*所属欲求についてのブログ記事の連載は、これが最終回です。第一回から読みたい人は、こちらへ。*
第二回で書いたとおり、(旧来の)共同体を介した所属欲求の充たし合いは減っていきましたが、SNSが広範囲に普及し、誰もがシェアやリツイート機能に慣れた2010年代に入ると、現代人のモチベーション源として再浮上する気配がみられるようになりました。
SNSを介した所属欲求の充たし合いは、個人のモチベーション源となるだけではありません。体験を共有するためのシェアやリツイートは集団的な行動を促進し、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』に象徴されるような、大流行の成立を後押しすることがあります。と同時に、デマの拡散や偏った政治勢力の台頭を手伝ってしまうこともあります。
今回は、そうした、SNSを介した新しい所属欲求の充たし合いがもたらす可能性と危険性について、『認められたい』に書いたことを踏まえながら紹介します。
インスタント・同時進行的に所属欲求が充たせるようになった
SNSとスマートフォンの普及によって、従来の共同体とは比較にならないほど簡単に所属欲求を充たせるようになりました。以下に、その特徴を挙げていきます。
1.しがらみ無く、所属欲求に慣れていない人でも所属欲求を充たせる
もともと所属欲求は、生活環境や就労環境を共有した者同士で充たし合うのが一般的で、どこの誰とも知らない人間と所属欲求を充たし合う機会はあまりありませんでした。生活環境や就労環境の共有には、しがらみが付き物ですから、所属欲求を充たす際には、しばしば大小のストレスがついて回りました。
ところが、SNSを介した所属欲求の充たし合いでは、そういったしがらみが最小化されます。相互フォローしあっているアカウント同士の間にしがらみが生まれることはありますが、それでも、従来の地域社会・学校・職場のソレとは比較になりません。まして、数万人~数十万人にフォローされているオピニオンリーダーの投稿をシェア・リツイートして所属欲求を充たすだけなら、しがらみは全く生まれません。
『認められたい』で書いたように、所属欲求を充たし慣れていない人は、欲求を差し向ける対象への要求水準が高く、仲間意識を感じにくい傾向にあります。しかし、SNSには各方面のオピニオンリーダーが集い、また、彼らの選りすぐりの言動だけがシェア・リツイートされていくので、所属欲求を充たし慣れていない人(=要求水準の高い人)でもストレスフリーに所属欲求を充たせます。
2.不満を感じている時も所属欲求を充たせる
そのうえ、好きになったオピニオンリーダーが気に入らない言動をとった場合でさえ、SNSでは、その不満を持った他人同士で繋がりあって所属欲求を充たせます。
有名人アカウントの炎上騒動などがまさにそうですが、「○○さんにはがっかりした」と感じる時には、同じような人はどこかしらにいるものです。そういう人同士が寄り集まって不満をシェアしたりリツイートしたりすれば、それはそれで所属欲求が充たされてしまうのです。
「○○さんのファン」同士で仲間意識を持っていた者同士が、ひとたび不満を持つや、「○○さんに失望した者同士」で仲間意識を持ちあえって属欲求を充たせるのです! 手のひらを返したからといって、立場や責任を問われる心配もありません。状況がどう転ぼうが、セーフティに所属欲求を充たすことができます。
3.空間的/時間的制約が少ない
従来、所属欲求を充たし合うためには場所や時間を共有しなければなりませんでした。地元の祭りで御神輿をワッショイして所属欲求を充たし合う際はもちろん、たとえば贔屓のスポーツチームをみんなで応援する際なども、現場に行かなければ所属欲求は充たせませんでした。
ところがSNSとスマホの組み合わせは、そういった制約を緩和してくれます。
まだ金曜ロード―ショーのラピュタで「バルス!」ってtwitterに書き込むのが楽しかった頃の、あの、皆が一斉に書き込んだ時の楽しさ。高揚感。あれが所属欲求です。群れることの悦びです。「バルス!」って書き込んではしゃいでいた人には、所属欲求は「あります」。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年3月17日
「バルス!」とtwitterに書き込んだからといって、自分が褒めて貰えるわけではない。自分が評価されるわけでもない。もちろんお金がもらえるわけでもない。でも、皆が「バルス!」って書き込んだ、そのモチベーション源は何だったのか、ってことです。少なくとも承認欲求ではない。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年3月17日
