シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

まるで「洋楽の威を借りる狐」じゃないですか

 
 
 2009-08-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」
 
 リンク先の記事には色々と突っ込みどころがあるが、少なくとも、趣味を愛する人の視点としてはちょっと弱いようにみえる。
 
 

一昔前まで、洋楽のアーティストというのは無条件に優れた存在で、それを聴いているだけで他者との差異化ツールとして機能していた。

 
 洋楽って、そんな風に聴くモノなんですか?
 
 これは、優越感ゲーム・差異化ゲームのなかでも特に怠惰な方法であり、休み時間、クラスメートが見向きもしないような難解な哲学書をこれみよがしに眺めてみせて優越感にひたる手法と本質的には変わらない。文章を書いたid:republic1963さんは、音楽への造詣を深めることの重要性や聞く耳の涵養などについて(エントリ内で)まったく言及していないようだが、「聴くだけで」クラスメートに差を付けたいというのは、およそ趣味を愛している人間の発想ではないし、こういう発想のもとで洋楽への理解が深まるのか、正直疑問である。別に、洋楽である必然性なんてありませんと言っているものなんじゃないだろうか?「聴くだけで勝ちたい」「手を出すだけで勝ちたい」んだったら、哲学書でもマイナージャンルのオタク趣味でも構わない。要は、「虎の威を借りる狐」のための立派な張り子を探してくれば良いのだ。およそ、「自分の趣味を愛する」とはかけ離れた話になるが*1
 
 大体から言って、「自分のジャンルが他のジャンルよりも優越性を持たなくなったから、自分の優越感ゲームが成立しない」とか言う視点って、どうなんでしょうね。洋楽でもゲームでもミリタリーでもそうだが、本当にその分野が好きでしようがない人というのは、幾年にもわたるノウハウや知識の蓄積ってものがあるだろう。現状、まとめサイトやwikiやwikipediaが充実しているが、本当に趣味を愛しているなら、そうしたテンプレートに相対化されるリスクとも関係なく、その趣味の領域のなかで充足することが可能なんじゃないかなぁ。例えば「洋楽を聴く」ともなれば、テキスト化された知識だけでは到底埋め合わせの出来ない部分があるのではないか、あるいは知識の多寡だけでは優劣が決まり切らないような剰余があるんじゃないか。個人的には、まとめサイトや動画サイトが普及したぐらいで、ノウハウ蓄積や経験蓄積が揺らいでしまうとか、自分自身が体験してきた感動が揺らいでしまうというのなら、おおいに揺らいでしまえばいいと思う。
 
 自分の趣味分野に優越感ゲームへの拘りを持つことそのものは決して悪くはないだろうし、思春期のうちに一度は経験しておいたほうが良いことだとは思う。けれども、趣味やカルチャーが優越感ゲームだけで成立しているわけではないだろうし、優越感ゲームをとっぱらったら面白くなくなる趣味・つまんなくなる趣味なんて、どのみちいつか捨てられる運命なんじゃないかな、と思う。特に、「自分のジャンルが他のジャンルよりも優越性を持たなくなったから、自分の優越感ゲームが成立しない」なんて人の場合などは。
 
 このあたり、ジャンルの可否やアーティストの可否に帰せられる問題というよりも、趣味をやる個人個人がジャンルやアーティストとどう向き合っていくのかに帰せられる問題だと思う。洋楽だろうがRTSだろうがミリタリーだろうが、優越感ゲームのやりようはほかにも幾らでもあるし、優越感ゲームとはあまり関係の無い楽しみ方だって幾らでもある。他人に「勝つ」ためだけに趣味を追いかけるっていうのは哀しいものだと思うし、最後まで趣味として蓄積していく大事な部分って、「勝ち負け」の彼岸にあると思う。
 
 最後に、一言だけ問いかけてこのエントリの結びとしたい。
 
 “あなたは趣味が好き?それとも「趣味で優越できてる」自分が好き?”
 
 
 [関連]:あなたは彼女が好き?それとも「彼女と一緒にいる自分」が好き? - シロクマの屑籠
 

*1:実際、リンク先の文中でも、「欧米の音響派や、中南米の文学、イスラム圏のアニメ、未開のジャパニーズインディシーンへの足を踏み入れる」という一文がある。しかし、音楽を理解する為にそうするという記述は無く、文脈をみる限り、単に、優越感ゲームのフロンティア捜しをしているだけのように読めてしまう。