2018年、私がいちばんのめり込んでいたゲームは間違いなく『FGO』だった。
この、世界的な売り上げを誇るソーシャルゲームのガチャを回しまくった結果として、2018年の夏イベントでは、★5サーヴァントに目がくらみ、なし崩し的に課金するという、衝動的な行為に走ってしまったのだった。
で、お正月がやってきた。
『FGO』は、盆と正月に派手なガチャイベントを繰り出してくる。いつもは絶対に手に入らない優秀な★5サーヴァントが、日替わりでガチャメニューに登場するのである。
このリストには、私が欲しくて欲しくて仕方の無い★5サーヴァントが3人載っていた。ギルガメッシュ・スカサハ・葛飾北斎の3人はものすごく強力で格好良く、いつも指をくわえて眺めていた。ついでに言えば、ネロ・クラウディウスだって欲しいしジャンヌ・オルタも欲しいといえば欲しい。
要は、どれも欲しい。
2018年の夏は「あれも欲しい、これも欲しい」と欲をかいたあげく、どれも手に入らず、なし崩しに課金するという前頭葉の敗北を喫した。
だが!
今回こそは欲望には負けない! 負けるものか!
この正月に備えて、私は数か月かけて作戦を仕込んでおいた。
1.2019年1月1日までに聖晶石500個相当のリソースを蓄積する。それまでは基本的に聖晶石は温存する
2.目当ての★5サーヴァントは一人とする。もし、葛飾北斎がいる場合は葛飾北斎にリソースの70%以上を投入する。
3.それ以外の★5サーヴァントは聖晶石30個以下のリソースしか投入しない。
4.どんなに嘆き悲しもうと課金は追加しない。『FGO』関連の予算は新年度まで通さない
5.合計2体の★5が来れば満足すべきである
徹底したガチャの統制。
計画経済。
そういうことを4か月ほど自分に言い聞かせ、ガチャの方法も事前に取り決めたうえで正月に臨んだ。
「どうしてこんなに欲しがってしまうのか」
『FGO』の正月ガチャイベントは、いわゆる「福袋ガチャ」で始まる。
「福袋ガチャ」とは、一人一回かぎりの特別なガチャで、確定で★5サーヴァントが1体(ときには2体以上)出てくる。私はこれで、いきなり★5を二つ当ててしまった*1。
ラッキーな滑り出しだが、前回、これで調子に乗って無秩序なガチャに突入してしまった反省がある。
本命の葛飾北斎にリソースを集中させるために、そこから私は、ケチケチとガチャを回すことにした。
ところが、FGOの神はどこまでも気まぐれだった!
1月1日、最初の10連でいきなり★5のギルガメッシュを召喚。本当はのどから手が出るほど欲しかったけれども心のなかで諦めていたのに、新年早々、「運を使い果たしたな雑種!」というありがたい御訓示を賜ることになった。
続いて1月6日。
気まぐれで1回だけ回したガチャでいきなり★5の紅閻魔が出て腰が抜けた。
『FGO』のガチャで★5が出る確率は1%、一度のガチャで聖晶石を3個消費する。ということは、大まかにみれば★5が2人というのは聖晶石600個ぶんである。
もちろんこんなものは目安でしかなく、★5は出る時には出るものだし、出ない時には出ないものではある。けれども私は「ああ、これはもう駄目かもわからんね」という気持ちになっていた。
ところが、実際に葛飾北斎のガチャを回す日がやってくると、底知れない「欲しい」という気持ちが湧きあがってくるのである。
もう、十分に★5は手に入れたではないか。しかも、そのうち一人は英雄王ギルガメッシュで「運を使い果たしたな雑種!」という御訓示までいただいている。だというのに、どうして私はこんなに葛飾北斎が欲しいのか?!
最初のうちは、私は丁寧にゲンを担ぎながらガチャをまわしていた。世の中には、迷信に惑わされながらガチャを回す人々がいるが、私もその一人である。
www.inside-games.jp
上記リンク先でいえば、私のゲン担ぎは、「単発教」と「強化大成功教」に近い。最初のうち、私はゲン担ぎを丁寧に守っていたが、30回ほどガチャをまわしているうちにだんだん粗くなってきた。そのうち、我が家では禁忌とされている「10連ガチャ」を回すようになってしまった。
うへぇ、ひどい10連。
負け犬気分でガチャを回していると、ガチャの一回一回が空しくなってきて、だんだん辛くなってくる。それぐらいなら、いっそ10連ガチャをまわして玉砕し、この苦しい気持ちから早くオサラバしたほうがいいのではないか。
そもそも、どうしてこんなに「欲しい」という気持ちが高まってくるのか意味がわからない。ソーシャルゲームのカードなんて、ただの電子データではないか。だというのに、ガチャを回すほど、聖晶石が減っていくほど、おのれの執着で息が苦しくなってくるのである。
最終的には、玉砕玉砕と騒ぎながらガチャを回す私を見るに見かねた嫁さんが、「一枚ずつ、ちゃんとゲンを担いでまわしましょう」といってスマホを取り上げて、かわりにガチャを回し始めて、
この恐ろしい地獄から生還することができた。
ありがとう嫁さん、ありがとう葛飾北斎。
課金を防ぐことはできた。だが、欲しがることは防げなかった
2018年夏の悲劇をふまえて、今回は万全の統制をしいたうえでガチャに臨み、どうにか私は課金は免れた。
念願の葛飾北斎をお迎えできたという意味では、私は「勝った」と言えるだろう。
しかし、「欲しがり過ぎたあげく、ガチャに苦しみ抜いた」という意味では「敗北」である。
課金を防ぐことはできたものの、途中からはやけっぱちになり、終盤は「玉砕玉砕」と騒ぎながらガチャを回す一匹の獣になっていた。嫁さんが言うには「お前、泣いていただろ」、とのことである。
大の大人がガチャに心を奪われて獣になったり、なし崩しに課金に走ったりするのは、ガチャにコントロールされていること・ガチャに負けていることだ。
結局また、私はガチャに呑まれてしまったわけだ。
ガチャに試される前頭葉。
遊びとしてはとてもシンプルだが、なんという深淵。
それでも私は準備し、計画的課金するのだろう。
今年の夏イベントのために。来年の正月イベントのために。

- 作者: ドストエフスキー,原卓也
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※2018年夏のガチャについてはこちら:「ガチャは悪い文明」だとやっとわかった - シロクマの屑籠
*1:補足:はてなブックマークにて「福袋ガチャは課金聖晶石」とのご指摘がありましたが、これは2018年夏の残存戦力です。