シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

“ボダ”の一人歩き――本当に境界性パーソナリティ障害なのか

 
 ネット上で、境界性パーソナリティ障害を指す「ボダ」という俗語が流通し始めたのはいつ頃だっただろうか。今では、このボダという俗語もすっかり定着し、あちらこちらで、あまり良くない意味合いで用いられている。境界性パーソナリティ障害の難しさが、それだけ広がったということだろうか。ボダでネット検索すると、以下のような記事がすぐに引っかかる。
 
 新生活!ボダにだけは気をつけろ! : アゴラ - ライブドアブログ
 
 哲学畑の先生も、“ボダ”を用いていらっしゃる程度には、境界性パーソナリティ障害の俗語としてのボダは流通している。それだけ知名度が高くなった、ということだろう。
 
 

「本当にボダは増えているの?」

 
 では、知名度に比例してボダは増えているんだろうか?
 
 この問いは、精神科診断学のトレンドの移り変わりに大きく影響される問題――ちょうど、発達障害がトレンドになれば発達障害の診断率が高くなるような問題――を含んでいるため、一概には言いにくい。しかし発達障害が注目を集めるようになった00年代以降、境界性パーソナリティ障害の診断率が増えているとは寡聞にして聞かない。3年前、国内の業界雑誌『精神科治療学』で久々に境界性パーソナリティ障害が特集された時*1も、境界性パーソナリティ障害の診断ブームは一段落ついたような記載になっていたし、私とその周辺の臨床風景を眺めても、この病名に該当する症例が増えているとは感じない。ここで、DSM-5の境界性パーソナリティ障害の診断基準を列挙してみる。
 

 【境界性パーソナリティ障害の診断基準】
 対人関係、自己像、情動などの不安定性および著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
 
(1)現実に、または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力(注:(5)は含めないこと)
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式
(3)同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識
(4)自己を傷つける可能性のある衝動で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀運転、過食。注:(5)は含めないこと)
(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
(6)顕著な気分反応性による感情の不安定性(通常は2-3時間持続し、2-3日以上持続することはまれな、挿話的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、不安)
(7)慢性的な空虚感
(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離症状

 これらの条件に5つ以上合致する症例は、実のところ、それほど多くはない。特に、(1)(2)も含んでいるような“精神科の教科書に載っているような境界性パーソナリティ障害”ともなれば滅多にお目にかからない。
 
 ただし、(1)(2)を欠いていて、4つ以下に合致するような“だいたいボダっぽいけれど診断条件に到達しない”症例に関しては、思春期に限らず頻繁に見かけるようになった。過量服薬やリストカットを繰り返す・安定しない人間関係・衝動コントロールが悪い……といった特徴は、今ではあまりにもありふれている。このような人達は境界性パーソナリティ障害に似た外観を呈することが珍しく無い。いわば“なんちゃってボダ”といったところだろうか。
 
 こうした“なんちゃってボダ”の精神科的な診断病名としては、AD/HDや双極性障害がつくことがあり*2、治療経過のなかで統合失調症だったと判明するケースも交じっている。ともあれ臨床サイドから眺めると、バッチリ診断基準に当てはまっている境界性パーソナリティ障害の症例は、ネットで定着しているほどにはポピュラーな存在ではないようにみえる。
 
 素人診断でボダと呼ばれている人の背後にある精神疾患は、まったく違ったものかもしれない。
 
 

「本物のボダ」は意外と予後が良い

 
 ところで、境界性パーソナリティ障害、つまり本物のボダは意外と予後が良い。「かなりの人が改善する」ということだ。二十代の頃には情緒不安定で見捨てられ不安のひどかった患者さんが、三十代になって驚くほど状態が良くなっている――そういうケースが珍しくない。このこともまた、医療現場で境界性パーソナリティ障害が“少ない”と感じる一因になっているかもしれない。というのも、もっと予後が悪い疾患なら、高齢の境界性パーソナリティ障害の患者さんが“外来に蓄積して”遭遇頻度が高くなっているだろうからだ。
 
 1980年代以降に進んだ境界パーソナリティ障害の長期予後研究は、この所感と矛盾しない。多くの研究結果が報じているのは「長い目でみれば、境界パーソナリティ障害の患者さんは症状が改善したり社会適応が向上したりする人が存外多い」ということだ。報告者によって多少の差はあるにせよ、長期予後がそれほど悪い精神疾患ではない点では概ね共通している。
 
 ちなみに、境界パーソナリティ障害の予後良好の指標としては、

・人口統計学的要因・家族歴
 年齢の若さ、物質関連障害の家族歴がないこと(Zanarini ら 2006)
・精神症状・合併精神障害
 物質関連障害がないこと(Stone 1990)、C群パーソナリティ障害の合併がないこと(Zanarini ら 2006)、衝動性が高くないこと(Links ら 1990)、うつ病の合併がないこと(Links ら 1994)
・治療歴・経過の特徴
 入院期間が短いこと(McGlashan 1985)、経過中に改善傾向が明らかであること(Zweig-Frank & Paris 2002)
・生活歴
 母子関係の問題(Paris ら 1988)、親が残忍でないこと(Stone 1990)、病前適応レベルが高いこと(Links ら 1990)、小児期の性的虐待のないこと(Paris ら 1993、Gunderson,Daversa ら 2006、Zanarini ら 2006)、就労経験があること(Zanarini ら 2006)、小児期にポジティブな経験があること(Skodol ら 2007)
・能力・性格
 感情的安定性、知的能力の高さ(McGlashan 1985)、調査開始時点における機能の高さ、対人関係の豊かさ(Gunderson,Daversa ら 2006)、神経症傾向の程度が低いこと、協調性が高いこと(Zanarini ら 2006)
(林直樹:境界性パーソナリティ障害の長期予後。臨床精神医学43:1457-1473、2014 より引用)

 等が挙げられている。私も、これらに該当する境界パーソナリティ障害の患者さんが数年の時を経て著しく改善し、びっくりしたことがある。
 
 境界性パーソナリティ障害は、自殺や自殺関連行動によるリスクが大きく、対人関係にも大きな問題を抱えているケースが殆どなので、決して侮ってはいけない。けれども【改善する/しない】という視点でみれば、いわゆるボダ論周辺でささやかれているほど破滅的な予後ではなく、改善のチャンスはある。上記傾向に該当している場合は特にそうだろう。
 
 じゃあ、境界性パーソナリティ障害の診断基準を充たしきらない“なんちゃってボダ”も予後が良いかというと……そうとも限らない。そういう患者さんがズルズル長引いたまま三十代に突入……というケースはよく経験する*3。境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たしていないからといって、予後を楽観して良いとは言えないし、treatmentの方法を一緒くたにして良いとも考えにくい。しかるにネット世間的には真正の境界性パーソナリティ障害と“なんちゃってボダ”の区別は殆どつけられていないので、眺めていて、なんともいえない困惑を覚える。
 

*1:2011年9月

*2:もちろん境界性パーソナリティ障害の合併例もある

*3:とりわけありがちなのは、軽度精神発達遅滞〜境界知能ぐらいの認知機能水準を合併していて、双極性障害の診断にもだいたい当てはまるようなタイプの“なんちゃってボダ”。