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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常

 
 労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1
 
 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「兵士」コースが徹底的に隠蔽されまくっている。代わりに、個性・夢・クリエイターなどといった体の良い文句を、大学も、専門学校も、果ては工員を養成する為の実業高校でさえ垂れ流し、あたかも「誰でも将軍や参謀になれるような」看板を掲げている。そして親や本人は、その看板に多かれ少なかれ願望を投射して気分の良い夢にありついている。「あんた、兵士になるんだよ」とは、誰も声をかけてくれない。代わりに「将軍になれるかもよ?」「参謀になれるかもよ?」「技術将校になれるかもよ?」という風船状の幻想が、親と本人に共有されるわけか。教育を提供する側がどこまで意図しているかはわからないが、「兵士たらん」とする教育よりも「将軍になれるかも」的風土に注目する暗黙の了解が形成されている。特に、「才能さえあれば」「実力さえあれば」という謳い文句が通用しやすい業界では、(実は兵士や人間の盾が沢山必要にもかかわらず)「将軍コース」「参謀コース」の夢でお客さんを釣るケースが多いようにみえる。たとえばサブカルチャー系専門学校とか。
 
 ああ、可哀想に、せめて最初から兵士として特化した鍛え方と心構えを得ておけば娑婆で生きていけるかもしれないのに、なまじ(親と一緒に)夢を風船みたく膨らませちゃったから、「僕は将軍になる筈だったのになれなかったんだ!」って絶望する人がゾロゾロ出てくる。「将軍」や「参謀」は一握りでいいってのに、誰もが中枢たろうとすれば、そりゃ自己実現出来ない奴がゾロゾロ出てくるのも無理は無い。「将軍」や「参謀」の夢を(親と一緒に)みていた子が、就職活動に際していきなり「お前は兵士だ!考えないで手を動かせ!」と命ぜられたとて、やる気になれる筈が無い&長続きする筈が無い。ニートになって、「将軍や参謀になれないぐらいなら働かないほうが利口」とか言い出すことに、何の不思議もない。
 
 現在のニート問題なり自己実現問題なりは、様々な要因が合わさって起こっているには違いないにせよ、数ある原因のひとつとして、「イワンのばか教育」の後退に私は注目している。三流大学ですら「将軍の夢」「参謀の夢」を提供する昨今の状況は、夢の消費という娯楽を提供することは出来る。反面、「兵士」として生きていく頑強さと、「兵士」としての自己実現の可能性は与えにくい。確かに「兵士」から上がっていって「将軍」に至る者がいないわけではないにせよ、それはあくまで稀有に過ぎないことを隠蔽しているようにもみえる。上ばかり見上げなくても、「勝ち組」にならなくても、「考えなくても」楽しいことは沢山ある。けれども、「将軍や参謀だけを夢見る人」にはそういう声はなかなか届くまい。
 
 私のこういう発想は、格差拡大的・階級確定的な物言いとして批判されるに違いないだろうし、事実そういう問題はあるんだけれども、それにしたって本当に娑婆で必要とされているのが「大勢の兵士」だって事から目を逸らした教育はいただけない。果たして、「実際は兵士養成を請け負うべき教育機関」の人達は、「兵士たることを要請される可能性が高い境遇の子達」に対してどの程度「兵士」として案外楽しく逞しく生きていく処世を提供しているのだろうか?私はそこらが気になって仕方が無い。そりゃ、「兵士」より「将軍や参謀」のほうが派手な夢がみれるかもしれない。けれど、「多分兵士にしかなれない」人達や「兵士としてこそ楽しく生きていけそうな人達」にまで「将軍の夢」をみせておいて、心構えもないままに兵士として世間に放りやるってのはあまりにも残酷だ。「才能さえあれば」「うちの子でも将軍になれる」という夢を、どこの親も子どもも抱いているという異常。歯車のようなサラリーマンや工員としての、ばかイワンとしての生き方を否認*2し、「将軍やクリエイターの夢」を消費させる為の横文字看板に誰もが飛びつく状況は、いつまで続くのだろうか。滅多になれっこない将軍の椅子を見上げ続けるイワンは、最早ばかではないかもしれないけれども、きっと幸せではない。どうか、新しいスタートを切る大勢のprivate達が、「兵士」としての楽しみや処世も体得できますように。この際ばかでも何でもいいから、自分の生活に幸せを見出せますように。
 

*1:ただ、あんまりこういう考えを突き進めていくと色々危ないので、組合とかは絶対必要だよね。特に、労働者が純朴なほど。

*2:否定ではなく否認、という言葉が適当だろう。ヒント:防衛機制