シロクマは“私達の世代”を軸にした本を出すことになりました。
- 作者: 熊代亨
- 出版社/メーカー: 花伝社
- 発売日: 2012/10
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 197回
- この商品を含むブログ (25件) を見る
定価:1575円
ページ数:253頁
判型:46判並製、単行本ソフトカバー ※表表紙はこんな感じ
ちょっと俗っぽいタイトルかもしれませんが、実際、1970年代〜80年代前半に育った世代――つまりロストジェネレーション世代に――フォーカスをあてた本になっています。ただし、ちょっと昔の“ロスジェネ論壇”のような、世代内での内輪受けと自己憐憫に溺れるような本を出したところで意味が無いので、「ロスジェネ世代のメンタリティについて、上の世代や下の世代にも分かるよう解説してみる」「ロスジェネ世代の生育環境を振り返りながら、現代社会の精神病理にアプローチしてみる」ような方向性を重視して書きました。H.コフートの自己愛に関する理論をベースに、ニュータウン空間で生まれ育つとは一体どういうことなのか・現代人が直面しているライフサイクル上の課題は何なのかについて、ひとつの議論を提出してみたつもりです。
これまでも私は、一人のブロガーとして、サブカルチャーや社会問題について色々な人達と意見交換を続けてきました。ある問題の一面を切り出し、不特定多数の人と議論するにはブログの文字数と機能はちょうど便利で、あちこちのブロガーの方と思い出に残るやりとりをしてきたと思います。
とはいえ、ブログばかり書いていると「二万字以上の文章を書いたり読んだりするにはインターネットは向いていない」と気づかざるを得ません。ブログの文章は、短めの文字数で完結するよう意識してしまうか、逆に開き直って「そんじゃーね。」的に議論を投げっぱなしにしてしまうか、どちらかになってしまいがちです。
対して書籍は「まとまった文字数を費やして、章ごとにサブテーマを設けながら、ひとつの問題の複数の側面に触れつつ、本全体として統合されたビジョンを提示する」には最適です。少なくとも、十万字以上を費やさなければ表現しにくいビジョンというやつはある筈です。私は、ロスジェネ世代のメンタリティや現代社会病理について議論するなら、ブログ記事のような断片ではなく、書籍というユニットを使ってひとまとまりのビジョンをこしらえたい、とかねがね思っていました。今回、花伝社さんから出版のお誘いを頂いたので、精神医学や心理学の知識を借りながら、ひとまとまりの視点を提示してみました。それが本書です。
私は和田秀樹さん・斉藤環さん・香山リカさんといった1960年代生まれの精神科医の先生がたより一回り下の世代にあたるので、そのぶん、学識や臨床経験の足りていない未熟者であります。そのかわり、『ファミリーコンピュータ』や『少年ジャンプ』の全盛期に子ども時代を過ごし、バブル世代の諸先輩の後ろ姿を眺めながら育ち、インターネットに耽溺していったロスジェネ世代当事者、というポジションにいる精神科医だと自分のことを思っています。以下に、各章一覧と、章ごとのサブタイトルを記しておきます。
【はじめに】
・「私達は、空前の豊かな時代に生まれたのではなかったか」
・「なぜ、現役の精神科医が、こんな本をわざわざ書いたのか」
【第一章】俺的に正しく、俺的に間違っている社会
「新型うつ病」「発達障害」「モンスタークレーマー」……現代社会の生き難さを象徴するようなフレーズが、メディアに溢れる21世紀。私達は、それほどシビアな環境を生きているのでしょうか?それとも私達自身が弱くなってしまったのでしょうか?第一章では、現代を生きる私達の生きざま、執着、価値観がどのようなものかをザッと点検してみます。
1.うつ病?発達障害?――なぜ精神疾患が増えたのか
2.全能感を維持するために「なにもしない」人達
3.すぐに結果が出ないと我慢ならない新入社員/企業
4.モンスタークレーマーが「メートル原器」になる社会
5.メシウマ、炎上、正義感――インターネットに降り積もる怨念
6.いつまでも「松田聖子」「チョイ悪」でいたい人達
7.スタンドアロンな人たちが死屍累々の様相に
【第二章】われわれはなぜ、どこで躓いたか――団塊ジュニア〜ロスジェネ分析
1994年にバブルが弾け、いわゆる“失われた二十年”が始まりました。団塊ジュニア世代を含めた私達「ロストジェネレーション世代」は、雇用面や収入面で厳しい現実に直面し、立ちすくむことになりました。のみならず、価値観や心理の領域でもロスジェネ世代は“不良債権”を抱え込んで苦悩しているのではないでしょうか。昭和後期〜平成初期の子ども時代を振り返りながら、ロスジェネ世代のメンタリティについて紐解いてみます。
1.就職氷河期世代の2つの苦悩――経済面と心理面
2.「梯子を外された」就職氷河期世代
3.「使えない個性は要らない個性」
4.そして僕らはおっさん/おばさんになった
5.価値観・規範の内面化と生育環境――地域社会とニュータウンの違い
6.「僕らは母親一人に育てられた」
7.受験産業と透明な檻
8.ファミコン第一世代の社会病理
9.ネット前夜の原風景をもつ、初めてネット漬けになった世代
【第三章】ミソジニー男とクレクレ婚活女の織りなす空前のミスマッチ
第三章では、男女交際や結婚の現況に触れてみます。「ロスジェネ世代」は、お見合いが盛んだった世代のように結婚できるわけでなく、さりとて若い世代のようにコンテンツの美少年/美少女で補償すれば割り切れるわけでもない、微妙な恋愛観を抱えた人が多いように見受けられます。旧時代から新時代への世代の端境期ならではの恋愛観・結婚観と、それに関連した処世術のバリエーションを紹介してみます。
1.「酸っぱい葡萄」のメンタリティ
2.「めんどくさい」という物言いの深層――本当に興味ないわけがない
3.アニメ美少女でなければ愛せない男・韓流スターでなければ愛せない女
4.まっとうな男女交際って、それなりに修練しないと無理じゃね?
