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リンク先は、ゲームカルチャーの変遷と、それが社会にどんな具合に溶け込んでいったのかについて書いた文章です。
この文章の後半に、web小説で一定の支持を集めている異世界転生チートもの、とりわけ“内政モノ”とも呼ばれるような作品群について、『シビライゼーション』のような内政が重要なシミュレーションゲームからインスピレーションを受けているんじゃないかと書きましたが、このあたりについてもうちょっと書きたいことを書きます。
『まおゆう』を観た時から、「これはゲーム的だ!」と思わずにいられなかった
狭義の“内政モノ”には含まれないかもしれない作品も含めて、web小説には、異世界に近現代のテクノロジーを持ちこんだ主人公が、そのテクノロジー格差を利用して活躍する作品がそれなりあります。
まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」(1) (角川コミックス・エース)
- 作者: 石田あきら
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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 第一部「兵士の娘I」
- 作者: 香月美夜,椎名優
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『本好きの下剋上』や『まおゆう魔王勇者』などは、『シヴィライゼーション』が大好きな私には、「エディタ使ってチートした時の無双プレイ」をそのまま作品したように感じられて、「おまえ、『シヴィライゼーション』を知っているだろう!!」「ついでに、エディタ使ってチートしたこともあるな?!」と疑いたくなってしまいます。
テクノロジーの格差が、国力や生活の質の格差に直結することを教えてくれるコンテンツは色々ありますが、シミュレーションゲームほど、それをわかりやすいかたちで見せてくれるものはありません。それ以後に登場した、現在の“内政モノ”なweb小説では、テクノロジーの格差がさらに鮮やかに読み取れて、ひとつのエンタメとして成立しているわけですが、テクノロジー格差を活かした無双がエンタメたり得るということを世に広めた一翼として、『シヴィライゼーション』のようなテクノロジーツリーの重要なシミュレーションゲームと、それの動画配信の存在を忘れてはいけないように思うのですよ。
たとえば『シヴィライゼーション』の動画配信で人気を集めていたスパ帝のような配信者は、該当ジャンルの立役者とまではいかなくても、人気動向の援護射撃ぐらいにはなったんじゃないかと、個人的には思っています。
『シヴィライゼーション』のようなゲームの知名度が高まり、テクノロジー格差がエンタメたり得ることを知った人が増えたことによって、“内政モノ”の作品が作られる余地も、人気が集まる余地も、大きくなったんじゃないか、ということです。
- 作者: カルロ・ゼン,篠月しのぶ
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また、『幼女戦記』にしても、用兵周りのストーリーを読んでいるうちに、私は『Heart of Iron』シリーズを思い出してしまいました。もっと言うと、ゲーム本体の物語化というより『Heart of Iron 2』のAARを物語化したような感触がありました。ゲームの小説化というより、ゲーム実況の小説化といいますか。
実際、筆者の方へのインタビュー記事を読むに、その筋のシミュレーションゲームへの造詣の深さがうかがわれたので、無関係ではないような気がします。
[関連]:【アニメ最終回】『幼女戦記』作者と人気ゲーム実況者グルッペン総統が対談。この歴史SLGオタクどもの濃厚トークの宴に呆れつつ放映時間を待て!?(司会:徳岡正肇)
テクノロジー格差を活かした無双、という意味では、『異世界食堂』も同じ範疇に入れても良いのかもしれません。あの作品、色々な方面からインスパイアされなければ思いつきそうにもない作品ですが、そのひとつに、「テクノロジー格差を活かした無双はエンタメになる」という着眼が含まれているのではないでしょうか。
- 作者: 犬塚惇平,エナミカツミ
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ねこやのマスターも、あれはあれで大した人物ですが、彼の活躍のバックボーンには、冷蔵、発酵、洗練された調理法、グローバル化した現代社会ならではの豊富かつ安価な食材など、テクノロジー格差の恩恵があります。そういう格差を大前提としているという点では、『異世界食堂』には、“内政モノ”と共通したエンタメ成分が含まれているように思われます。
一人のゲーム愛好家としては、自分が好きなゲームに近いテイストの作品、ゲームの実況やゲームの改造プレイが物語化したような作品が読めるのは嬉しいことです。そして、ゲームというコンテキストにそれらの作品が立脚している限りにおいて、そうした作品群が、今しか楽しめない・今だからこそ楽しむべき作品群だというのもなんとなく感じられます。
web小説、そのなかでも非常にゲーム実況寄りのコンテキストを持った作品からは、2020年代や2030年代まで読まれ続ける作品はほとんど出てこないように思われます。それでも、いや、だからこそ、こうした作品群は、今のうちに楽しんでおきたいものです。
異世界技術チートを「現代社会スゴイ」とみると……
話は変わりますが、異世界に近現代のテクノロジーを持ちこんで主人公が活躍するエンタメって、どこか「日本スゴイ」に似てませんか。
インターネットでは、テレビでよく見かける「日本のモノ・テクノロジー・カルチャーはスゴい」系の番組や視聴者への揶揄をよく見かけます。なぜ、「日本スゴイ」系の番組と視聴者が揶揄されなければならないのでしょう?
「スゴイのは日本のモノ・テクノロジー・カルチャーであって、視聴者のお前ではないから」という声や、「日本の良いところを抽出して、わざわざ余所持ち込んで自惚れているから」という声が聴こえてきそうです。
それなら、異世界に近現代のテクノロジーを持ち込んで無双している作品や視聴者も、同じように揶揄されて、残念に思われてもおかしくないのではないでしょうか。
異世界に転生した主人公が、近現代のテクノロジーを持ちこんで無双する、という図式は、先進国の人物が途上国にテクノロジーを持ちこんで現地で崇拝される、というのに似た雰囲気が漂っているように感じます。それ自体は、良いことなのでしょうし、良い物語なのでしょう。しかし、現地人の視点で描くならともかく、テクノロジーを持ち込む側の一人称視点で大筋を描くとしたら、なるほど、品が良くないと指摘する人は出て来るかもしれません。
そういう品の良くないスメルが強烈に漂わないよう、異世界側の人物描写や概念描写に力を入れている作品もあり、そこは、創作者側が工夫しているとしばしば感じるところです。それでも、物語の図式というか布置そのものは、多かれ少なかれ「日本スゴイ」ならぬ「現代社会スゴイ」であり、“内政モノ”的なweb小説のエンタメ成分の一部が、そうした図式や布置に依っている点は否定できません。
ちなみに私は、「日本スゴイ」も「現代社会スゴイ」も、エンタメである以上、需要に対して供給があって然るべきだと思いますし、自分も割と好きなほうなので、一定のシェアを保ち続けて欲しいと願っています。サブカルチャーたるもの、いろんなエンタメがあったほうが良いに決まっていますし、“お上品”な人達から少し悪く言われるぐらいでも構わないのではないでしょうか。楽しんでいきましょう。