*ブログを書き始めて10年目の年末、過去のオタク関連の文章を読んでいたら時間の流れにシンミリせずにいられなかったので、特に懐かしい記事を並べてみたくなり、これを予約投稿しました。年末、コミケに行けずに実家で手持無沙汰にしている(元)オタクな人の暇つぶしにでもなればいいなと思います*
- 変化していくオタク界隈
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このブログをスタートした頃には、まだ「オタク」という言葉には技能集団としての意味合いがそれなり宿っていた。が、コンテンツがどんどん流通し、アニメやゲームやライトノベルといった「いわゆるオタク界隈的なコンテンツ」がたくさんの人達に浸透していったなかで、「オタク」という言葉はなんだかよくわからないものになっていった。そういう流れを半分歓迎しつつ、半分心配しつつ眺めていた痕跡がこのあたりだ。10年代を迎え、こうした変化は昔話に類するようになった。
- 秋葉原&コミケの変化
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「オタク」が変われば、その「オタク」が集まる場所も変わらざるを得ない。私は、秋葉原駅電気街口の床にマルチのイラストが描かれていた頃~歩行者天国が中止になるまでの秋葉原がすごく好きだったけれども、2007年頃には歩行者天国は危ない雰囲気になり始めていて、2008年6月8日、“あの事件”が起こった。
- 変化していくコンテンツとメディア
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00年代はYouTubeが普及しはじめ、ニコニコ動画が始まった時期でもある。ソーシャルゲームもあまり注目されていなかった(なにしろスマホがあまり普及していない)。そして「東方・ボカロ・アイマス」がニコニコ御三家と言われていた。ゲーム実況は10年代にはだいぶ定着したけれども、00年代の後半でもまだメジャーではなかった。「ゲームはやるもの」であって「みるもの」ではないという意識が、当時の自分には強かったらしい――というのは半分嘘で、今読み返してみたら「やっぱりゲームは自分でやらなきゃ」「スーパープレイをよく知っている“解説君”になるぐらいなら、下手でもいいからやってみろ」的な衝動が湧き上がってきた。そうだ、あの頃、俺はアーケーダーだったのだ。
- 時間が経っても変わらないもの
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一方、キモオタという言葉は結局滅ばなかった。「キモがられているのは、オタクじゃなくて、あなたじゃないんですか?」という問いかけは現在でも有効だ。「オタク」死すとも「キモオタ」死せず。
- そのほか
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えいえんは、ありませんでした!00年代においてすらそうだったけど、10年代に入り、ますますそう思う。コンテンツの内側でさえ、時間は駆け足のように過ぎていく。
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『らき☆すた』最終話感想。00年代的なオタク的エッセンスの終着駅――袋小路ともいえる――のひとつとして、『らき☆すた』が滅茶苦茶好きだ。『ハルヒ』や『けいおん!』の辿った道は10年代に向かって着実に継承・発展していると感じられるが、『らき☆すた』のなかのなにかは継承・発展することなく、そのおかげで最高のオワコンになっていると感じる。死蔵せずにいられない。
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当時はモロにオタク界隈用語だったサークラ。ところが今ではメディア人士までもがサークラなんてスラングを使うように。隔世の感があるが、まあ、ロクなもんじゃないよね。
今ではもう、見境なく「オタク」という言葉を使うのが躊躇われるというか、「○○愛好家」という無難な単語を使いたくなるぐらいには「オタク」という言葉は難しくなったけれども、過去にはこんな風景もあって、まあ、楽しかったと思う。