シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

中年ナルシストの道は狭く険しい

 
 
これから「中年ナルシストの道は狭く険しい」という小話をするが、私は小心者なのでおことわりを入れておく。
 
私は、自分のことをナルシストだと思っている。
だってそうだろう、二十年以上もインターネットで自己表現……といえば聞こえはいいけれども、自分の話を聞いて聞いて聞けよ聞けったらとやってきたわけだから、これをナルシストと呼ばず何と呼べばいいのか。私が承認欲求やナルシシズムについてずっと書き続けていたのも、自分がそうだからという部分を否定できない。他人の承認欲求やナルシシズムにアンテナが働くのは、同類・同族のたぐいだからではないだろうか。
 
で、そんな私も中年になった。
中年になってナルシスト続けていくの大変かなーと最近は感じている。

【ナルシシズムの夕暮れ】
 
ナルシスト。
自己愛。
 
ナルシストにも色々なタイプがあるけれども、とにかく、歳を取ってくることでナルシシズムが成り立ちにくくなる部分がいろいろあると感じる。
 
まず容姿。
どう頑張っても若い人にかなわなくなる。威厳のある恰好が似合うようになれば、それを頼りにナルシシズムを充たす道がないわけではない。とはいえ、威厳を獲得したとしても、肉体の衰えを隠すことは難しくなる。衰えを他人の目から隠す方法なら、あるかもしれない。だけど衰えを自分の目から隠す方法は無い。
 
判断力、瞬発力、記憶力なども衰えてくる。ひとことでナルシストと言っても容姿を誇っている人はいっそ少数派で、見事に仕事がこなせること、卓越した技能や知性に存在理由を見出しているナルシストもたくさんいる。自分の持っている諸力によってナルシシズムを成立させているそうした人たちにとって、力の衰えは、ナルシシズムの陰りにほかならない。自分がそれを誇りにしていればしているほど、自分がそれに格別な注意を払っていればいるほど、小さな衰えにも気づくことになる。
 
容姿も含めてだが、ナルシストがナルシシズムを成り立たせるにあたってなんらかのパワーに頼っていることはとても多い。そのパワーに限界がみえてきたとき、ナルシストは自分にうぬぼれてはいられなくなる。あるいはプライドが保てなくなったり自信を喪失したりする。
 
また、自分自身と他人の能力を比較し、優越性を見出すことでプライドや自信を守っている場合には、若手の成長が脅威になるかもしれない。三十代の前半あたりだと、年下の人々はまだまだ経験不足すぎてそれほど脅威とうつらないかもしれないが、四十代、五十代ともなると年下は十分すぎるほど経験を重ねていて、しかも自分に比べれば衰えていない……というより伸びてくる。やがて、年下がだんだん自分を追い抜いていく現実に直面する。優秀なナルシストほど年下に追い抜かれる日は遅くなる反面、優秀なナルシストほど年下に追い抜かれたときに衝撃を受けるかもしれない。
 
なにより、可能性。
若い頃のナルシシズムには天井がないというか、自分には可能性があるとか、何者かになれる余地があるとか、まあなんでも適当に夢想できた。夢があれば、自分を過大評価することも、自分を騙すことも難しくはない。
 
けれども年を取ってくればキャリアの限界、人生の限界がみえてくる。少なくとも若い頃のナルシシズムのような、青天井の夢はみられない。伴って、自分を過大評価することも、自分を騙してプライドや自信を保つことも難しくなる。
 
こうやって、若い頃にはナルシシズムを割と簡単に成り立たせていた与件が、だんだんに失われて、ナルシシズムを成り立たせるための手段が難しくなってくる。または、ナルシシズムを成り立たせる手段の条件が厳しくなってくる。危うし!中年のナルシスト!
 
もし、中年のナルシストがいままでどおりにナルシシズムを成り立たせようとしたら、途方もない努力と運が必要になる。美容や健康に全力を尽くし、優秀であり続けようと七転八倒し、キャリアや人生の地平線の向こう側にフロンティアを見つけようとする。もし、それらに成功すれば中年ナルシストはそのままナルシストをやっていけるかもしれない。
 
だが、狭くて険しい道ではある。
美容や健康はだんだん保ちにくくなる。十分に有能で、若手にも負けない自分自身であり続けるのは大変なことだ。出世に負けたり人間関係に失敗したりすれば、キャリアや人生の地平線は簡単に黄昏に沈む。若かった頃と同じぐらいナルシストで通すためには、よほどの努力、よほどの秀逸性、よほどの幸運がなければ無理だろう。あるいは冠絶するような業績か。たいていの場合、そうもいかないので途中でナルシストをやってられなくなる。
 
だけど本当はそれでいいのだと思う。あきらめたり、身の程をわきまえたり、ぐったりしながら、それでも人生は続いていく。そうやってナルシストの度合いをすり減らしていける人は、健康で柔軟だと思う。ただ、みんなが健康かつ柔軟にナルシストの度合いを減らしていけるわけでもない。ぎりぎりまでナルシストを突っ張って疲れ果ててしまう人もいる。どうしてもナルシストを続けたくて、あさっての方向に向かって旅立ってしまう人もいる。そしてたぶんだけど、ナルシストを続けられないことに我慢ならなくなり、死んでしまう人だっている。
 
世の中には「中年の危機」という言葉があるけれど、少なくともナルシストにとって中年はひとつの試練だと思う。なぜなら若かった頃に成立していたナルシストとしての心の経済学が、生物としての加齢や社会的な加齢によって成立しなくなっていくからだ。
 
 
【どこから自覚し、どうやって畳んでゆくのか】 
 
こうした中年ナルシストの道の狭さや険しさは、実感する時期に多少の前後があるとも思う。早ければ三十代前半に始まるかもしれないし、幸運でタフで優秀なナルシストなら五十代になって始まるかどうかかもしれない。何歳ぐらいで狭く険しくなるのかはさておき、加齢によって狭く険しくなるのがナルシストの道だとは思う。
 
私はナルシストであることを悪いことだと思っていないし、自分にそういう性分があることを仕方がないことだとも思っている。どうせなら、よく訓練されたナルシストとして社会に溶け込んでいきたいとも思う。それでも加齢に伴ってナルシストとして生きる根っこのところが煤けてきている自覚は持っておいて、ついでにひとつの教訓として年下のナルシストに知ってもらいたいなとも思う。ああ、この望み自体が私のナルシシズムの発露なのだからどうしようもないですね。それでも、これは私の目の前に広がっているひとつの風景なので、こうやって文章化したものが誰かの参考になったらいいなと願う。