以前、こちらで「尊敬できる力」についてまとめてみたことがありました。その時は、『他人を尊敬できる力の高低によって、技能獲得やコミュニケーションの効率が大きく左右される』、みたいな話を書いたつもりです。
今回は、技能を教わる側ではなく技能を授ける側・誰かに指示を仰ぐ立場ではなくリーダーシップを発揮する立場にとっての「尊敬できる力(以下、尊敬力と略)」について、書いてみようと思います。尊敬力の高低は、自分が弟子や部下の時だけでなく、リーダーシップを発揮する際にも大きな影響を与えそうです。
尊敬力のあるリーダーは、部下の長所に気づきやすく、生かしやすい
一般論としては、他人を尊敬する力のある人のほうが、他人を軽蔑しがちな人に比べて、他人の長所や持ち味を発見しやすそうです。やたらと他人を軽蔑したり見下したりしている時には、長所より短所が目に付きやすいものですから。尊敬力に恵まれたリーダーであれば、部下や同僚の長所を見抜きやすいぶんだけ、適材適所もやりやすいと言えるでしょう。
リーダーだって、全ての面で部下や同僚より優れているなんて滅多に無いわけですから、まかせて巧くやってくれそうな部分は、まかせてしまったほうが効率は良くなります。そのあたりの、自分よりも相手のほうが秀でている部分を的確に見抜くには、他人を尊敬する力に恵まれた人のほうが目こぼししにくく、おそらく有利です。
世の中では「リーダー自身の作業能力はそれほどでもないけれども、尊敬力に恵まれているがために人間関係のハブ機能をうまく果たしている人物」をときどき見かけます。プロジェクト全体の進行を見守りつつも、部下の能力を見切って仕事を与え、なおかつ信頼と敬意を忘れないこの種のリーダーには、“人徳”という言葉が似合いそうですが、これは、部下や同僚の長所を把握できていればこそ可能な芸当でしょう。部下を軽蔑せず、敬意と信頼をまなざしに込めているので、部下も割とちゃんとついてきます。
一方、尊敬力の乏しいリーダーの場合、そうはいきません。以下に、尊敬力の足りないリーダーにありがちなパターンを幾つか紹介してみます。
尊敬力の無いリーダー1:全部自分で引き受けるタイプ
パターン1。他人任せの苦手なリーダー。
部下に安心して任せられない、自分でやるのが一番だとすぐ思ってしまうタイプ。
長所や才能よりも欠点が目についてしまうあまり、肝心のところを部下・同僚に任せることを不安がるタイプ。この手のリーダーは、「この分野ならこいつに任せておけば安心」という気持ちになかなかなれません。大事なところを全部自分で背負い込もうとしてしまいます。実際、自分でやったほうが確実といえば確実かもしれませんが、リーダー自身にかかる負担は大きくなりますし、部下や同僚の熟練度もこれでは伸びていきません。
尊敬力が乏しいがために、自分以外の素質や才能を見出しきれない・自分だけしか信頼しきれないリーダーは、個人としてどれだけ優秀でも、要所をすべて自分でやろうとしてしまうために、受け持てる仕事量は自分のスタミナ次第、ということになってしまいがちです。「この分野はこの人に任せておけば大丈夫」ではなく「自分でやるのが一番だ」ばかりでは、自分の手の届く狭い範囲の仕事しか、統率しきれないでしょう。
しかも、部下や同僚にあまり頼らず全部自分で背負い込む分だけ、このタイプのリーダーは心身への負担も大きくなりやすく、メンタルヘルスをこじらせてダウンしてしまうリスクも少なくありません。さらに悪いことに、肝心な部分をすべてリーダー一人で引き受けているがために、リーダーが病欠すると「プロジェクトの枢要を知っている人が、他に誰もいない」という空白を生み出してしまうことにもなります。肝心な所はすべてリーダー任せになっている環境では、そのぶん部下や同僚も育っていないことが多く、リーダーの身に何かあったときには混乱に拍車がかかります。
尊敬力の無いリーダー2:イエスマンしか欲しくないリーダー
