この写真は、3月10日に「北イタリアのワインを飲んで北イタリアを応援する」とツイッターに書いて投稿したときのものだ。当時は、私の好きなワイナリーがたくさんある北イタリアが感染の渦中にあったので、ファンとしては飲んで応援しよう、みたいな気持ちになっていた。
オタクの世界には「ひいきのコンテンツにはお金を出して応援する」というカルチャーがあり、お金を出して応援することを「寄付」とか「お布施」と呼んだりする。ひいきのワイナリーにしてあげられることは、そのワイナリーのワインを買って飲むことに違いないから、意識してワインを買わなきゃ、あわよくば宣伝しなきゃとか思ったりした。
ところが一か月の間に感染はすさまじい勢いで広がり、フランスも、ドイツも、スペインも、カリフォルニアも感染のるつぼと化してしまった。「飲んで応援」すべきワインが多すぎて困る。いやいや、逆に考えるべきだろう。もう、世界のどこのワインを飲んだって応援になるわけだから、ひいきのワインを好きなように飲もう。ということは、平常運転のワインライフを過ごすこと、今までどおりにお金を費やすことがワインファンとしてすべきことのような気がしてきた。
こんな時期だからこそ、ひいきのワインをしっかりひいきしようと思う。
飲み屋やレストランに通えないのが辛い
ただ、なにもかも平常運転というわけにはいかない。
この感染騒動のなかでひいきのワインバーやレストランに通うのは難しい。3月中旬あたりまでは積極的に通えたけれども、4月以降は本格的に外食しづらい雰囲気になってきた。もし自分が感染してしまったら家族にも職場にも迷惑をかけてしまうから、せいぜい、テイクアウトできるものをテイクアウトするしかない。そうこうするうちに、臨時休業するお店も出てきてしまった。
ひいきの飲み屋やレストランは、ただ飲食する場所ではない。お店の居心地やお店の人とのコミュニケーションにも救われている場所なわけで、閉塞している今だからこそ、本当は行きたくて仕方がない。行って好きなものを食べて、ちょっとお店の人と過ごせば、さぞ、気持ちがまぎれることだろう。
ところが当局の発表によれば、そういう飲食は自粛してもらいたいのだという。
このご時世、飲食店は苦しい状況にあると思う。だというのに感染や世間体を考え、飲食しに行くことを自粛してしまっている自分がいる。応援したいのに(なにより好きな酒を飲み、うまい食事がし、良い雰囲気に癒されたいのに)、それができない。
飲食したい場所で飲食することが封じられるのが、これほど歯がゆいとは思わなかった。
夕暮れまでは飲めない
花見にも出かけられず、家で過ごす機会が増えると、つい、朝から飲もうかなんて気持ちになる人もいるかもしれない。「花見をしていれば今頃飲んでいるはず」「あそこでランチを食っていたらワインを頼んでいたはず」なんて思っている人もいるだろう、というか私はそういう気持ちになることがあった。昼間から飲めば、世間のうさも不安も晴れるやもしれない。
ただ、こういう時期だからこそ、日没までは絶対にワインを飲まないよう自分自身を戒めている。
私は昼間からワインを飲むのがいけないことだとは思っていない。たとえば花見、たとえば冠婚葬祭、そういった特別なイベントの時に、他人とワインを酌み交わすのは素晴らしいことだ。人類文化の、捨ててはいけない一部分だと思う。
けれども、あくまでそれは特別な場面の、非-日常のなかでのこと。
日常生活に昼間から飲む習慣が入り込むのは、かなり怖い。少なくともそれが習慣になってしまい、クセになってしまうと身体のためにもワインのためにもならない。手持無沙汰と称して昼間からアルコールを飲むのはキッチンドリンカーへの道であり、アルコール依存症のリスクを高めるものでもある。
ワインに限らず、アルコールとの付き合いには節度とルールが必要で、節度やルールが守れない飲み方は悪い結果をもたらしやすい。もし、本当にワインが好きで、長く付き合っていきたいなら、アルコールで身を持ち崩すことのないよう気を付けなければならない。
私は在宅勤務ではないので、節度やルールを守りながら「世界のワインを飲んで応援」するのは比較的簡単だ。けれども在宅勤務になった人が昼間からアルコールに手を伸ばすと、節度やルールが壊れてしまうおそれがある。節度やルールが壊れてしまうと、ワインといえども宝物から毒物になってしまう。在宅勤務になった人におかれては、「世界のワインを飲んで応援」する際にはよくよく気を付けていただきたいと思う。