シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

今のネットでアニメ辛口批評なんてできたもんじゃない

 
 
 


 
 
メンヘラ.jpの小山さんが難しいことをツイートしていて、私も難しい顔になってしまった。
 
この手の「最近のオタクコンテンツは~」「ヒロインが可愛いだけ」「薄っぺらい作品」といったフレーズからは不穏な、そして間違った印象を受けずにはいられない。ヒロインが可愛い作品は多いまではいいとして、薄っぺらい作品ばっかりと言って良いものか……。もちろん薄っぺらい作品だって必要なので、この場合は、薄っぺらい作品"ばかり"かどうかが問題なのだけど。
 
「オタクは好きな作品の悪口を吐き続ける生き物」というのもわからない。そういうオタクもいるだろう。でも、大半のオタクはそこまでひねてはいない。90年代でもたぶんそう。また、私のように「一番好きな作品については上手く言えなくて、もどかしい思いを抱え続けている」オタクだっていたはずだ。
 
それでも、小山さんのツイートには頷かずにいられないところもある。
 
 
今は、アニメファン同士がタイムリーに作品について語り合い、「いいね」「シェア」しあう時代だ。辛口批評を独りでセコセコ作るより、みんなと一緒に「いいね」や「シェア」を共有したほうが、承認欲求や所属欲求を簡単・確実に充たせる。フォロワー数を増やしたい・広告収入につなげたいといった野心を持っている場合も、辛口批評でモノ申すより「いいね」や「シェア」を共有する人々におもねったほうが見込みがありそうだ。
 
そのうえ、辛口批評を繰り出せば多くの人に嫌われたり馬鹿にされたりするリスクも高い。たとえ、知識や文献にもとづいて辛口批評が行われていたとしても、「いいね」や「シェア」で共有されている作品に楯突くこと自体、リスキーであり、心理的障壁が大きく、報われにくい。
 
アニメがコミュニケーションの触媒として、つまりファン同士が承認欲求や所属欲求を充たしあうための触媒として用いられている21世紀のSNSやネットのなかで、「いいね」や「シェア」の環に背を向け、一人で「辛口批評」をセコセコと作り続けるのは、よほどタフじゃないと無理だろう。というよりそんな動機が簡単には生まれそうにない。
 
[関連]:Twitterにおける映画感想がダメなものになりがちな理由 - THE★映画日記
 
たとえば、ここでDavitRiceさんが述べている映画感想についての話を他人事と言い切れるアニメファンやゲームファンは、今のSNSにいったいどれだけいるだろう?
 
 

素人批評がサーチアンドデストロイされてしまう

 
それともうひとつ。
辛口に限らず、好きなように書いた素人の批評がすぐ発見されてしまい、手ごろな批判対象とみなされるや、駆逐されてしまうという問題もある。
 
たとえば2018年の12月頃、はてなブログで「ハルヒ美顔革命」という『涼宮ハルヒの憂鬱』評を若い人が書いた。
 
涼宮ハルヒ美顔革命論について各方面の反応 - Togetter
[B! オタク] ハルヒ革命と保守・新自由主義化するハルヒ世代 - 美少女と僕らのセカイ
 
この「ハルヒ美顔革命」は突っ込みどころの多い批評で、案の定、たくさんの人から否定的なコメントを集めていた。記事は、一週間ももたずに非公開となったように記憶している。
 
突っ込みどころの多い批評に注目が集まれば、たくさんの人から突っ込まれるのはおかしなことではない。一週間もたたずに非公開になったのも、少しスタミナ不足だったかもしれない。だがそれ以上に戦慄せずにいられないのは、今の時代、泡沫アカウントが初々しい批評をやらかしていても、嗅覚の利くベテランにあっと言う間にサーチアンドデストロイされてしまう、ということだ。
 
この「ハルヒ美顔革命」にしてもそうで、発見され、拡散され、たちまちベテランたちの知るところとなり、あっという間に消費、もとい批判されてしまった。
 
海千山千のベテランたちからみれば、稚拙で、雑で、間違いだらけの批評だったろうから、知られてしまえば八つ裂きになってしまうのはわかる。また、間違いだらけだからこそ、今のSNSでは絶好の狩りの獲物だというのも理解している。だけど、若いうちはああいった勘違いアニメ批評をやらかすのはよくあることで、いきなりベテラン勢に納得していただける批評を書ききれる人は少数派だ。
 
