シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

94年のおたく侵入者と、08年のオタク侵入者の相違について

 
 id:tenkyoinさんへ。
http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20080606#p1
 
 んー、似ているところもあるけれど、違っているところもあると思う。「落ち武者が界隈に侵入してきて、そこでふんぞり返る」という構図自体は、かつての「おたく」時代後期の話と「オタク」時代後期(と推測される〉現在では共通しているようにみえますが、以下の点で少し違っているような気がします
 
・90年代のお話のほうは、インテリ落ち武者と「引きこもり系」の共犯関係を通して、オタクコミュニティ固有のヒエラルキーの秩序を形成し、内側のオタ自治領を曲がりなりにも構築した、という経過だと思った。しかし今オタク界隈になだれ込んできているのは、インテリ落ち武者とかではなく、例えばヤンキー崩れとかで、指向されているものは界隈全体の秩序ではないと思う*1。無いところに秩序を形成した侵入者のお話から、既にある秩序をインバージョンする形の侵入者のお話への変化、という相違があるように思えます。
 
・だから、ヤンキー崩れも自分達の故郷のヒエラルキーを持ち込んでくるという点では、かつての落ち武者と共通しているかもしれないが、排他的な自治領を構築、といった意図は無さげ。もっと言えば、ポップ化したオタク界隈には、誰でも入ってこれるので、固有の文化圏のヒエラルキーを持ち込んでも、それを界隈全体の秩序へと塗りこめることは結構大変そうではある(94年の時とは違って、落ち武者だけが入ってくるわけじゃないし)。で、色んな文化圏の人が積極的にオタク文化圏に接触したとき、その内部ヒエラルキーはどのような共通基準で定められる傾向が強くなりますか?ということを考えなけれならない。その際、いわゆるインテリ系の人達のジェスチャーはどの程度の意味を持ちえるでしょうか?
 
敢えて「ヤンキー崩れタイプ」も権力志向だと強弁するとしても、彼らの信奉する神は、知識やらシステムやらではなく、「腕力と威圧」だと思います。
 
 
 
 一見すると1994年に書かれたそのテキストとの共通点を見出したくなりますし、実際拾い出す価値もあるとは思いますが、当時とは異なった人達がなだれ込んでいること・異なったヒエラルキーのコードを奉じて様々な人達がなだれ込んでいこと、などといった相違にも、ある程度の着眼が必要だと思っています。
 
 

追記

 引用先でいう「引きこもり系」は、どうあれ、ヒエラルキーの下位に位置づけられるんだろうな、としんみりと思った。

*1:ヤンキー崩れにとって重要なのは、今この瞬間の快/不快が、腕力や威圧という彼らのコードで制御可能かどうか、という点まででしかないでしょう