シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

オタク界隈という“ガラパゴス”に、“コミュニケーション”が舶来しました

 
 時代は
 オタク=コミュニケーション貧者
 オタク愛好家=冴えない根暗
 ではなくなってきてるんじゃないかと思う。

 
 
 
 例えば僕が「脱オタサイト(汎用適応技術研究[index])」を開いた2001年頃だったら、秋葉原であれコミケであれ、[オタク=コミュニケーション貧者][オタク愛好家=冴えない根暗]という図式は、確率としては、かなりの確度で当てはまっていたと思います。インターネットで『侍魂』『ちゆ12歳』なんかがヒットしていた当時、“オタクでも服装を整えよう”とか“オタクだけど周りの目を気にしてみよう”などと考える人の姿はまだ疎らで、今で言うアキバ系ファッションが最盛期でした。
 
 この2000年前後においては、服飾面でも、会話技能や処世術でも、アニメやゲーム趣味を主な娯楽にしている思春期男子と、そうではない思春期男子には、コミュニケーション能力のアベレージにかなりの落差があったと思います。当時、“脱オタ”がある程度の段階まで来ていた私は、オタク趣味の内外のそこらじゅうの文化圏に首を突っ込んで回っては、歓迎されたり叩き出されたりしていましたが、そうやって色々な文化圏と見比べて回るにつけても、オタク趣味界隈が最もコミュニケーション貧者が多いように感じられました。後々気づいたんですが、あの頃のオタク趣味界隈って、能力的にはコミュニケーション貧者が多かったかもしれないけれども、コミュニケーションの摩擦のかなり少ない状態でつるんでいられるという、ある種の楽園のような状況が保たれていたと思うんですよね。
 
 ところが、『電車男』以後ぐらいから、どうも様子が違って感じられるようになりました。もう、秋葉原に行っても典型的な“アキバ系ファッション”ばかりとは限らない。秋葉原の本屋に『脱オタクファッションガイド』が平積みされ、メイド喫茶がテレビで紹介されるような時代を経て、いつの間にか秋葉原の服飾のアベレージはすっかり変化してしまいました。“臭いオタク”なんて過去の話で、小綺麗な男女が“とらのあな”の紙袋を持って中央通りを闊歩するのが2008年です。オフ会でも、ただお喋りなだけの五月蠅いオタクや、聞き取りにくい小さな声でしかしゃべれないオタクの割合というのも急速に減少しているような気がします。オタクだからコミュニケーション貧者だとか、オタクだからコミュニケーションへの意識が乏しいとかいう傾向は、少しづつ終わりに近づいているんではないでしょうか。
 
 なかには、今でも服飾やコミュニケーションに時間もお金もかけずにひたすらエロゲーだけを追いかけるような旧来的なオタクさんもいないことはない。でも、オタクという言葉が指し示す人達はどんどん希釈されているし、エロゲーやラノベに関連したコンテンツを楽しむ人も“ライト化”“カジュアル化”していく現状のなかで、そういう求道者や仙人のようなオタクってのは割合的にどんどん小さくなってきている。そして、世間のアベレージとオタクのアベレージは、服飾も、コミュニケーションへの意識も、だんだん変わりが無くなってきているように思えます。これは、“オタク内部がコミュニケーションを意識するようになった”という変化だけでなく、“外部からオタク趣味界隈に新たに入ってきた層や、新たにラノベや2chなどを通して入ってきた層による変化”もあっての事でしょう。いずれにしても、もはやオタク趣味を愛好する人がやたらコミュニケーション貧者であるとか、服装がお粗末であるという傾向はこの数年間に間違いなく変わってきています。
 
 2000年前後の男性オタク趣味界隈は、確かに服装は“アキバ系”だったかもしれませんが、それゆえにコミュニケーションの諸能力を問われることなく集うことの出来る、緊張の少ない空間だったと記憶しています*1。多少、痛いオタ芸が出ても、痛い痛いと小馬鹿にするでもなく、まぁまぁ楽しくやりあえた時代だったと思います。しかし、小綺麗なオタクの時代には、そうはいかない。オタク趣味空間やオタクオフ会でも、コミュニケーションが意識されるようになりましたし、魅力的な異性が会に加わった時などには、その傾向に拍車がかかるようにもなりました。他の文化圏から切り離された絶海の孤島としてのオタク界隈は、かつてはコミュニケーション貧者にとっての貧民窟だったかもしれない、けれども逆に言えばコミュニケーション諸能力を問われない、ある種のパラダイスでもあったんだと思うんです。ですがそれももう終わりのようです。お洒落なオタクが増えました。気の利くオタクも増えました。多趣味なオタク*2も増えました。だけど、オタク趣味界隈はいつまでも“ガラパゴス”ではないようです。色々な人が出入りする、もっと一般的な消費カルチャーに向かって突き進んでいるようにみえます
 
 こうした時代の流れ・オタク界隈の未来予想を考えると、もはやオタク趣味愛好家特有の弱点としてコミュニケーションの問題を考えるのは適切とはいえないと思うのです。一昔前の秋葉原だったら、オタショップの紙袋を持ってる奴=コミュニケーション貧者という極端な決めつけでも8割がたは当たってたと思いますが、今の秋葉原ではそうはいきません。めちゃくちゃモテるオタクだって結構いるし、逆にモテる男性がオタク趣味に新たに手を染める、なんて事も起こるようになってきました。オタク界隈という“ガラパゴス”にも次々に新しい人が入ってきて、“ガラパゴスの旧来の動物達”も、新しい風と、新しいコミュニケーションの波に直面しつつあります。勿論、ライトな人の寄りつかない極端な領域やオンライン上では、コミュニケーションの気苦労を最小化していけるでしょうが、オフ会や秋葉原やコミケでは、コミュニケーションの普及ともに、その為の気苦労が押し寄せてきているように思えます*3。もう、オタクだからコミュニケーション貧者だとか、オタクだからコミュニケーション不要だとか、そういう話は少しづつ通用しなくなってると思うんです。時代は変化していますし、オタクも、オタク界隈も変化している。“ガラパゴス”にも、“コミュニケーション”が舶来しました。近未来のオタク界隈がどう変化していくのかを考えるうえで、この変化を無視するわけにはいかないでしょうね。
 
 
 
 ※2008-05-27 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」へのお返事として。

*1:勿論あまりに極端であれば、問題にはなったにせよ

*2:アニメやゲームや漫画など以外の、レジャーなども楽しむ、というような意味の多趣味

*3:個人的には、二次元美少女などのコンテンツが21世紀においてメジャー化しうる特徴を持っている限り、こうした傾向は不可避のものだったと思っています。後世、もしゼロ年代を振り返るとしたら、理解の鍵になるのは二次元美少女に違いないと僕は思っています。