たとえば、金曜ロード―ショーの『天空の城ラピュタ』を観ながら皆と一緒に「バルス!」と書き込んで所属欲求を充たす時、大きなスタジアムや祭りの会場に出かける必要はありません。自室で寝転がってスマホをいじっているだけで、「バルス!」というコンテンツを共有し、仲間意識を持ち合っている現場に居合わせることができます。一般に、ひとつのスタジアムやコンサート会場に入場できる人数はせいぜい数万人程度ですが、SNSの祝祭には、入場・参加できる人数に上限がありません。
『ラピュタ』の「バルス!」には時間的制約が伴いますが、大ヒット映画や大河ドラマの話題なら時間的制約を気にする必要は無く、スマホやPCを開くたび、感想を持った者同士で仲間意識を持ち合うことができます。お気に入りの作品が上映(放送)されている間じゅう、ファンは作品を介して仲間意識を暖めあい、所属欲求を充たし続けることができます*1。
1.2.3.に挙げた特徴は、これまでのネットサービスにもみられたもので、具体的には、2ちゃんねるの実況板やニコニコ動画などは、SNSよりも早くから所属欲求を充たし合えるサービスとして機能してきました。しかし、国民的な普及規模・タイムラインというインターフェース・スマートフォンによるモバイル性などを兼ね備えていたという意味では、やはりSNSが画期でした。
SNSが普及してしばらく経ち、皆が馴染むうちに、SNSを使った所属欲求の充たし合いが一般化していきました。日本の場合、その時期は、例の「バルス!」が隅々にまで知れ渡り、陳腐化してしまった2015年前後だと私は思っています。これは、ネット炎上が世論を動かすようになり、SNS経由の口コミで爆発的ヒットが生まれるようになった時期ともあまり違いません。
インスタントな所属欲求の充たし合いは、心理的成長を阻害するかもしれない
このようにSNSは、しがらみを最小化しながら、いつでも誰でも所属欲求を充たせる機会を提供しています。現に、SNSを使って繋がりあい、孤独な感覚を紛らわしたり、心理的に充たされていると感じたりしている人は少なくないでしょう。
しかし、良い事づくめではありません。ネットで承認欲求を充たしまくっている人が、ときに堕落し、ときに破滅するのと同様に、ネットで所属欲求を充たしまくっている人も、ときに堕落し、ときに破滅します。
「何でもいいから群れていれば所属欲求が充たせる」環境にスポイルされ続けていると、人は、どこまでも無責任になり得ます。所属欲求を充たせればなんでも良い人は、ある時は熱烈な“信者”として、別のある時には熱烈な“批判者”として、掌をクルクルと返しながら、SNS上で所属欲求を充たせてしまいます。もちろん、そうやってご都合主義的に所属欲求を充たしているだけでは、所属欲求への習熟*2に必要不可欠な、変容性内在化が起こりません。
むしろ、SNSで所属欲求を充たし続けていると、変容性内在化とは反対のことが起こるかもしれません。もっと大きな集団に属したい、もっと純粋な意見に同調したい、もっとハイレベルなアカウントのハイレベルな意見に与したい……といった具合に、所属欲求の要求水準を吊り上げても、SNSにはどこかに受け皿があります。所属欲求を求め慣れていない人、つまり、要求水準の高い対象でなければ仲間意識やリスペクトを持てない人でも満足できるような、偉大で、崇高で、純粋で、巨大なイメージを引き受けてくれそうなアカウントがSNS上にはたくさんいます。もちろん、そういったアカウントの大半は、信者ビジネスで一儲けしようとしている悪漢や極端な思想集団だったりするのですが。
SNSで人生がおかしくなる人というと、承認欲求を充たそうとして言動がエスカレートする人が連想されるかもしれません。が、SNSで所属欲求を充たそうとして所属対象がエスカレートする人も、信者ビジネスやカルト団体に呑み込まれるおそれが高く、それはそれで危ないのです。
SNS所属欲求がもたらす「分断」
あくまで個人の欲求充足である承認欲求とは異なり、所属欲求は、人と人が繋がり、群れることによって充たされるものなので、規模が大きくなると社会的影響が無視できなくなります。政治運動や社会運動の主柱とはならなくとも、大量のSNSユーザーが繋がりあって仲間意識を持ち合う状況が続けば、世論を変え、ひいては社会にも影響を与えるでしょう。
しかし、たとえば外国人を排斥しようというオピニオンに大量のSNSユーザーが集まってしまえば、それが世論の一翼を担ったり、そこまでいかなくとも、排外的な勢力の成立に力を貸してしまうこともあるわけです。社会を転覆させかねないオピニオンでも、一部の人々の権利や尊厳を奪うようなオピニオンでも、群れてしまえば所属欲求を充たせてしまうので、群れたい人々を止めるのは並大抵ではありません。
[関連]:SNSは人を「繋げる」より「分断」している | Books&Apps
