今日、本当に理不尽で、無茶苦茶で、不合理で、納得いかなくて、酷い、本当に酷い出来事があって - orangestarの雑記
上記リンク先、ならびに2014年11月上旬にorangestarの雑記に書かれた色々については、本当に書き始めるときりがなさそうというか、娑婆観を延々と書き連ねたいところですが、現在多忙につき、本件のなかで言及しやすい点についてだけ言及します。
オフラインでなら、言いたいことをorangestarさんにお伝え出来るような気がするんですよ。でも、オンラインメディアであるブログ上では相当に手間暇かけなければ難しそうです。
それよりこちら。
結婚もして、出してる漫画も売れてて、これだけ社会的に成功してる人でもこういうメンタル状態になってしまうのだから、きっと何者にもなれない私達が落ち込んでしまうのなんて当然だと思えるので、なんかありがとう
http://b.hatena.ne.jp/feita/20141108#bookmark-233926068
はてなスターが沢山ついていますが、これ、違うと思うんですよ。社会的成功やメディア露出度とか、そういうのって抑鬱の防御因子としてはあまり期待できないか、むしろ増悪因子かもしれない、と思うのです。
「お金」「リソース」の問題は、また別ですよ?お金を筆頭とするリソースの窮乏は、これはごく単純に、メンタルヘルスの大敵たり得るものです。まあ、お金があれば必ずメンタルヘルスを損ねずに済むってわけではありませんよ……お金に恵まれた人々が境界パーソナリティ障害を呈している姿や鬱病に陥っていく姿をみると、お金とは、メンタルヘルス維持のための主要な、しかし一関数でしかないのだな、ということがよくわかります。
そして、躁状態や認知症状態のような判断力を食うタイプの精神状態に罹ってしまえば、少なくとも当人一人だけの場合、お金を幾ら持っていても助けになりません。援助を事前に買っておくとか、何らかの対策を講じない限り、まず破滅が待っています*1。判断力は、本当に大切なものですね。そしてその判断力もまた、様々な関数によって上下しますから……。
いやいや、こういう話がしたいんじゃなくて。本論に戻ります。
【社会的成功=落ち込む心配が無い】という命題についてです。
私は、ここでいう社会的成功やメディアへの露出は、鬱病や抑うつ状態を防いでくれるとは思っていません。特にorangestarさんのように、特定のメディアを介した(不特定多数からの)注目が社会適応や経済力に直結している境遇を生きている人の場合、むしろ抑鬱になりやすいんじゃないかと思うんですよ。
まず、メディアへの露出度が高く、不特定多数からの注目が承認欲求の充足度の多寡に影響すること自体、過酷です。このような境遇に至った人は、承認欲求の充足度が極度に高くなったり、極度に低くなったりしがちです。このあたりは、ブログやニコニコ生放送をやっている人も他人事ではありません。
[関連]:承認欲求、心の保水力、そして塩害。 - シロクマの屑籠
ある瞬間には信じられない水準でアテンションが集まり、別の瞬間には、ぜんぜんアテンションが集まらない――こういうのが続くと、人間のメンタルは不安定になりがちです。極度のアテンションを集めてしまうブロガーが精神を持ち崩すのも、あれはむしろ自然なことなんです。間欠的な承認欲求の充当、それも本来の人間生活を逸脱したメディア経由の承認欲求の充当は、人間の精神をおかしくするところがあります。特段、承認欲求に飢えていない人でさえ、そういう日照りと土砂降りを繰り返しているだけで歯車が狂いやすくなってくる。それは、たぶん引用先のfeitaさんもご経験があるのではないかと思います。
それと、orangestarさんの場合、単に承認欲求の問題だけでなく生活基盤にも繋がっているんですよね。これは結構大変だと思います。心理面で承認欲求に飢えていなくても、承認欲求が集まるような状況を(生活のためには)用意しなければならず、それが“お仕事”に結びついているわけで。承認欲求を充たすだけなら、特別なナルシストでもない限り、twitterでキャッキャウフフしていたって別に構わないわけです。ところが“お仕事”の次元になってくるとそうもいかない。引くに引けない部分というのが生まれてくるわけです。たぶん、結構なプレッシャーになりますが、このプレッシャーに負けてしまうわけにもいかない。へこたれているわけにもいかない。これも大変なことです。
