シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」のメカニズム

 
 
ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群

 
 リンク先のはてな匿名ダイアリーの記事が、色々と示唆的だ。「ダメな俺も丸ごと受け止めてくれ」、という三十代オタク男性に、女性の側が当惑し、到底引き受けられないと結論づけるまでのいきさつが記述されている。
 
 くだんの三十代男性は、女性側が未だ好きとも嫌いとも、付き合うとも付き合わないとも判断しきっていない段階で、いきなり自分のダメな所を延々と語り始めたわけである。これは、例えば「合コン」「お見合い」などの場ではありうべからざる、交際前段階のコミュニケーションとしては非合理的な振る舞いのようにみえる。自分が職場で活躍している武勇伝でも話したほうが、まだしも効果的かもしれない。
 
 にも関わらず、異性にアプローチするなかでのダメ語りというのは、意外と耳にすることがある。何故、付き合ってもいないうちから「ダメな俺も丸ごと受け止めてくれ」と言い出してしまうのか?私は、非合理的・非効果的にみえるこのような振る舞いにも、自分自身の傷つきを回避しつつ、自分自身の承認欲求や自己肯定の機会を虎視眈々と狙った巧みな心理ストラテジーが含まれているのではないかと思う。
 
 その、心理ストラテジーのメカニズムについてちょっと考えてみよう。
 
 
 【1.ダメな自分をありったけ曝け出すことによって、拒否された時の痛みを減弱】
 
 私が思うに、この三十代男性の側とて、徹底したダメ語りが女性に引かれる可能性の高い振る舞いであることを、全く意識していないわけではないと思う。意識しているからこそ、“清水の舞台から飛び降りるような文面で食事に誘う”わけだろうし、本人なりに、拒否や勝算について考えを巡らせる程度の思考力を持っていると思う。
 
 にも関わらず、敢えてダメ語りに突っ走るのは何故か?それは、コミュニケーション上のメリットを上回る程度に、心理的メリットが計算できるからだろう。どういう事かというと、正攻法で自分の長所などをセールスしたり、面白い話をプレゼントしようと最善を尽くして振られたら、もう自分に言い訳が立たないし、真正面からグッサリ傷つくほか無いけれど、ダメ語りを徹底させて異性に拒否されるぶんには「あれだけダメ語りしたんだから、受け入れてもらえなくても当然だよな」という言い訳が自分自身に成立する、というメリットである。好きな異性に対して敢えてダメ語りをすることによって、拒絶された時の痛みを減弱し、「ダメな部分をみせたんだからしようがないよな」と思い込んで自分を慰撫するには、正攻法の異性アプローチよりも思いっきりダメな自分を敢えて語っちゃったほうが好都合だ。
 
 異性との交際可能性を多少犠牲にしてでも、自分が拒否された時の痛みを減弱したい・せずにはいられないという人物にとって、ダメ語りの心理的鎮痛効果は、メリットとして無視できないものだと思われる。
 
 
 【2.だけど、もしも上手くいったら丸ごと承認してもらおうという魂胆】
 
 しかしメリットはそれだけではない。このダメ語りを万が一潜り抜け、異性が交際にYesを出したらどうなるのか?誰だって、念願の異性との交際が始まれば嬉しく思うだろう。だがダメ語り経由の場合、男性側は「等身大のボクを隅から隅まで受け入れてもらう」言質を確認できるという点で、正攻法の交際とは少し異なっている。正攻法で男女交際に入った場合、(交際の進行に伴って少しずつお互いの残念な部分も許容しあっていくにせよ)基本的には、相手を喜ばせたり楽しませたりしよう、という言外の引き受けから男性は女性の手を握っていくものだが、ダメ語り経由の場合は正反対だ。まず第一に、ボクを肯定してください引き受けてください、という言外の依頼心から、男性は女性の手にぶら下がっていくのである
 
 つまり、ダメ語りを経由しての男女交際の場合、「ボクがあなたの王子様を目指そう」という引き受けよりも、「あなたがボクのママを目指してください」という依頼心が先行している。愛する・楽しませるのはボクは不得手です、だけど愛してください、肯定してください、というわけである。そのような期待と言質取りが、ダメ語りには含まれている。むろん大抵の女性は、このダブルスタンダードをすぐに察知し、距離をとりにかかるわけだけれども*1、よしんば距離をとられてしまっても、先に挙げた1.のお陰で、当人がグッサリ傷つくリスクは常に最小に抑えられる。
 

