シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

娑婆を直視する為に必要なモノ

 
 多分だけど、娑婆を直視すればするほど、多くの素養が観察者には求められることになる。単に見通しが利くだけでは駄目だ。見通せば見通すほど見えてしまう色々に耐え得る力がなければ、娑婆のビジョンそのものに喰われてしまうんじゃないか。
 
 そりゃあ、「娑婆があるから花が咲き、娑婆のなかで恋もする」のも本当には違いないけれども。それにしたって、総て移ろい総てなくなる六道輪廻が果てしなく続くなかで畜生道を(皆と一緒に)歩き続ける現状を視続けるのは、なんともかんとも。花にしても恋にしても、そこに執着と争いをみるのは容易だし、それらの末路を知るのも難しいことではないし、それらを食らう私もあなたも、畜生ときたもんだ。因果は続くよどこまでも、ところが後には骨ばかり。
 
 加えて、死はやはり恐ろしく醜い。ああ、死にたくない死にたくない。だけど周りを見渡せばそこかしこに死の臭いが充満している。私も老いて、病を得て、苦しみながら死んでいくのか。自分の命が惜しい。惜しくないと強弁しても、やっぱり自分がかわいく、自分に執着してしまう。そしてそんな自分を視てしまう視てしまうもう視たくない!
 
 私が視るところの娑婆世界は、本当に小さなスケールの箱庭程度のものでしかない。にも関わらず、私はこれ以上はもう視たくないと思っているらしい。幸い、能力的制約という名の目隠しによって、私は望んでもこれ以上娑婆を視ることが出来ないが、その能力的制約の故に、娑婆に潰されずに生きていくことが出来ている。