パターン2。
尊敬力が足り無すぎるせいで、自分より優れた才能を煙たがってしまうタイプ。
常に自分が他人よりも優れていることを確認したがるタイプのリーダーや、自分の劣等感を糊塗するためにリーダーをやりたがるタイプのリーダーは、優れた部下や同僚の存在を好みません。たとえ部分的でも、自分より優れた長所や素養をみつけてしまうと、自分の劣等感がチクチク刺激されてしまうので、このタイプのリーダーは、自分以上の能力や技能を持った人をプロジェクトに迎えることが出来ません*1。部下や同僚に対して常に優越感が感じられるようなポジションを維持しなければ、ガラスのように脆いプライドが木端微塵になってしまいます。
こういうリーダーにお似合いなのは、無能なイエスマンです。
どの点でもリーダーには及ばない、劣化コピーな賛同者に囲まれていれば、安心できるしリーダーシップに翳りが見えてしまうリスクも少なくて済みます。リーダーの繊細なプライドは、破られることのない優越感によって守られますし、無能なイエスマン達のほうも、自分より全面的に優れたリーダーとの一体感に満更でもありません。リーダーを頂点としたヒエラルキーは、まずまず機能するでしょう。
しかし、プライドの繊細なリーダーと、そのイエスマンだけの組織は、リーダーの才能がそっくりそのまま反映されざるを得ません。リーダー自身が持っていない貴重な才能をリーダー自身が遠ざけてしまうような組織は、おのずと無能集団と化していくしかありません。部下や同僚も、リーダーの劣化コピーたることに甘んじやすく、才能を伸ばしていくことが困難になってしまいます。
尊敬力の無いリーダー3:部下を潰して安心するリーダー
パターン3。
優秀な部下や同僚に嫉妬し、これを潰して安心するタイプ。
パターン2の“イエスマンを求めるタイプ”と基本的には同じですが、優秀な部下や同僚を潰すことで安心する・劣等感を免れるタイプのリーダーも、いるようです。
他人を尊敬する力に恵まれず、むしろ見下したい・欠点をあげつらいたいリーダーにとって、自分の優越感を脅かす存在は心理的ニュアンスとしては潜在的脅威となり得ます。このタイプのリーダーも、ある種、他人の長所や美質に敏感といえば敏感ですが、しかし尊敬力の高いリーダーとは正反対に、長所や美質は嫉妬や嫌悪の対象と化してしまいます。
この手のリーダーのもとについてしまった部下や後輩は、注意深く行動しなければなりません。へたに長所や美質を発見されると、いじわるされたり潰されたりしかねません。「能ある鷹は爪を隠す」に徹し、凡庸なイエスマンのふりでもしておかなければ、なにかとめんどうです。そして出来るだけ早く、その邪悪なリーダーのもとから離れなければ*2、腐ってしまいます。
このタイプのリーダーは、もちろん指揮官としては有能ではないので、淘汰の激しい分野ではそれほど遭遇することは無さそうです。しかし、いるところにはまだまだいるので、遭遇したら細心の注意を払って出来るだけ早く、できるだけ穏便に逃げ出すのが得策です。もしリーダーや組織を選べる立場なら、いち早く察知し、このようなリーダーを選んでしまわないように注意しなければなりません。
尊敬力の高低は、リーダーとしての器量に直結する
このように、尊敬力の乏しいリーダー・他人のなかに敬意や長所よりも見下しと短所を求めたがるリーダーは、部下にとって迷惑なだけでなく、リーダーとしての器量もたいてい小粒のようにみえます。個人としてどれだけ優秀な人でも、尊敬力が低ければ、たくさんの人を使ってリーダーシップを発揮するのは難しいでしょう。
自分がどれだけ他人を尊敬しやすいのか、逆に他人を軽蔑したがるのかを振り返ってみれば、リーダーとしての器量も自ずとわかるのではないでしょうか。
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