www.dshocker.com
こんにちは、大彗星ショッカーさん。いや、中川龍さんとお呼びすべきだと思うので、ここからは、中川さんとお呼びします。お久しぶりです。お互い、こうやってインターネット上で消息が続いていること、ご壮健でいらっしゃることを嬉しく思います。
中川さんの記事で、
彼らは、はてな村周辺になんか昔からいる、ひたすら趣味やオピニオンについて語っている人達です。
彼らは収益化を目的としていないので、とくに何かを達成したわけではありません。
しかしそれでもひたすら文章を書き続けています。
時にはブログを通じて喧嘩しあったりしてます。
ようするに「奇人変人」の類です。
と書いていらっしゃいました。
奇人変人認定ありがとうございます。「はてな村の奇人変人」と書かれると、ああ、そういう風にみえるのかという感慨の後に、そうかもしれないな、という納得が追いかけてきました。また、中川さんは
彼らはネガティブだし、陰湿だし、人の悪口が多い。
だからあんまり合わないんですよね😢
でも彼らもブロガーとして存在していることは事実なので、せっかくなので入れてあげてください。笑
と付け足すのを忘れませんでした。
私は、10年前と比べれば1/4ぐらい、5年前と比べても1/2ぐらい、人の悪口を書かないように心がけてきたつもりですが、まだまだ修行が足りないと反省をしました。どんなに繕ってみせたところで、私の性根はそれほどキレイではなく、功徳が足りないのでしょう。
中川さんについても、かつて、良くない言及をtwitterでしたことがあるのを私は覚えています。当時の中川さんの活動に、私が疑問を感じていたのは事実でしたが、それは口に出すべきではない、大きなお世話のたぐいだったと今は思っています。
私自身がネットでやりたかったことと、当時の中川さんがネットでやろうとしていたことのギャップを、あの頃の私は許容できていなかったのでしょう。世代も境遇も目的も違う者が、ブログという共通の媒体を使っているというだけで、同じであるべきだと思ってしまう程度には、私は浅はかだったのだと思います。
さて、今回、中川さんは、藤沢篤さんがつくった「Blopedia」なるものに言及しておられました。
ブロガー界の地図「ブロペディア」 | ふじさわブログ
この「Blopedia」は、発表のすぐ後から私も知っていました。
しかし、ブロガー界の地図をうたったこのリストに、自分の名前はもとより、自分が敬愛する(旧)はてな村出身のブロガーも、あるいはfinalventさん、ohonosakikoさんといった、もっと年上で、私以上に「奇人変人」的にうつるかもしれない、しかし内容のまっとうなブロガーの名前は出てこないだろうとも予測していました。
はたして、一読してみると、私のような「奇人変人」はもとより、さきに挙げた、もっとキャリアの長いブロガーや、はてなブログ~Books&Apps方面で活躍している綺羅星のようなブロガーの名前も発見できませんでした。「Blopedia」の掲載基準条件を確認したところ、私は完全にクリアできているようでしたが、藤沢さんのブログ世界には私は存在しません。
そうしたこともあって、私は、この「Blopedia」なるリストを、ひとつの世界観としてまずは眺めることにしました。編者たる「藤沢さんにとってのブログ世界」がここに網羅されていると捉えれば、そこから読み取れる世界もあるでしょう。
「Blopedia」は、ある種の秩序だった考えや約束事にもとづいた世界のように、その外側に位置付けられた私には読めました。年来のブログ勇者であるコグレマサトさんが、なぜか第二世代という不自然な位置に存在していることにも意識を差し向けながら、この、「Blopedia」に記されたブログやブロガーがどのような序列関係にあって、どのような秩序世界がここに記されているのかを私なりに推測して、しばし楽しみました。
ま、私のようなブロガーを「Blopedia」に載せても、編者側になんにもメリットが無いということは、よく察せられました。
ふたつのブログ世界の両方が見える人
そういう、きっと美しい秩序と序列で完成したブログ世界であるところの、藤沢さんの「Blopedia」を、ちょっとわかりやすくしてくれたのが中川さんでした。
中川さんは、「Blopedia」で示されたブロガー世界のウチとソトの両方を知っている、否、意識せずにはいられない人だったのでしょう。「Blopediaには、はてな村の奇人変人が載っていない」というご指摘は、「Blopedia」の秩序だったブロガー世界の外側にも、まがりなりにもブロガーが棲息していることをさし示すものでした。
「Blopedia」を作った藤沢さんが見ているブログの世界と、私が親しんでいるブログの世界は、たぶん水と油に近いものなのだと思います。双方が混じり合う機会は、あまり無いのでしょう。
対して、中川さん、それからたぶんヒトデさんあたりは、両方のブログ世界を知っているのですよね。そういう立ち位置にある中川さんからは、ブログの世界の全体はどのように映るのでしょうか?ブログの此方と彼方を、どんな風にご覧になっているのでしょうか?