5.なぜ「惚れたい」でなく「モテたい」なのか
6.「ダメな俺を受け容れてくれ症候群」
7.クレクレ婚活なんてやめちまえ
8.あなたは誰かを幸せにしたいと願ったことはありますか?
9.「異性への要求水準を下げる」よりも大切なこと
【第四章】取り扱い注意物件としての自己愛
第四章では、ここまで紹介してきたような私達の自己愛(ナルシシズム)について、精神分析の一派・自己心理学の視点を用いて解説します。自己中心的であること・自己実現を目指すことが当然とみなされる現代人の心理を理解するにあたって、自己愛というキーワードは避けて通れません。21世紀の自己愛はどんなもので、20世紀の自己愛とはどこが違っているのか?現代人が自己愛に飢えやすいのはどうしてなのか?について言及します。
1.自己愛って何?――われわれを輝かせ駄目にもする怪物
2.自己愛を充たすための三つのパターン
3.自己愛を充たしてくれる対象のことを「自己対象」と呼ぶ
4.20世紀の自己愛――集団・地域・企業単位の自己愛充当
5.1980〜90年代の変化――個人単位の自己愛充当へ
6.21世紀の自己愛――コンテンツの進化と差異化ゲームの変質
7.二つの自己愛パーソナリティ障害
8.自己愛パーソナリティ傾向は、どのようにして生まれるのか
9.自己愛パーソナリティという観点から見た、私達の育った環境
10.自己愛を求め過ぎてしまう心を抱えながら
【第五章】SNS時代のコミュニケーション
生活空間が変われば暮らしが変わり、コミュニケーションの環境が変わればコミュニケーションが変わる――インターネットや国道沿いのニュータウンといった生活インフラの普及により、私達の暮らしとコミュニケーションは大きく変貌しつつあります。第五章では、これらが私達の心理にどのような影響を与え、どのような自己愛充当をもたらしているのか解説したうえで、ロスジェネ世代にとってどのように位置づけられるのか考えてみます。
1.キャラとキャラがコミュニケーションする時代
2.接点の乏しい人間関係はキャラ化を免れない
3.他者との摩擦を回避するためのコミュニケーションスキル
4.「見たいものしか見たくない」インターネットコミュニケーション
5.国道沿いにもインターネットにも「誰もいない」
6.オタクが精神科医になろうとした際に苦労したこと
7.「ネットさえあれば車も恋人もいらない」はホンネか?
8.「コンテンツの切れ目が縁の切れ目」でもいいんですか?
ここまでは現状分析が中心で、ここからはソリューションが中心です。
【第六章】「コミュニケーションの苦手意識」を克服するための技術
第六章では、コミュニケーションの苦手意識を持っている人にできる事・やっておいたほうが良さそうなことについて考えてみます。コミュニケーションの上達には、どんなに素養のある人でも必ず長い時間がかかります。頼りになる人間関係をつくりあげるにも長い時間がかかるでしょう。にも関わらず、巷のコミュニケーション指南本には、そうした長期スパンでコミュニケーションをまなざす重要性についてあまり書かれていません。本書ではその点を踏まえて、長期スパンな社会適応の可能性について触れてみます。
1.自称「コミュニケーションが苦手」の内実はさまざま
2.まず、誰でも出来ることをしっかりやる
3.形から徳を積んでみる
4.5年・10年単位で自分のことを考えてみよう
5.ネットコミュニケーションをリアルに活用するには
6.今更セックスを急いでもしようがない
7.モテ期が来てもご用心
8.パートナーシップとはなにか
9.自分に嘘をつかず生きていくには
【第七章】私達の義務と責任――次世代に何を残せるのか
最終章では、私達の次の世代について書いてみます。昭和後期〜平成初期にかけて私達が形作られたように、21世紀の子ども達は今この瞬間に形作られています。大人になってしまった私達自身にはもはや手遅れな事でも、今子ども時代を過ごしている次世代であれば間に合うことはたくさんある筈です。壮年期を迎え、次世代の育成を引き受ける立場となった私達に今できること・やっておくべきことについて、提言したいと思います。
1.私達の世代が未来をつくる
2.自由を追いかけているうちに、私達が放置してしまったこと
3.二周目に入った自己愛世代
4.孤独な父母の子育てをどうするか
5.「父親が子育てに参加する権利」
6.子どもを透明な檻から解放するには
7.自分の世代のことしか考えていない大人を見習うな!
8.若者なんてやめちまえ
9.次の思春期のために、私達ができること
10.命が循環していく社会へ
このブログの記事を面白いと思うような人には、興味深く読める本になっているんじゃないかと思います*1。全国の、ちょっと大きめの書店に配置して頂けるそうなので、興味を抱いた方は、書店で手にとって頂けると嬉しいです。
[関連]:あふれ出る当事者意識――「ロスジェネ心理学」によせて - 花伝社の窓から 事務所だより
*1:特に、第一章と第三章は、このブログの文章を参照している箇所が多いので、「この話題、そういやはてなで昔見かけたな」と懐かしく感じる人もいるかもしれません