上記リンク先でも触れたように、今日のSNSは、同調する意見同士を繋ぐには向いていますが、対立する意見同士がお互いの立場を慮りながら議論し、妥結点を見出していくには不向きと思われます。対立意見と苦労しながら相互理解をすすめようとしても、シンパからは評価されにくく、ときには「どうしてあんな奴とコミュニケーションしているんだ、お前も“敵”なのか」と言われてしまうかもしれません。そのような心配を冒すぐらいなら、同調する意見の持ち主同士でシェアやリツイートを繰り返していたほうが、気苦労も少なく、所属欲求も(おそらく承認欲求も)充たしやすいでしょう。
少なくとも、SNSを利用するモチベーション源の多くが承認欲求や所属欲求な人の場合は、気苦労や心配を冒してまで、多様な意見に注意を払いながら振る舞おうとするインセンティブは、ほとんど無いと思われます。
意見の近い者同士が同調的なシェアやリツイートを繰り返していれば、所属欲求が充たせて気持ち良く、それ自体は悪いことではありません。しかし、近い者同士で同調する方向にばかり動機づけられ、対立意見を持った人と相互理解するようには動機づけられないコミュニケーションツールが皆に利用され、それが世論を形成する一環をなしているとしたら、世の中の「分断」は促進されかねません。
砂上の楼閣も御神輿になる
それどころか、所属欲求を充たすことが目的化してしまい、デマやウソを検証することなく、自分達のシンパに都合の良いメンションをどんどん拡散する人も見受けられます。
東日本大震災の時も、2016年の政治イベントの時もそうでしたが、人々の大半は、メンションの事実性を検証してからリツイート/シェアを行うのでなく、所属欲求を充たし合うのに都合の良いメンションをリツイート/シェアしました。その後に事実性を確かめ、間違いを訂正したり反省したりするのはマシなほうで、多くの場合、事実の確認は永遠に見送られました――「これだけ沢山の人が支持しているんだから、間違いってわけがないだろ?」
SNS上の事実とは、事実全体のなかからシンパにとって都合の良い部分を集めてパッチワークし、都合の悪いものは顧みない、そういう、選択的なものでしかないのかもしれません。
森友学園問題も豊洲移転も福島第一原発も、党派的なものによって「何がTruthか」が分かれてしまっている現実を見ると、日本もポストトゥルースに突入してる。トランプやDeNAメディアだけじゃなくマスメディアも、です。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2017年3月18日
アメリカでトランプ大統領が当選した前後、デマの拡散が問題視されました。これなどは、事実性の検証よりも所属欲求を充たし合うことを優先させがちな、いかにもSNSで起こりそうな出来事だったと言えます。しかし、事実性の検証を怠り、シンパにとって都合の良いメンションの拡散に励んでいたのは、トランプ氏とそのシンパだけだったのでしょうか。
“事実のパッチワーク”を御神輿に、シンパ同士でリツイートやシェアを繰り返し、対立者を見下しながら所属欲求を充たし合うのは気持ちの良いことです。しかし、その気持ち良さに囚われずに考え・行動するのは、とても難しいことのように私は思います。
本当は怖い所属欲求
所属欲求は、個人のモチベーション源となるだけでなく、人と人を繋げ、組織や共同体の下地となります。とりわけ、何かを打倒するために団結しなければならない状況下では、承認欲求には無いタイプの強みを発揮します。スポーツの対抗試合の盛り上がりや、戦禍に巻き込まれた国のナショナリズムの高揚などが、その良い例です。
しかし、所属欲求にモチベートされた集団それぞれがひたすら内輪の仲間意識を優先させ、事実を軽んじ、対立者を軽蔑して話し合いを怠り続ければ、社会はバラバラになり、争い事が起こってしまいます。
マズローやコフートの著作には、こうした問題の悪しき例としてナチスドイツが登場します。個人として承認欲求を充たすことが困難となり、ナショナリズムを介して所属欲求を充たすことも難しくなったドイツ人にとって、西側諸国にも強気で、パフォーマンスの派手な“愛国政党”は、所属欲求を充たしてくれる頼もしい集団とうつったでしょう。しかし、それに乗りかかってしまった人々は、大きな過ちを犯しました。
ほとんどの人が 個人の承認欲求を主なモチベーション源として行動しているうちは、こうした所属欲求の危険性はあまり気にする必要がありません。しかし、モチベーション源としての所属欲求が再浮上し、それがそれが世論や政治に影響を及ぼすようなコミュニケーションの布置ができあがっているとしたら、所属欲求の長所だけでなく、短所やリスクも思い出しておく必要があります。
『認められたい』についての補足説明のつもりが、風呂敷の広い話になってしまいました。ともあれ、所属欲求は承認欲求と同じぐらい重要な人間のモチベーション源なので、よく知って、よく“使って”いくのが望ましいと思います。承認欲求についてだけでなく、所属欲求にも注意を向けましょう。
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