シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ヒーリングアイテムとして消費される心理療法(の、抜け殻)

 
 若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった。
 
 上記リンク先の文章は、実際の心理療法のやりとりから拾い集めてきた台詞、のようにみえる。セラピストの台詞にちょっとカリスマじみた雰囲気はあるにせよ、ここに列挙されている言葉が治療場面にスッと出てきて、クライアントに浸透していったんだとしたら、かなり良い治療展開だったんじゃないかと推測される。
 
 例えば、

あなたが教えられた内容を完全に内面化していたら、あなたはたぶん生きていません

http://anond.hatelabo.jp/20090610012526

 なんていう言葉も、妥当なコンテキストのなかで登場すれば価値がありそうだ、とは思う。
 
 しかし、こういう心理療法の言葉の値打ちっていうのは、クライアント-セラピストの二者が重ねていった時間なり文脈なりに由来しているのが常だ。上に挙げた「あなたが教えられた内容を完全に内面化していたら、あなたはたぶん生きていません」という言葉にしたって、クライアントとセラピストの何度かのやりとりのなかで、時宜に適ったタイミングと文脈のなかで出てきてはじめて、特別な言葉として浸透していくんであって、初対面の相手に突然ふっかけられても“気付き”や“浸透”を期待できるような代物ではない。私が思うに、もし、心理療法のなかで値打ちのある言葉があるとしたら、それは額縁のなかに陳列された言葉ではなく、リアルタイムな二者関係の文脈のなかで躍り出てきた言葉のなかにこそ宿るのではないか。*1くわえて、心理療法には“表情やまなざしの阿吽の呼吸を伴ってナンボ”という部分もある。
 
 リンク先の箇条書きは、そうした二者関係の文脈からも、表情やまなざしの呼吸からも切り離された、匿名ダイアリー上でダイジェスト化されたものである。おそらく、何回何十回にも及ぶクライアント-セラピストの付き合いの折々に浮かんできた言葉のほんの一部分を、鋏で切り取ってきたものなのだろう。コラージュとなって浮遊しているこれらの箇条書きに、言葉に血が通っていた瞬間のニュアンスや値打ちが宿っているとは思えない。代わりに、コラージュを施されたことによって、これらの“抜け殻”は元来のニュアンスとは相当に異なった、もっとライフハック的でシンボリックな、ご都合主義的なニュアンス帯び始めているようにもみえる
 
 実際、この“抜け殻”に対するはてなブックマーク上の反応をみると、ヒーリングアイテムとして消費されている部分が少なくない。ライフハック記事とさして変わらない形で、ご都合主義な言葉のシンボルとして、“心理療法の抜け殻”が祀り上げられているのがみてとれる。
 
 

心理療法の繊細な内実より、癒しのイメージ消費が優先される

  
 繰り返すが、私は、心理療法の値打ちの大半は、交わされたテキストの派手さや巧みさそのものよりも、言葉では捉え難い、トータルな文脈や状況のなかに浮かんでは消えていく一瞬の隙間に宿るものだと思っている。そういう微妙で繊細なニュアンスを、数行程度のダイジェストで汲み取ることは、ほとんど不可能に近い*2。少なくとも、いちばん派手な言葉だけをダイジェスト化すればそれで良しという代物ではない筈である。
 
 しかし、そういった繊細な問題が省みられることは滅多に無く、心理療法は“癒し”のシンボルとして、アロマキャンドルやライフハック読本と同じような消費対象として期待されまくっていて、抜け殻だけの空虚な姿が、メディア上を駆け巡っている。誰もが「繊細な内実との対峙よりも、想像しやすいイメージやシンボルへの陶酔」を選ぶ時代とは分かっていても、無残な風景である。
 
 

*1:二者関係の文脈ってやつは、味噌のなかの麹成分のようなもので、それなくしては心理療法の妙味は即座に損なわれる、と理解している

*2:詩人なら、稀に成功することがあるかもしれないが、心理療法を吟じる詩人というのはあまりみたことが無い