シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

子ども不在の食卓に、老の訪れを思う

 
 

 
これはある日の朝食の写真だが、昼食や夕食が似た感じになることもある。
これぐらいの食事で構わない、いや、これぐらいの食事がいいんだよ、と思うことが増えてきた。
 
子育てを始める前、私にとってうれしい食事とは肉や魚がしっかりある、ボリューミーなものだった。揚げ物も、20代30代の頃は今よりずっと好きで無限に食べられる気がした。
 
でもって子育てが始まり、子どもの好みや栄養素を意識しながら食事を作っているうちは食事のレパートリーはそんなに変わらなかった。いったん香辛料の使用がなくなり、それが子どもの成長にあわせて胡椒や唐辛子あたりから少しずつ増えてきた感じだ。子どもと囲む食卓では、焼肉/野菜炒め系やソーセージや唐揚げや焼き魚あたりがオーソドックスなメニューだろうか。
 
で、子どもが成長するにつれて、再び子どもが不在の朝食や夕食がぽつぽつ増えてくるようになった。夫婦だけで、やけに静かに感じられる自宅で迎える久しぶりの食事。子どもが留守だから贅沢をしようという気持ちにはちょっとなれない。むしろ逆だ。子どもがいないから簡素に済ませて構わない。いや、さっぱりとした食事を摂るなら今がチャンスだ。
 
最近、日本経済新聞のサイトで「日本人のたんぱく質摂取量、1950年代並みに悪化」という記事を読んだ。媒体が媒体なので、この記事から日本経済の栄枯盛衰に思いを馳せるのは簡単だ。でもそれだけでなく、これって少子高齢化によってたんぱく質を一番摂る若者が少なくなり、私みたくあっさり&簡素な食事が好きな中年~高齢者が増えてきたからでは、という風にも思わなくもない。
 
冒頭の写真の食事などはほとんど手間がかかっておらず、コストも安い。簡単な野菜の和え物に納豆、干した魚と白飯だけだ。ここから何かを引いて、かわりに味噌汁をつけることも多い。粗食っちゃ粗食だが、『マインクラフト』のプレイヤーキャラクターが食べているものに比べれば全然文明的だし、身体的にはこれぐらいの食事のほうが楽ですらある。
 
結婚し、子育てを始めて、そうこうしているうちに私の身体は歳をとり、すっかり変わってしまった。子ども時代、祖母が昼食にコロッケや簡単な焼肉を作ってくれながら彼女自身はあまり手を付けず、ご飯と漬物と味噌汁でだいたい済ませていたことを思い出す。あれは、孫のことを思ってや節約のためかと思っていたが、それらだけでなく、案外加齢によって油ものをあまり受け付けなくなってしまったからかもしれない……と最近思うようになった。
 
遠い昔、はてなダイアリーで連載していた(今もはてなブログとして連載している)REVさんが書いていた食べ物の好みの変化についてのブログ記事のことも思い出した。はてなブログの検索機能のおかげで、それそのものが見つかった。
 
 
rev.hatenablog.com
 

子供は、砂糖の甘みが好きだ。チョコ、ケーキ、果物。
青年は、炭水化物に満腹する。ご飯、ラーメン、スパゲティー。
若者は、脂肪が好きだ。カルビ、唐揚、トロ。
○年は、アミノ酸の旨みが好きだ。昆布〆、鰤大根。
×年は、核酸の味わいを求める。数の子、イカ、カラスミ、キャビア。

https://rev.hatenablog.com/entry/20070103/p4

 
この16年前の文章からすると、私は中年だか老年だかになったのだろう。
前より漬物や干物がおいしくなったのも、核酸の味わいを求めるようになったから、だろうか。
 
 

生物学的には私は老年である、とみておこう

 
子育ては進行中だし、普段の食卓には肉や魚や揚げ物が並んでいる。奮発して外食することもある。そこだけ見れば何も変わっていないが、子ども不在の日の、ひんやりとした、質素な食事を食べる時、老のはじまりを連想せずにいられない。人によっては「老年期だなんてまだ早いよ」とも言うが、初老はとっくに過ぎているのだから、私は生物学的には老人の身体になったと思っておくべきだろう。この歳になったせいか、不老不死なんて自分には似合わないとも思うようになった。私は生ききって死ぬことを希望したいし、そのためにつとめていくつもりだ。不老不死を願うなら、もっと若かった頃に願うべきだった。
 
時折、街のレストランでステーキと格闘しているご老人を見かける。かつては何とも思わなかったが、今は、あのご老人はたいしたものだなと思う。そうしたご老人は特別に健康なのか。たまたまその日、彼/彼女はステーキが食べたいような体調だったのか。どちらにしても、高齢になってもステーキを食べられるってのは素晴らしいことだし、ステーキを食べられること自体、その高齢者の健康を象徴しているのだろう。ステーキを食べられるうちは死にたくはないな、とも思った。あのような高齢者に自分がなれる保証などどこにもないが、あやかりたいと思う。