいるが、まったく気づかない人も多い。
 
 ペンタクルを挟んで対座し、エビデンスに基づく判断と、エビデンスとは別次元の判断を実施する。そのとき、ペンタクルが仄かに輝き「魔術」が試みられる。効くとは限らないし、効いたかどうかはわからない。だが、それによって少しでも善いことがあると期待して、試行する。二十人の時は二十人に、四十人の時は四十人に、六十人の時は六十人に。
 
 いつか、「失血」して失神する日が来るのだろうか。それとも造血能が高まってもっとたくさんペンタクルを用意できるようになるのだろうか。「魔術」を捨てる?とんでもない!この、汎用性の高い、日常でも頻用せずにはいられない技術を、どうして捨て去ることができようか。また、それが何かを生み出す可能性があると知っていながら、どうして出し惜しみすることができようか。だとしたら、失血か、パワーアップかの二択ということだろう。血を流すのは本当は嫌だけど、もう「魔術」無しでは仕事はおろか生活すらできないのが今の私の社会適応だ。だとしたら、血を流してペンタクルを書き続けるしかないと思う他ない。いつか力尽きて書けなくなる、その日まで。
 
 ※ここでいう魔術は、科学との対比の意味で。