シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

社会不適応な学生にとっての「勉強する理由」

anond.hatelabo.jp
 
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 ふたつのリンク先を読んで色々と思うことはある。

 「娘さんの問いが秀逸」「科学的に物事を考えるなら、まず実証プロセスの妥当性を検討する能力が必要になって、そのためにはまず、論文を読み、自分も論文を書かなければならない。でもこれって、高等教育を受けることに他ならないよね」「父親、しっかりしろや」「反抗期なのかしら」、等々。
 
 それより私は、学生が勉強する理由のひとつとして、「高学歴を手に入れれば、社会不適応でも大目に見て貰えるし人に話を聞いてもらいやすくなる」という120度ぐらいズレたことを思い出した。
 
 この点、東大京大や医学部などは特権階級に近い。ちょっと破天荒な言動があっても「あの人は東大京大だから」「あの人は医学部だから」と、先入観をもってみてくれる人がいたりするのだ。ちょっと世間からズレた事を言っていても、他人が耳を貸してくれる確率が発生する。これは、たぶん東大京大や医学部卒でインターネットでものを書き散らしている色んな人が実感していることだと思う。
 
 裏返して考えると、これは、マトモな人間扱いしてもらえないってことで、注連縄(しめなわ)の内側に封じられた魔物のような扱いをされるということだけれども、もともとマトモではない、タガの外れた人間にとって、魔物扱いしていただけるのはありがたいことではある。一定学歴を手に入れていることによって、「あいつ、魔物だからしようがないよね」と勝手に思っていただけるのは、社会適応の暗雲が垂れ込める若者には心強いことではないか。少なくとも、そのポジションを活かす道はあるのではないか。
 
 ただ、当然のことながら、こういった学歴や肩書を手にしたからには、肩書に見合った働きをしなければならないし、タガが外れた人間なりに社会に貢献し、他者との共存共栄の道を模索しなければならない。学歴や学問は、飾りであってはならない。どういう形であれ、それを社会に還元するような、それか周囲に実りをもたらすような活躍が期待されてもいる。
 
 以上は、学歴を社会適応の防御シールドとして用いて生き延びようとしていた私という人間の、すなわち俗物の、俗な意見ではあるが、学問という外観と内実の双方によって活きる人間というのもいるわけで、そういう人間にとって、勉強とは、単なる求道ではなく、渡世の手段としても重要なのである。収入とか就職とか「自分らしい人生」とか、そういうわかりやすいポイントだけでなく、「変人枠」「マトモじゃないけれども許されるポジション」を貰い受けるための手段としても、学歴は重要だと思う。
 
 だから、我こそはマトモではない、中二病を煮詰めたような、学生時代からサンスクリット語やヘブライ語を学びたくなる若人は、でたらめに高学歴を目指して、「変人枠」「マトモじゃないけれども許されるポジション枠」をゲットして欲しい。そして、その無駄に高い自意識と才能を、学問の進歩や社会貢献になげうって欲しいと思う。運が良ければ、そんなひたむきな姿に惚れこんでくれる都合の良い異性が現れる……かもしれない。いや、アニメじゃないから現れないかもしれないけれども。
 
 私は、世界を知るために勉強するのも、社会に適応して世間を渡る手段として勉強するのも、どっちも悪くないと思うし、どっちも好きだ。学究は学究なりに、俗物は俗物なりに、ハイブリッドはハイブリッドなりに学べばいいと思う。勉強する理由なんて、なんだってかまわないじゃないか。