http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090423/crm0904230940006-n1.htm
公然わいせつ容疑に該当するなら逮捕はしようがないし、イメージダウンも不可避だろうなとは思う。
とはいえ、テレビを通して彼が演じていた爽やかなキャラクターと、今回の全裸逮捕のギャップをみると、かわいそうだな、と同情を禁じえないし、全裸で捕まるぐらいで済んだのはまだしもマシなほうだったのかもしれない、とも思った。あの界隈には、ドラッグに手を出す人やら傷害事件を起こす人やら、色々な前例があるわけだし。
34歳のいっぱしの男が、記憶も定まらないほど酒を呑み、その挙句、全裸になって公園で吼えざるを得なかったという凄絶に、ちょっとだけ想像を働かせてみる。
彼は、爽やかなキャラクター像を----現実には有り得ないほど過剰に爽やかなキャラクター像を----売りモノにして生活の糧を得ていたわけだ。もちろん彼にもプライベートタイムはあっただろう。それでも、売りモノとしてこびりついた爽やかなキャラクター像は彼の私生活を締め上げていただろうし、立場上、“狭義のプライベートタイム”の少ない生活を余儀なくされていたことは想像に難くない。
爽やかなキャラクターを売りモノにしている人は、爽やかなキャラクターとしてのファンの期待を裏切らないように期待される。けれども、テレビに映っているような爽やかなキャラクターどおりの人間なんて、存在するわけがない。“草磲 剛というキャラクターのなかのひと”だって例外ではなかった筈だ。あそこまで爽やかなキャラクターを演じなければならない人間は、自分自身の爽やかではない部分や願望を、ひたすら抑圧するか、人目につかないように隠蔽しなければならない。そうしなければ、“キャラが立たない”。
人目につく場所では爽やかなキャラクターを固持し、キャラクターとして期待されない残余をひたすら隠して生きるというのは、相当に疲れる生き方であり、もっと言うなら人間疎外も甚だしい。まして、SMAPともなれば国民的アイドルであり、ファンの期待を裏切るまいというプレッシャーの大きさも尋常ではなかったことだろう。“草磲 剛というキャラクターのなかのひと”は、相当なプレッシャーと戦いながら、爽やかなキャラクターイメージを守っていたんだろうな、と推定する。
記憶が定まらなくなるほどアルコールを呑みまくることで、ようやく彼は“爽やかなキャラクター”という着ぐるみを脱ぎ捨てることができた。ただ残念なことに、勢い余って服まで脱いで、文字通りのスッポンポンになってしまったが。今回の逮捕は致し方ないにしても、なるべく早く復帰して欲しいと願う。
どこに行けば“キャラクター”という着ぐるみを脱いでスッポンポンになれるのか
こういう“キャラクターを脱ぎ捨てたなかのひと”の事件をみるたびに、僕は他人事じゃないような気がして、ちょっと怖くなる。
芸能人ほど極端ではないにせよ、僕達だってキャラクターを演じているし、時に応じて使い分けながら生きている。そしていつの間にか、キャラクターを演じ分ける日常生活に疑問すら感じななくなっている。職場や学校のような社交シーンに限らず、男女交際や家族のようなプライベートシーンでまでキャラクターを演じてしまう人も、今ではそう珍しくない。そして、キャラクターの重みに耐え切れずにメンタルヘルスを磨り潰してしまう人を、僕はたくさん知っている。
こんな人間疎外も甚だしい、演じるキャラクターの部分ばかりを強調し、そうでない部分をひたすら抑圧まくるようなライフスタイルを、市井の僕らまでもが引き受けている状況。こういうのって、メンタルヘルスを維持するにあたって相当な負荷だろう*1。“誰もがみんなキャラクター”とでも喩えたくなるような人間疎外の状況のなかで、一体どこで僕らはスッポンポンになればいいんだろうか?
*1:尤も、古い社会には古い社会で、別種の、派手な、抑圧の図式とメンタルヘルスへの負荷があるわけだけれど。