- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 1983/07/01
- メディア: Video Game
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私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人達は以下のような事をよく言っていた。
「任天堂は、ファミコンで日本の将来を駄目にするだろう」
もちろん私はファミコンが大好きな小学生だったので、こうした大人達の言葉が面白く無かったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この「ファミコンが日本の将来を駄目にする」論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば『ゲーム脳の恐怖』といった具合に。
あれから二十年以上の時が流れた。
セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした*1。任天堂のライバル会社達も様々なゲームをリリースし、最近はソーシャルゲームも流行っている。現場の昼休み、作業員がスマホやケータイでゲームを弄っているぐらいには“プライベートな場所でゲームを楽しむ”という文化習俗は定着した。もはや、ゲームは子どもとオタクだけのものではない。
で、日本は駄目になったんでしょうかね?
年配の人達から見れば、「ゲームのせいで駄目になった」ように見えるかもしれない。
“飲みニケーション”や“付き合い”より小さなディスプレイでピコピコ遊ぶほうを優先させる“今時の若者”の姿は、年配の人達から見れば駄目っぽく見えるかもしれない。「いい歳してゲームなんかやっているから結婚出来ないんだ」「ゲームなんかやってないで車を買ってドライブしろ」という台詞も聞こえてきそうである。このような人達から見れば、任天堂をはじめとするコンピュータゲーム会社は、「日本の若者を駄目にした“戦犯”」という風に映るだろう。
「ファミコンなら一人でも遊べる」
ところで、どうしてファミコンは売れたのだろうか。
「面白かったから」は言うまでもない。だが、ファミコンだけが面白い遊びだったわけではない。当時、よくできたボードゲームも沢山出ていたし、集団での外遊びにはコンピュータゲームには代替できない面白さがあった。他にも草野球の類とか、色々やっていたと思う。
けれども、そのファミコンは他の多くの遊びには無い、特別なメリットを隠し持っていた。ボードゲームも、ケードロも、草野球も、どんなに面白くても一人では遊べない。けれどもファミコンなら一人でも十分に遊べる――この「一人でも遊べる」というのは、大きなアドバンテージだった。
ただ、ファミコンが出て間もない時期は、この「一人でも遊べる」というメリットは、それほどメリットとして意識されていなかった、と記憶している。ファミコンが出た当時、まだ子どもは“遊びはみんなでやるもの”という習慣を身に付けていた*2ので、「友達の家に集まってみんなでファミコンをする」というスタイルが流行っていた。少なくとも私の周囲では、そのようにしてファミコンを遊んでいたし、『マリオブラザーズ』『キングオブキングス』のような複数名で遊べるゲームはことのほか重要視された。また、『チャンピオンシップロードランナー』のような難しいゲームに、皆が集まって知恵を出し合うような場面もあったと思う。
だから、少なくともこの時点では「人間関係をなくしてしまった犯人はファミコン」では無かった筈である。
「一人でも遊べる」というファミコンのメリットがジワジワ効いてきたのは、皆が学習塾や稽古事に通いはじめ、友達と一緒に遊ぶためのスケジュール調整が難しくなりはじめてからだ。従来型の遊びの多くは、友達が集まってはじめて成立したが、ファミコンなら一人でも遊べる;こうなると『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のような一人で遊ぶのに適したゲームが有り難くなってくる。さらにゲームボーイが発売されたことで、「一人でゲームを遊ぶ」というスタイルは一層確立したものになった……もう、友達がいてもいなくても、いつでもどこでもゲームが出来るのである!それも、過去のゲームウォッチなどよりずっと複雑で、面白い内容のものが。
ここまで時代が下ると、「人間関係をなくしてしまった犯人はファミコン(やその他のゲーム機)」と言いたくなる気持ちも分からなくもない。実際、誰とも会話しないで遊べるゲームが売れるようになり、そのためのゲーム機も充実していったのだから。
「人間関係をなくしてしまった真犯人は誰なのか」
でも、ちょっと待って欲しい。ファミコンだって最初はみんなで遊ばれていたし、友達と集まって遊ぶ時間を奪った真犯人はファミコンじゃない。友人関係のスケジュール調整を難しくしたのは、学習塾や稽古事の類じゃないのか?
文部科学省『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査報告』によれば、小学生の稽古事への参加率は昭和60年度の時点で既に70%を超えており、平成5年度には76.9%まで上昇している。学習塾も、昭和60年度に小学生の16.5%、中学生の44.5%が通っていたものが、平成5年度には小学生は23.6%、中学生は59.5%が通うようになり、以後も大体これぐらいのパーセンテージが続いている。稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友達とのスケジュール調整が難しくなるということ であり、一人で遊ばざるを得ない時間が増えることでもある。
そのうえ、小学生が集団で遊べるような外の遊び場がどんどん無くなっているのだから、「家で一人でゲーム」「通学途中に携帯ゲーム」というスタイルが定着するのも当然、というか仕方ないだろう*3。
子どものスケジュールを稽古事や学習塾で塗りつぶし、皆で遊ぶための場所を取り上げるだけ取り上げておいて、そのくせ「最近の若者は一人でゲームばかりやっている」だの「コミュニケーションの経験値が足りない」だのと文句をつけるのは馬鹿げている、と私は思う。子どもだって、当初からゲームを一人で遊んでいたかったわけではあるまい――一人でも遊べる娯楽が、コンピュータゲームぐらいしか無かった*4だけなのだから。小学生時代、「友達とのスケジュールさえ合うなら、ゲームも皆で遊びたかった」という人は少なくなかった筈である。そして、そのようなニーズがあればこそ、最近のネットゲームやソーシャルゲームの台頭、あるいは『MONSTER HUNTER』のようなゲームがヒットする余地もあったのだろう。「独りぼっちは、寂しいもんな」。
ファミコンが流行るような社会環境が日本を駄目にしたのでは?
以上の延長線上で考えるなら、このエントリの結論はこんな感じになる;
「ファミコンが日本を駄目にしたのでなく、ファミコンが流行るような社会環境が日本を駄目にした」
“日本を駄目にした”という言い回しが気に入らない人は“若年者のコミュニケーションシーンを変えた”とでも言い換えて欲しい。要は、小中学生という、遊びを介して同学年とのコミュニケーションに切磋琢磨するべき時期に、独りでゲームでもやっているぐらいしか遊びようのないスケジューリングを強いるような社会環境のほうに目を向けたほうがいいんじゃないか、ということだ。ここで“戦犯”にすべきは、ファミコンや漫画やアニメの類である以前に、子どもが集まって遊ぶ時間を削り取った受験戦争と、その受験戦争を要請した社会、ということにならないだろうか。
もともと任天堂は、一人では遊べない花札や麻雀を商売にしていた。その任天堂が、いつしか一人でも遊べるコンピュータゲーム機に手を染めるようになり、成功していったのも、そういう社会変化を察知して適応していった結果なのだろう。皮肉な話である。