家族の生活を守っていかなければならないという要請も、なかなか評価の難しいところです。心の支えにはなるけれども、支えになるからこそ、限界以上に頑張ってしまう一因になることもあります。会社の社長さんや家族への思いやりのあるお父さんの鬱病には、自分が守らなければならないものを守るために、本当にぎりぎりまで出力し続けて、重症の鬱病になって来院される方もいます。
いわゆる古典的な鬱病はこのタイプです。近年減ったといわれていますが、まだまだいます。お父さんだけでなく、お母さんもしばしば罹患します。いわゆる心の支えは、気持ちのうえでは限界値をあげてくれますが、肉体の限界値まであげてくれるわけでなく、肉体が衰弱すれば最終的には精神は衰弱するのが定めです。
私は、「笑顔があるから頑張れた」とか「応援があったから力を出し切った」系ってあまり好きではありません。短期的な活動なら、それも良いでしょう。しかし長期的な活動に際しては、補給重視の態度こそが肝心なんであって、士気(モラール)の高さだけで対処しようとするのは危険だと思ってます。
まあ、一般論として、家族がいて常に話せる境遇はプラスに働くとは思うんですけれどもね。
長くなったのでまとめると、
1.メディア上での活動は、承認欲求の揺れ幅が大きすぎる
2.メディア上での活動が、生活基盤に直接的に繋がっている
3.家族など近親者は、支えにもなるが背負いすぎる可能性もある
こうした条件がそろっているので、orangestarさんのようなタイプの“社会的成功”は、メンタルヘルスの維持という点ではなかなか大変な道だと思っています。少なくとも、簡単、ではないと思うんですよ。メディア産業の業界に(売れた人も含めて)メンタルヘルスを損ねる人が現れるのも、あれは仕方のない現象ではないでしょうか。本来、不自然なライフスタイルなんですよ。心理的欲求の充足と収入のつくりかたが。
だから、正気度を保ったままテレビで大活躍している人達は本当に凄いと思います。代々芸能人の家庭なんかには、秘伝があるのかもしれませんけれども。
ちなみに、どういうライフスタイルならメンタルヘルスを損ねにくいのかって話になると、
1.承認欲求の揺れ幅が少ないライフスタイル、それも求め先が複数分散している
2.メディア上の活動と、生活基盤の繋がりが少なめ
3.近親者の支えを感謝しつつも、補給重視の生活が可能な境遇
これらを実現していて、
4.元来の気質として不安があまり強く無く、適度に鈍感
な人は、相対的にメンタルヘルスを損ねにくいのではないかと思います。メディアで目立つことにリソースを割くような生き方は、この観点では巧い方法とは思えません。
承認欲求とメディアの問題については
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に書いてしまったので、これぐらいにしときます。
最近私は、精神的に余裕の無い人がネットで承認欲求を間欠的に浴びるのは危ないんじゃないかと疑い始めています。ネットを介した心理的充足も悪いことづくめではないので全否定すべきではなく、「今までよりも否定的な評価に傾いている」ぐらいのものですが。
ただ、メディアの焦点に立ち続けるのはそれだけで正気度との戦いになるので、認められたワーイワーイとか呑気な事は言っていられないように思うんです。少なくとも、“癒し”のつもりでPVや注目を集める行為は正気の沙汰とは思えません。
そのうえ、メディアを介して食い扶持を稼ぐのは只事ではなく、そこに責任とか業界仁義みたいなものまで噛んでくると……本当に大変だと思います。
メディア露出と正気度の問題は、ブログを運営している人や、ブログを定点観測している人ならおおよそ想像がつくものではないかと思います。個人がますますメディアに曝され、メディア化していくと、正気度維持の問題はもっと世間一般な問題になっていくかもしれません。幸い、今はブログやtwitterやニコニコ動画ではしゃいでいる私達だけの問題ですが。
「メディアのお立ち台に立つ」というひとつの奇跡には、相応の呪いが伴っているとも思っています。お気を付けください。そしてご自愛ください。生き残りましょう。
*1:しばしば、まずお金を丸ごと失ってしまう