シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「今のままがいい」を、時間が引きずっていく

 
 
生活レベルを維持するため「普通の男性」と結婚するのが高望み扱いになった世界で、私たちができること - 外資系OLのぐだぐだ
 
 
 リンク先は「普通の男性と結婚したい」と考えている女性についての記事だ。
 説得力のある内容だと思った。
 
 それはそうとして、
 

 やや大げさに書いたが、きちんと勉強して就職した女性ほど結婚において焦りが少ないのは見聞きした事実だ。婚活は受験勉強と似ていて「今のままがいい」と思っている限り、成果は上がらない。「このままじゃヤバイ」と思った人が予備校の門を叩き、参考書を開いて駆け上っていくのである。

http://toianna.hatenablog.com/entry/2015/12/21/193350

 たとえば上記のフレーズなどは、男性にも社会適応全般にもあてはまるのではないか。
 
 

  • 「今のままがいい」は難しい

 
 私は、「良い境遇」を過ごしている人達を恨めしく思いながら生きてきた。スクールカースト上位の人達・恋愛や友達関係を屈託なくこなす人達・社会の日向で明るく笑える人達が羨ましかった。
 
 思春期の前半で不登校に陥ったことで、私は自分の社会適応が「このままじゃヤバイ」と思い知らされた。なまじっかの学力ではたぶん自分は生きていけない。コミュニケーションも上手くない。そのうえ女子からは「お前のようなオタクは気持ち悪いんだよ!」と宣告され、自分には男女交際の資格が無いと知った。
 
 ただ、そのおかげで感受性の強かった私の脳味噌には「このままじゃヤバイ」というメッセージが刻印されて、劇薬のように効いた。
 
 「今の自分の学力では生きていけない」
 ――ならばもっと学力を身に付けなければならない。 

 「今のコミュニケーション能力では上手く世渡りできない」
 ――ならばコミュニケーションに少しでも慣れるしかない。
 
 「今のままでは恋愛も結婚も不可能」
 ――たとえ何度失敗しようとも恋愛を諦めてはいけない。
 
 あのとき、私の「今のままがいい」という気持ちは容赦なく踏みにじられた。「今のままがいい」とお星さまにお祈りしたところで、実際に「今のまま」が続くとは限らないのだ。無事平穏な日々は脆い。だから恋愛や結婚に限らず、適応するためには、生きるためには、走り続けなければならない。
 
 ひょっとしたら、これは不適応を経験したがゆえの私の思い込みか、ひとつの精神病理かもしれない。けれども私はそうなんじゃないかと割と本気で思う。休息している時ですら、明日のために、次の状況のために、何かのために、休息する。すべては次の適応のために。次の次の適応のために。
 
 もし、今という時間がお気に入りで、長続きさせたいなら、むしろ水面下では変わり続けていかなければならないのだと思う。さもなくば相応の対価を支払うか。
 
 私が羨ましいと思っていた人達にしても、ノホホンと「今のままがいい」にあぐらをかいていた人達はだいたい輝きを失ってしまった。うまくやっているのは、(それぞれのカタチで)変化を受け容れ、変わり続けてきた人ばかりだ。
 
 すべてが移ろいゆく娑婆世界において、「今のままがいい」という願望はいかにも儚く、難しい。少なからぬ人が、この「今のままがいい」を無意識のうちに目指してしまうけれど、ひょっとしたら「変わり続ける」よりも難しいのではないか。「今のままがいい」と思い込んだ挙句、手を休め、なにも対価を支払わずに済ませようとしても、世間が――いや違う、時間法則が――それを許しちゃくれない。
 
 変化を拒否しても、時間が人間を引きずっていく。
 
 

  • 社会適応に「止まる」という選択肢はない

 
 結婚に限らず、人間は、少し未来を見越して変わり続けるか、「今のままでいい」のために意識的に対価を支払ったほうが良いのだと思う。少なくとも、ある日突然「今のままがいい」を長続きさせた対価として法外な請求書を受け取って愕然とするよりも、自覚的・戦略的に変化していったほうが不意を打たれずに済みやすい。社会適応の見通しも(いくらか)きく。
 
 だからひとつの人生訓として「このままじゃヤバイ」は意外と悪くないんじゃないかと思う。それぐらいの気持ちでいたほうが、まだしも時間の流れに対してセンシティブでいられる。