 【3.誠意という名の免罪符】
 
 そのうえ、このようなダメ自分語りをやる場合、「誠心誠意、隠し事をしないでありのままの自分を曝け出しているんだ。」「ボクは嘘をつかないよいこです」という勘違い免罪符まで手に入ることが出来る。1.2.にあるように、実際には自分の傷つきを回避し、成果を最大化しようというさもしい欲求にまみれた振る舞いであろうとも、この、誠意という概念さえあれば、ダメ語りを自己正当化することが可能だ。この、誠意という名の免罪符による自己正当化が完全にツボに入ってしまうと、欠片も良心を痛めることなく、自分はむしろ異性に隠し事をしていない正直者なんだと思いこみながら、ダメ語りを敢行してしまうことさえ有り得る。
 
 言うまでもなく、こんな“誠意”は当人自身に対しては誠心誠意ではあっても、異性の側としてはちっとも嬉しく無いし、まったく聞きたくもない。そもそも、ありのままの自分をすべて語る=誠意である、という思い込みそのものが、どこかしらズレているわけだが、誠意をダメ語りの免罪符に使うような人物においては、そのようなズレは意外なほど認識されにくい。
 
 
 【4.自分語りの快感】
 
 加えて、自分語りの快感までもが得られるというのだから、至れり尽くせりである。自分の長所を語り続けるだけでも快感だが、自分のダメな所を語り続け、あまつさえ、まともに話を聞いてもらえるというのも結構な快感だ。そのうえ万が一にも「坊や、そんな坊やでも、あたしは見捨てないわよ」などという肯定のまなざしの一つでも頂けるならば、天にも昇る心境になれることだろう。
 
 

ダメ語りをする当人自身にとってはメリットだらけだが…

 
 このように、「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」は、非常に多くの心理的メリットを含んだストラテジーと捉えることが出来る。そういう意味で、彼(彼女)の選択は(心理的メリットもメリットとみる限りにおいては)非常に合理的・合目的なものであって、相応に洗練習熟された適応形態のひとつとすら言えるだろう*2
 
 ただし、ダメ語りのメリットはあくまでダメ語りする側の、それも主として心理的メリットを防備する為のものであって、それを聞かされる異性側には、心理的にも実際的にもメリットは乏しい。ダメ語りは、あくまで、自分さえよければ良い・自分は過度に傷つかない安全圏からことを進めたいという、その一点からみて合理的・合目的なのであって、交際相手自身の、ひいてはカップル双方の、メリットや楽しさを増大させるうえでは必ずしも最善のストラテジーでは無い
  
 自己評価が低く、拒否に対する傷つきへの耐久度が低く、異性の気持ちやメリットには寸分の想像力も働かないけれども自分の気持ちやメリットには絶大な繊細さを呈するダブルスタンダードの人などは、このようなダメ語りに突っ走ってしまう可能性が高い。逆に言えば、まともに交際もしていない初期段階からいきなりダメ語りをする異性を発見したら、それは何故なのか、彼(彼女)にとってどのようなメリットが存在するのか、よくよく吟味してみる必要がある、とも言える。
 
 もし、彼(彼女)のダメ語りが、テーブル越しに向かい合っているあなた(異性)のほうを向いたものではなく、彼(彼女)自身の欲求と怯懦ばかりをまなざしての振る舞いだったら、あなたはどうするのか?自分自身のダメ語りに夢中になってあなたの都合や気持ちを一顧だにしない態度が、交際が始まってからも続くかもしれない。または、「あなたのことが好き」という気持ちをプレゼントするよりも、「ボクのこと、全部受け止めてください」という態度ばかりが先行するかもしれない。それでもなおダメ語りする異性を引き受け、長期間の交際に入っていくとしたら、それなりの覚悟と、凄まじい懐の深さが必要になりそうだ。
 
 
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*1:ただし、保護欲という名ののぼせ上がりに飢えている人の場合は、ジャンヌダルク気取りの格好の素材として、こういった人物を積極的に捕縛しにかかることもある。

*2:id:mike_nさんへ:やっぱり、洗練、じゃないですよね、これって