シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

年下のオタが「俺らはおっさんだー!」と叫ぶのを見てグラグラした

 
 先日、自分よりも一回り年下の人々、年齢にしてアラサーぐらいとおぼしき人々が「俺らはおっさんだー!!」と叫んでいる場所に飛び込んで、ちょっとグラグラすることがあった。
 
 
 1.
 
 都内で編集者さんと打ち合わせをした後の午後九時、私はそこにいた。
 
 店内には“古き良き”20世紀のゲームや漫画のポスター、関連グッズなどが飾られ、ゲームBGMやアニソンが大音量で流れていた。大きな投影型スクリーンには、DJの選んだものであろう、アニメやゲームの映像が浮かび上がっている。その空間で人々は酒を飲み、煙草を喫し、リズムを楽しみ、語らいに耽っているのだった。
 
 知人が言うには、今日は客層が若い部類なのだという。「普段は平均年齢がもっとあがって、40代になりますよ」「ここは、懐かしいコンテンツの場所ですから」──彼の話を聞きながら店内を眺め直してみると、確かに、ほぼ全員がアラサーぐらいにみえる。酒に対する態度をみるにつけても、自分より一回りぐらい若々しい。自分はもう、あんなにアガった酒の飲み方を数年以上やっていない。これから先、未来永劫やらないかもしれない。
 
 コロナビールを飲みながらボンヤリと投影型スクリーンを眺めていると、気が遠くなるような幸福感に包まれて、ああ、こういう場所もいいものだなと思った。『Air』『水月』『Fate Stay/Night』といった遠い昔のエロゲ―が現れることもあれば、『この素晴らしい世界に祝福を!』『けものフレンズ』『りゅうおうのおしごと!』といった最近のアニメが現れることもある。映像が切り替わる際に、「萌える」というタイトルを見た気がした。なるほど、「萌える」か。だから今、幸福感に包まれているのか。
 
 「萌える」という言葉は、少なくともパソコン通信時代から存在し、2010年頃までにピークをこえて、最近はあまり見かけなくなった。
 
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 ゲーム。アニメ。ライトノベル。
 
 そういったジャンルの垣根とは無関係に、「萌える」という言葉が使われていた一時代があった。そして今、眼前に映し出されている映像も、鳴り響くゲーム音楽やアニソンも、「萌える」というキーワードで取り揃えられていて、それがコロナビールとともに五臓六腑に染み渡っていく。どうやら今宵のDJは、2010年代のコンテンツも含め、「萌える」という言葉がよく似合うセレクトを心がけているようだった。
 
 
 2.
 
 ビールのおかわりを受け取っている時、唐突に大きな歓声があがった。往年のエロゲ―『君が望む永遠』や『CROSS†CHANNEL 』、さらに『らき☆すた』や『けいおん!』といった、懐かしのメドレーに重なる、幾つかの野太い声。甲高い声。
 
 「俺らはおっさんだー!!」
 「おっさんマジサイコー!!」
 
 
 そのとき、世界がぐらりと揺らいだ気がした。お店にたゆたう私よりも一回り若い人々が、懐かしのコンテンツを眺めながら意気投合し、拳をあげて、祝杯をあげている。
 
 そのことに私は驚き、驚くのをやめるのに数秒かかった。
 
 私は自分が中年になっていることはよく理解していたけれども、自分より一回り若い世代が中年を名乗っているのを見たことがなかった。いや、ネット上で30歳ぐらいのアカウントがおっさんを自称しているのはまったく珍しくない。けれどもネットではない場所で、年下の人々、それも一人や二人ではなく十数人もの人々がまとまっておっさんを名乗っているのを見るのは初めてだった。
 
 自分より肌つやが良く、相対的に若い酒の飲み方をしている人々が、おっさんを自称しあって、アガっているのである。
 
 それともうひとつ。彼らが「萌える」コンテンツに懐かしさを感じていることに私はうろたえていた。誰にだって歴史はあるし、思い出もある。それは当たり前のことで、本来なら驚くに値しないことなのだけれど、年下の人々が「萌える」コンテンツを懐かしのコンテンツとして受け取っていることに、私は時の流れを感じ、うろたえてしまったのだと思う。
 
 急にアルコールが回ったような気がした。
 
 普段はワインやリキュールを飲んでいる私にとって、コロナビールのアルコール度数などたかがしれているはずなのに。
 
 ああ、そりゃあ俺も中年になるわけだ、とも思った。自分より十歳は若い人々が、おっさんを自称しあいながら、「萌える」コンテンツを懐かしみ、歳月を思い返す時代がやってきたのだ。きっと私は、この感慨をこれから何度も何十度も反芻しながら生きていくのだろう。自分自身を見つめていなくとも、年下の人々の変化を見つめていれば歳月は実感できる。いつかは、自分より年下がおっさんを名乗ったりおばさんを名乗ったりする日が来る。そんな当たり前のことでも、知識として知るのと眼前の現実になるのでは、実感がまったく違う。
 
 しかし彼等を羨ましがる道理はどこにもない。きっと私だって数年前に同じ道を通ってきたはずだし、そんな私の姿を数歳年上の人が見て、似たような感慨をもったに違いないからだ。
 
 
 3.
 
 一時代を共有した者同士が集まって、思い出のコンテンツを振り返り、「俺らはおっさんだー!」「おっさんマジサイコー!!」と拳をふりあげる姿は、年下世代からみて心地よい風景ではないかもしれない。しかし、都内にはそういうことを気にしないで済む空間がほうぼうにあり、好きな酒を飲みながら懐かしい映像や音楽に耽れることを、その日私は知った。まだまだ知らないことばかりだ。