シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

googleと理想と万能感----夢を仮託せずにはいられない“カモ”な僕ら

 
 
 インターネットの世界に夢をみる人は後を絶たない。インターネット黎明期は当然のこととしても、その後も、Web2.0とかいう内実不明のキーワードや、SNSという泥田圃やらに対して、たくさんの人が夢や札束を投げかけてきた。声の大きい人達によって「自由」「可能性」「ロングテール」「知性」などのラッピングを施されたそれらのタームは、随所で共鳴反応を起しては、沢山の人を巻き込んできた。
 

無限の未来、吹き上がる過度の期待、理想と万能感

 最近はやっと落ち着いてきたが、一時期、「自由」「可能性」「ロングテール」「知性」などをまぶしたインターネットタームがひどくはびこっていたと思う。「グーグルでピザが届く」「労働コスト低下の帰結として働かなくても良くなる」「政治的・コミュニケーション的に束縛の無い知的発信が可能になる」などなどの魅力に多くの人達がむしゃぶりつき、我がことのように誇りに思っていた人もあったようだ。そしてそんな時、彼らは「いきいき」と目を輝かせている。Web2.0がどういう事なのかを慎重に吟味するとか、既存の環境で何が出来るのかを検討するとか、(はまちちゃんのように)悪戯めいたプロダクツを創りあげるとか、そういう人はむしろ少なく、とにかく煌びやかな装いに飛びついて恍惚状態になる消費者が後を絶たなかった。そして、グーグルでピザが届くメカニズムに自分が何ら寄与したわけでもなく、コンテンツの整備に何かしらの貢献をしたわけでもなく、単なる一消費者に過ぎないにも関わらず、自分自身を理想に仮託したかのように胸を張って「Web2.0が世界を変えるぜ!イェーイ!!」と洗脳者のお題目に陶酔するわけだ。本屋さんに行けば、その手の人達を酔っ払わせるための書籍が今でも平積みにされている。
 
 ある種の有頂天な消費者が知りたがっているのは、「Web2.0がどのような可能性と限界を持つのか」の正確な議論ではないのではないか。それよりも彼らが期待しているのは「それが十分に美味しそうな画餅を担ってくれること」や「それが十分に自分自身の万能感やアイデンティティを担ってくれること」あたりではないか。web2.0なり、googleなりに自分自身の未来を仮託し、理想と万能感の渾然一体となったテイストを味わうことこそを、期待している人達があるのではないか。
 

かつて、原子力や宇宙開発に夢を投げかけたが如く

 
 私は何も、新しいテクノロジーとそのプロダクツに夢を投げかけることが異常だといいたいわけではない。素人には咀嚼困難な、しかし新しいテクノロジーに過大な夢を投げかける事・その夢の投射を通して自身の万能感やアイデンティティ強化の材料とすることは、昔から行われてきたことで、目新しいことではない。戦後の日本もたぶん典型的で、人々は「原子力」「科学の力」などに己の夢を仮託することが出来た*1。やがて、原子力や科学への過大な期待は、公害問題やスリーマイル島原発事故などといった現実によって無残に裏切られていくわけだが、少なくともしばしの間、それらの新規テクノロジー(とその産物)は人々に夢を与えたり、その時代の人達のアイデンティティを幾らか補強する材料としても利用できたわけだ。
 
 そういう意味では、Web2.0やgoogleは21世紀でも今なお信仰可能な、数少ないロケットファンタジーの一つと言うことが出来るかもしれない。Web2.0という胡散臭いマーケティング用語はそろそろ鍍金がはがれてきた感じがするが、googleのほうはまだまだロケットファンタジーとして信仰することが出来そうだ。先日も、googleはストリートビューで随分とびっくりさせてくれた。googleには“まだまだ先の分からない未来”感が期待できる。ような気分が漂っている。
 
 もちろん、夢をみていいのは現場に携わっていない、ただ口を開けてサービスを待っているだけの僕達“カモ”の特権なのであって、googleの“なかの人”や、多かれ少なかれインターネットサービスに携わっている人は、夢見心地というわけにもいかないだろう。そうは言っても、既にいくつかの問題点が周知されている原子力などに夢を仮託するよりは、今日日、インターネットやgoogleに理想や万能感を仮託するほうが遥かに容易なわけで、googleの活躍を我がことのように有頂天に体験し、インターネットの未来可能性と自分自身の未来可能性の渾然一体となった感覚に陶酔する体験形式は、今しばらくは安泰なのだろう。
 
 

虎視眈々と“カモ”を狙っている連中がいる

 
 しかし、この手のロケットファンタジーに陶酔したがっている“カモ”の存在に早くから気付き、抜け目なくカモをカモっている人達がいる。カモが思いたいとおりの虚像を焚きつけ、理想・万能感・陶酔感を煽り、その吹き上がる蒸気力を利用してタービンを回したり、餅をぺったんぺったんついている連中がいる。プロはともかく、素人はしばしば焚きつけに弱く、実際の可能性と与太話を混同してしまいやすい。素人のなかには、googleやWeb2.0の実体を精査するよりは、理想のイメージや期待通りの偶像を崇拝したがっている文字通りの“カモ”が沢山混じっているので、それをビジネスチャンスにしない手は無い、というわけだ。夢を売って実を取る商売や、理想や万能感を煽るような商売は、こんな時代でも、否こんな時代だからこそ、引き合いも多い。適度にロケットファンタジーを楽しむのはそれはそれで健全だとは思うけれども、“カモ”を狙っている連中には注意しておきたいところだ。
 
 

*1:もしかすると、平和や民主主義にも己の夢を仮託することが出来たのかもしれない