あっ、答えは出ていましたね。
「奇人変人」が私が親しんでいるブログ世界に与えられた名称でした。
しかし「奇人変人」とはいえ、世界に存在すると認識されるだけでも、嬉しいものなのだなぁと私は感じました。中川さんにはそれほど良い思い出が無いかもしれない、はてな村近辺のことを覚えていらっしゃって、とりあえずも言及してくださったこと、深く感謝します。
おそらく、「奇人変人」という評は、2017年のブログ世界において、適切なのでしょう。“いわゆる”ブログ世界の主要な価値観は、「Blopedia」のようなもので、どこをどうあがいても、私のようなブロガーや、私に近いスタイルのブロガーは「奇人変人」の少数派なのでしょう。そのことを胸に刻み付けて、それでも私は自分がやりたいブログライフをこれからも続けていきたいと思います。
ところで中川さん、タロット占い、怖くないですか?
この機会に、中川さんにタロット占いのことについて聞いてみます。というより、中川さんに質問する体裁で、私の、タロットカードに対する畏れを吐き出させてください。
中川さんは、タロット占いを専業されているので、たぶんそんなことはないと思うのですが、私はタロット占いが怖くて仕方がありません。
私は、二十代の前半にライダー版のタロットに出会い、しばらくの間、夢中になっていました。ことの始まりは、ひとりのタロット占い師に教えを乞うたこと、それからこのタロットのサイトを発見したことでした。90年代の終わりにこのサイトに出会って、まずは大アルカナ/小アルカナの意味を暗記するまで読みました。そこを出発点として、あれこれ勉強したり、タロット占いの実践に励んだ時期もありました。
しかし、やっているうちにだんだん怖くなったのです。
私がいちばん慣れ親しんだタロット占いは、ケルト十字法でもヘキサグラムでもなく、五枚のカードを使ったものでした*1。
1.[大過去・本来持っている性質]
2.[近い過去にあったこと]
3.[現在の状態]
4.[近い未来に起こること]*2
5.[遠い未来に起こること]*3
専らこの方法でやっていたのですが、とにかく当たって当たって、おっかなくなってしまったのです。
私がタロット占いに凝っていたのは2000~2005年頃でしたが、この時期に行ったタロットの予後を追いかけてみると、百発百中とはいかないまでも、かなりの精度で的中していました。5.遠い未来に金貨のクイーンを引いた人は円満に結婚し、ソードの5を引いた人は波乱に満ちた状況に陥り、恋愛相談で死神を引いた人は当然のように別れました。もっと穏当なカード、たとえばワンドの2を引いた人や金貨の8を引いた人なども、それらと矛盾しない生活を過ごしているようにみえました。
そういった経験を繰り返すうちに、私はだんだん自分のタロットカードが恐ろしくなってしまいました。「タロットカードは人生のあらゆる場面を描いているから、当たったような気がするものに過ぎない」と反論する人もいるでしょうし、「印象強いものだけが記憶に残っているに過ぎない」と指摘する人もいるでしょう。タロットカードは自己成就の暗示を与えるに過ぎない、という人もいるかもしれません。それらを否定するすべを私は持ち合わせていません。
どちらにせよ、タロットカードが本当に人間の未来を覗いているかのような感覚に、私は参ってしまって、とうとうタロットカードで占うのをやめてしまいました。
中川さんは、たくさんの人のタロット占いを、より専業的にやっておられるので、こうした感覚に怖さを感じていないか、感じてはいるけれども上手く折り合いをつけて占いを続けておられるのでしょう。あるいは、プロフィール欄の記述どおりに、啓発の手法と割り切って使っておられるのかもしれません。
それでもタロットカードを手にしているからには、カードが示す内容と、クライアントから感じられる執着や願いや呪いとの合間に立って、いろいろなことを感じておられるのではないかとは思います。そのあたり、どうやって折り合いをつけていらっしゃるのでしょうか。結構、大変じゃあないですか?
タロットカードを見つめて、クライアントをも見つめている中川さんは、きっと、ブログの世界のこともよく見つめていて、いろいろなことを考えてらっしゃることでしょう。たまにで構いませんので、あなたのインターネット観やブロガー世界観などをきかせてくださいね。そして、これからもご活躍ください。