インターネット上でも、日常生活でも、時々、「僕は理性的に考えるのが得意」って言っている人に出くわすことがあります。しかも口ではそう言っているのに、実際には僅かな批判や注意でテンションが物凄く下がったり、ちょっと注目されただけで舞い上がっちゃったりしてしまうような、そういう人。
この手の自称「僕は理性的に考えるのが得意」な人は、第三者から見れば全く理性的な人には見えません。むしろ感情や気分が優勢な人、という風にうつる筈です。本当に理性的に考えるのが得意な人なら、ちょっとした批判や注意はもちろん、賞賛や注目にも舞い上がることなく、いつも淡々とロジックに従って行動するものでしょう*1。
では、理性のあんまり強そうに無い、というより感情や気分が優勢な人が「僕は理性的に考えるのが得意」を自称するメカニズムはどういうものなんでしょうか?
理由は、まさにその、優勢すぎる感情や気分のためではないかと私は思います。
つまり、自称「僕は理性的に考えるのが得意」な人のなかには、あまりにも感情や気分が強すぎて揺さぶられてしまいやすいがために、そこから距離を取るための方便として理性にしがみつくしかない、という人がいるように思えるんです。自分自身のコントロール困難な感情や気分に振り回されたくないという思いが「僕は理性的に考えるのが得意」という台詞の源となっているというのなら、それはそれで得心がいきます。
ですから、そういうタイプの人が「僕は理性的に考えるのが得意」と言っているのを聞いたら、「僕は感情や気分からの影響がデカすぎるから理性的に考えたいんだ」と翻訳すれば良いかもしれません。そんな風に感情や気分のコントロールが不器用な人であれば、相対的には理性のほうがまだしもコントロールが上手なのかもしれず、あながち嘘とも言えませんし。
自称「僕は理性的に考えるのが得意」の人も、その内実や程度はさまざまです。「本当に理性的に考えるのが得意な人」と「感情や気分の影響がデカすぎるから理性的に考えたいと望んでいる人」では天と地ほど中身は違いますし、そこを取り違えると色んなトラブルになりがちですから、なるべくきちんと見極めたうえでコミュニケーションしていくのがいいと思います。
*1:そもそも、本当に理性的に考えるのが得意な人は、わざわざ「僕は理性的に考えるのが得意」という文字列を想起しないような気もします