 


 
 
 
泡沫アカウントによる出来の悪い批評が、たちまち発見され、たちまちデストロイされる環境では、おいそれとはアニメ批評なんてできっこないし、志す人は増えないだろう。志す人が増えなければ、アニメ批評はしりすぼみだ。それで構わない、という向きもあるだろうけどアニメが元々ユースカルチャーであることを思えば、若い人が過ちをおそれず自説を開陳できる環境や雰囲気はあったほうがいいと思う。
 
出来の悪いアニメ批評がたちまちサーチアンドデストロイされてしまう現在のSNS環境やネット環境は、清潔だが、豊穣とはいえないと私は思う。このアニメ批評の状況を海に喩えるなら、プランクトンや小魚が生存不可能な澄みきった青い海に、大きな鮫ばかりが泳いでいるような、そんなイメージを思い浮かべる。
 
90年代~00年代前半の、まだウェブサイト同士がリンク集で繋がりあっていた時代には、時間をかけてネットサーフィンを進めるうちに、奇怪なアニメ批評やゲーム批評を記した素人のウェブサイト群にたどり着くことがしばしばあった。そういう辺境のウェブサイト群が、人知れず、数か月~数年にわたって狂い咲いていたりしたものだ。
 
しかし、現在のSNSやインターネットのアーキテクチャは、奇怪な批評が咲き続けることを許してはくれない。誰かが見つけて、ワンタップで手が届くようにリンクを貼ってしまえば、そこはもう、インターネットの辺境でも日陰でもなくなる。あっという間にシェアされ、摘み取られてしまう。
 
簡単にシェアし、簡単にリンクできてしまう現在のSNS・ネット環境には、辺境や日陰はあって無いようなものだ。辺境や日陰のつもりが、いきなり中央や日向に引っ張り出されてしまう。このような環境では、未熟・奇怪・出来の悪い批評が生存していられる時間は短いだろう。
 
それが嫌なら非公開にするしかないわけだが、「公開だが読む人が著しく少ない」と「非公開」の間には越えられない壁があるので、これは難しい問題だと思う。
 
 

「間違いにもとづいた批評はフェイク」問題

 
さらにもうひとつ。
 


 
誤った認識や知識をもとにアニメやゲームを批評した場合、それが「フェイクニュースを流す」と解釈されてしまう可能性は(2020年の現状では)あってもおかしくないし、事実上のフェイクニュースとして流通することがあり得るようにもなっている。「出来の悪い批評を容認する」スタンスが「ネットにフェイクが溢れ、ネットが汚染されることを許容する」スタンスと受け止められたとき、いったいどう申し開きをすればいいのか。
 
私は、批評や評論、感想には絶対の正解は無く、その時点の知識や体験にもとづいて各人が感じたものをメンションすればいいと思っている。しかし、作品内容と食い違ったことを批評や評論として書き、それが食い違っていないファクトのような面構えで流通してしまった時、フェイクニュースのように取り扱われても文句は言いにくい*1だろう。
 
 
 
こうした諸々を踏まえると、今のネットでアニメ辛口批評なんてできたもんじゃないと思う。ゲーム辛口批評もまた然り。いや、知識も経験も豊かなベテランが完全装備でやればできなくはないかもしれないが、一般にはリスクとコストに見合わない。到底、ルーキーが気楽に挑めるものではあるまい。
 
そうしたなか、ますます「いいね」と「シェア」のコミュニケーションへとファンが流れ、批評や評論や感想が記されなくなっていけば、作品の受け取り方も、作品の作り方も変わっていくだろうし、現に変わり続けている。是非はともかく、今はそういう時代なのだと思う。
 

*1:補足:ファクトと食い違った知識をもとに書いてしまったメンションが、後になって食い違っていたと判明した場合、筆者は間違いを含んでいたことをアナウンスしたり、修正したりできる。ただ、たとえば現在のtwitterでそれを実行し、かつ周知されるのは簡単ではあるまい