シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『とある科学の超電磁砲』にみる、美少女キャラとの一体感

 

 
 
 『とある科学の超電磁砲』、たくさんのオタクから愛されているようである。
 
 本来、この作品は『とある魔法の禁書目録』の外伝的位置のはずなんだけど、本編をすっかり喰ってしまっている感がある。私も、『とある魔法の禁書目録』を一応は買っているけれども、今では『とある科学の超電磁砲』の世界を楽しむための参考資料ぐらいにしか思っていない。
 
 あるラノベオタクの人が、『とある科学の超電磁砲』を指して「見たいものしか見なくて済む作品」と言っていたが、確かにそんな気もする。例えば『とある魔法の禁書目録』の場合、主人公の上条さんは微妙に説教臭いし、他の男性陣もかなり癖があるせいか、ときどき鬱陶しいことがある。幼女キャラのインデックスの振る舞いに「こいつ面倒だなー」という印象を受けるシーンもチラホラあった。
 
 けれども、『とある科学の超電磁砲』はそれが無い。御坂美琴、白井黒子、初春飾利、佐天涙子、誰の振る舞いをみても「見たくないものをみた」という印象を受けにくい。そして、どのキャラクターにも男性オタクが自己仮託しやすいような特徴がしっかり散りばめられている。「見たくないものをみた」というよりもシンパシーや憧れのようなものがいつも先だって、見ていて終始気分の良い作品に仕上がっている。
 
 

四人のヒロインから提供される、一体感を感じやすい特徴

 
 主要な四人のヒロインは、それぞれがそれぞれに、男性オタクが感情移入や自己仮託をしやすい特徴(属性)を持っている。
 
 例えばヒロインの御坂美琴。
 彼女は「超電磁砲」の異名に相応しい能力を持っているだけでなく、努力家で男の子のような体型、そして短パンをはいている。と同時に、可愛らしいもの好きのツンデレという一面をも持ち合わせている。これはもう、男性オタクが一体感や自己仮託するにはぴったりのキャラクターであり、ある意味では「男の娘」の代理機能まで果たしていると言える。男性オタクが女性キャラに一体感や自己仮託しやすいキャラクターとしては、 『らき☆すた』の柊かがみや泉こなた『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』の桐乃などが挙げられるが、男の子っぽさと女の子っぽさが巧みにミックスされている御坂美琴も、相当のものである。
 
 それ以外の三人のヒロインにしても、白井黒子には風紀委員*1、貧乳、ツインテールといった属性が与えられているし、初春飾利には抜きん出た情報技能とおっとりした性格が、佐天涙子には「能力者ではない普通の生徒」「能力者へのコンプレックス」といった特徴が与えられている。こうした特徴や属性の数々――あるいは「萌えどころ」と言ってしまってもいいかもしれない――をとっかかりとして、視聴者は、好みのキャラクターに感情移入できるし、ある時は御坂美琴に、またある時は佐天涙子に、といった具合に複数のヒロインにかわりばんこに一体感を感じることだってできる。
 
 

御坂美琴が白井黒子に絡まれているシーンで、両方のキャラに一体感を感じてみよう!さあ大変!

 
 ところで、ヒロインへの一体化や自己仮託は、常に一人のキャラクターに対してだけしか持てないものだろうか?たぶん、そうではないと思う。場合によっては、同時に二人のヒロインに一体感を感じることだって可能だ。
 
 わかりやすい例を挙げよう。例えば、御坂美琴が白井黒子にエロチックに絡まれているシーン。「攻め」の白井黒子と「受け」の御坂美琴、どちらか一方にしか自己仮託できない人も多いとは思うけれども、二人同時に自己仮託すると、なんだかすごくサドマゾな疑似体験に耽溺できるんじゃないだろうか。
 
 つまり、御坂美琴に自己仮託することで「白井黒子に絡まれて顔を赤くしている女の子のボク」「今にも貞操の危機を迎えそうな女の子のボク」を疑似体験できると同時に、白井黒子に自己仮託することで「口では嫌がっていても顔を赤らめている御坂美琴にからみつく女の子のボク」「憧れのお姉様を我がモノにする女の子のボク」を同時進行で楽しんでしまうということが、可能ではないだろうか。御坂の立場で自己仮託しても、黒子の立場で自己仮託しても、ヒロインとの一体感を介して作品世界に没頭したい男性オタクにとってじゅうぶんに垂涎モノだけれど、両方同時に楽しめばもっと垂涎モノだし、想像力の世界でそれをやってのけてしまうオタクはそれなりにいると思う。「受け」を喜ぶような人は「攻め」も喜びたがりそうだし。
 
 ここまで極端なシーンに限らなくても、『とある科学の超電磁砲』のヒロイン同士のやりとりには、同時に二人のヒロインに自己仮託を感じ取ることで楽しめそうなシーンが沢山含まれている。初春と佐天さんのやりとりや、黒子と初春のやりとりなどにも、両方の立場に自己仮託を感じとりやすいシーンがあったと思う。
 
 

美少女への自己仮託プラットフォームが、ごく普通に選ばれる男性オタク界隈

 
 『とある科学の超電磁砲』は、表向き、この四人のヒロインの日常生活やアクシデントを描いたストーリー建てなわけだけど、実際はストーリーはオマケみたいなもので、女の子への自己仮託や一体感のプラットフォームとしての役割のほうが相当に大きいんじゃないか。一人のヒロインだけに一体感を感じるも良し、かわりばんこに一体感を感じるも良し、二人同時に一体感を感じるも良し。視聴者の自己仮託のアングル次第で色んな楽しみ方ができるし、それを妨げるような“ノイズ”は最小限に抑えられているように思える。
 
 もちろん、同じような楽しみ方が出来る作品が、今まで無かったわけではなく、『らき☆すた』や『けいおん!』でもそれに近い楽しみ方は出来たと思うし、それこそ『ゼロの使い魔』のような普通のライトノベルなどにも、部分的にはそういうシチュを楽しめるシーンが盛り込まれていたとも思う。また、男性オタク向きではないジャンルにまで目を向ければ、こういった趣向の作品は他にも沢山ある。けれども、男性オタク向けの「萌え」の文法をきちんと踏襲しつつ、なおかつここまで洗練された形をとっている作品というのは、そんなに無かったんじゃないだろうか。
 
 『とある科学の超電磁砲』をみていると、ああ、かわいい女の子への自己仮託と、それを介したオタクナルシシズムって、随分とメジャーになって、ごく当たり前に消費されるようになったなぁ、と嘆息せずにはいられない。実際、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』や『けいおん!』にしたところで、それぞれのジャンルで最も注目を集める作品のひとつになっているわけで。
 
 男の子が憧れを抱いたり、一体感を感じ取ったりするキャラクターというと、昔だったら『ゲッターロボ』みたいな(力強い/勇敢な)同性の男性キャラクターが主役だったはずなのに、最近のオタク界隈では、むしろ(かわいくて/自分との共通点のある)美少女キャラクターがその役を占めるに至っているし、そういう作品が実際に人気を博している;そういう状況のなかで、オタク界隈の、2000年代最初の十年が終わろうとしている。
 

*1:作品の言葉で言うなら『ジャッジメント』