※この文章は、ヱヴァ劇場版ネタバレを含みます。『ヱヴァンゲリオン破』をご覧になっていない人は、読まないほうが良いと思います。
TV版エヴァンゲリオンから14年経った後の、映画版ヱヴァ。14年経った状況だからこそ、以下のような台詞は十分にあり得る。
「あの綾波レイ、長門有希っぽくなかった。」
「タバサのほうがよくね?なんか生々しくてキャラが立ってない。」
「感情が豊かすぎる!」
綾波レイは、青髪無口系とでもいうべきキャラクターの系譜のなかでは始祖に近い存在だが、90年代のエヴァブームが去った後、幸か不幸か優れたキャラ造形の“子孫”に恵まれまくり、次第に存在感が少なくなっていった。昨今、青髪無口系といえば、まず第一に長門有希やタバサあたりを連想する人も多いのではないだろうか。実際問題、こういった“子孫”達のほうがキャラクター造形そのものは徹底していて、“萌えやすい”。
対して、劇場版ヱヴァに出てきた綾波レイは、微笑み・戸惑い・毅然とした態度などをかなり表情豊かにみせてくれた。あろうことか「ぽかぽかしたい」ときたもんだ。初代綾波レイを起点として発達・洗練されてきた青髪無口系というキャラジャンルのテンプレートをすっかり逸脱してしまっている。いわゆる“人形っぽさ”からも程遠い。
青髪無口系に特化したキャラに“萌える”のが専らだった人達にとって、あの表情豊かな綾波レイって“魅力的”にうつるんだろうか?いや、普通の人にとっては、あの綾波レイでもまだ表情が控えめだと捉えられるかもしれない。しかし、青髪無口系というキャラジャンルは、感情表出の乏しい美少女キャラクターを愛好する人達のニーズに応えるべく洗練-淘汰されてきた歴史がある。なので、その筋の愛好家の人達にとっては表情の豊か過ぎるキャラクターとして・もっと言えば“青髪無口系失格”のキャラクターとしてうつるのではないだろうか。ひどい場合、“あの綾波レイは、キャラが全然立っていない”などと言い始める人もいるかもしれない、ジャンルの始祖だということも気付かぬままに。
尤も、綾波レイをはじめとするヱヴァの登場人物達を、キャラクタージャンルなどというテンプレートに回収してしまおうという姿勢自体が無茶かもしれない。テレビ版に比べて輪郭がクッキリしたとはいえ、キャラ属性だけで表現しつくせない剰余を含んでいるのがヱヴァの登場人物であり、そこらへんを汲み取らずにキャラクタージャンルに分類して剰余を切り捨ててしまうのは勿体ないといえば勿体ないといえる。しかしまぁ、アニメの楽しみ方というのは人それぞれ。今回の綾波レイの生臭さよりも長門のキャラっぷり感を指向するというオタな人の選択は、もちろんアリだとは思う。
ちなみに
個人的には、今回の表情豊かな綾波レイはとても魅力的だと思っているし、青髪無口系の始祖自身が、キャラジャンルの枠をブチ破るかのような振る舞いをみせている皮肉を、感慨深く眺めずにはいられなかった。まるで綾波レイ自身が“わたしはおまえらの人形じゃない”“わたしはわたし、あなたじゃないわ”と自己主張しているかのようにもみえる。
綾波レイは、それでいいと思う。