シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

セカイ系キャラクターとしての、暁美ほむらと岡部倫太郎

 
 二つの作品を並べて優劣を比較したって、たいして面白くはない。しかし、二つの作品を比べることで趣向やメッセージの違いを浮き彫りにしたり、後発作品がどのような発展的視点を付け加えているのかをチェックするのは、有意義なことだと思う。
 
 
 
 【警告】:以下、『魔法少女まどか☆マギカ』10話と『シュタインズゲート』のネタバレを含みます。
 
 

シュタインズゲートについてちょっとだけ

 
 シュタインズゲートは、2009年末にX-boxでリリースされ、「ゼロ年代最後を締めくくるのに相応しい作品のひとつ」という高い評価を与えられていた。
 
 作中、主人公の岡部倫太郎(通称オカリン。以後オカリンと表記)は仲間達の力を結集させて、限定的な機能ながらタイムマシンの開発に成功する。このタイムマシンにまつわる騒動に巻き込まれながらも、オカリンは仲間達と一緒に世界の運命と戦っていく。この作品は「自分だけがタイムループ出来る」という限定タイムマシン機能を踏まえた、いわゆるループものとして面白い作品のひとつだった。*1
 
 この、「自分だけがタイムループして仲間や世界の命運を左右する」という状況は、まどか☆マギカの10話になって明らかになった、ほむらの奮闘っぷりにも当てはまるので、シュタインズゲートとまどか☆マギカを比較してみようなどと思い立った次第だ。
 
  

オカリンとほむらの対比

 
 オカリンとほむらは、似ているといえば似ている。
 「タイムループ能力を用いて、大切な人とセカイの命運を救おうとする」という点において。あるいは、うだつのあがらない自意識過剰なキャラクターが、次第に凛々しい姿に変貌していくさまも、よく似ている。
 
 しかし、作中のほむらとオカリンはまったく違った方向に進んでいる。
 
 まどか☆マギカ10話のほむらは、タイムループするたびに仲間に対する信頼を失って、一人で戦う傾向を強めている。はじめは一緒に戦っていたまどかも、「まどかが魔女になってしまったらセカイは終わりだからNG」。だから「全ての魔女は私が倒すしかない」というわけだ。1-9話放送分の時も、他の魔法少女達への介入は仕方なくやっていたという感じで、時にはいがみ合ってさえいた。
 
 ほむらは、根本的に誰も信頼していない
 たった一人の友達・まどかを守りたい(そしてセカイの命運も守りたい)と言う決意は立派だが、その友達であるところのまどかの能力・まどかの判断力を信頼することがない(もちろん他の面々に対しても同様である)。「愚かな私が魔法少女になるのを防いで」とまどかから遺言は貰ったとはいえ、「つくづくあなたは愚かね」とまどかに言い放ち、すべての判断は独りでやるからお前は黙って言うとおりにしろ、というのはあんまりではないか。とても、対等な友達同士の発想とは思えない。まるで、ご主人様と愚かなペットを連想させる言い草だ。
 
 対照的に、シュタインズゲートのオカリンは、数々の難局を仲間の力を借りて切り抜けていった。もちろん彼も、自分独りだけで抱え込もうとする場面がしばしばみられたけれども、そのような独りよがりは決まって失敗し、仲間達の力を借りてはじめて難局を乗り越える傾向が顕著だった。オカリン自身が一人で出来ることが少なかったから、という部分が逆に幸いしていたのかもしれない(逆にほむらの場合、単独行動の能力に恵まれすぎていた点が仇となった可能性は、あるかもしれない)。
 
 つまり「愛する人(とセカイ)を守る為に、一人で頑張る」という観点から見た場合、ほむらの辿った形跡と、オカリンの辿った形跡は正反対に見える。どんどん自分だけの戦いに入っていくほむらは、シュタインズゲート的な視点からみれば、オカリンがドン詰まりになった時のパターンにまっしぐらに進んでいるように見える。
 
 あるいは、セカイ系的な内閉傾向を強めていくほむらと、セカイ系的な内閉傾向から離れていくオカリン、と表現してもいいかもしれない。『魔法少女まどか☆マギカ』という作品そのものは、セカイ系というネットスラングにあまり馴染まない作品だと思うが、ほむらの周囲には妙にセカイ系を連想させる空気があったように思う。それが、10話において決定的になった。「きみ(とセカイ)を助けるために一人で頑張るボク」へと視野狭窄し、他はみんな邪魔者or風景と区切ってしまう閉じっぷりは、なにかゼロ年代前半を想起させるものがある。まどか達はともかく、ほむらというキャラクターは、セカイ系的な何かだ*2
 
 尤も、だからといってほむらがオカリンよりダメなキャラクターだと言いたいわけではない。11話以降の展開に備えるべく、10話のほむらは敢えてセカイ系的キャラクターとして描写され、準主人公としての役回りを演じているのだろう。それに、馴染みの友人や有能な助手と信頼関係ができあがっていたオカリン側に比べると、ほむら側はあまりにも人間関係が弱すぎる。このハンディを思えば、両者の振る舞いの差は仕方ないような気もする。主人公と準主人公という違いもあるし、ほむらにはまだ11話と12話が残っている。まだ、ほむらには伸びしろが残っている。
 
 

シュタインズゲートとは違った何かを期待しましょう

 
 シュタインズゲートという作品は、セカイ系という袋小路に対して何重にも反駁を行っていたと思う――「一人で戦うのではなく仲間と戦え」「自分だけが相手の(セカイの)運命を握れると思い上がるな」「自分が思いこんでいる唯一解だけが運命じゃない」といった具合に。関わっている会社や、作品リリースの順番から考えれば、『シュタインズゲート』のこうしたメッセージを『まどか☆マギカ』が参照していないとはとても思えない。必ず、シュタインズゲートとも違ったメッセージを魅せてくれると期待したい。
 
 

*1:春からアニメ化の予定らしい。楽しみだ。

*2:そして、セカイ系的な男性とほむらを重ね合わせて考えると、色んなことが見えてくるよ!