シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

マズローの使い勝手(私信?)

 
説得力が無いマズロー説 - REVの日記 @はてな
「若者が辞めていくのは、自己実現できないから」はどこまで本当なの?:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
 
 個人の行動を理解・予測するにあたって、マズローの欲求段階論を適用しやすいところもあれば、そうでないところもあると思ってます。
 
 
 マズローの欲求段階論は、人間がどのような欲求*1に衝き動かされて行動し得るのか、を簡便にカテゴライズするには好都合なせいか、あちこちで引用されてはいます。ですが、簡便であればこそ細かいメカニズムまでは説明できないし、欲求のピラミッドのどこの部分がどの人において特別に分厚いか、という個人差を含めた問題を取り扱うにも向いていないような気がします。勿論総論としては、マズローの説にも説得力のある部分はあると思います。例えば自己実現や承認欲求が食欲に優越し続けるという個人は、いないわけではないにしても多くはないと思います。極限の飢饉のなかでも自己実現や承認欲求に心血を注いで死んでいける人は、必死になって食を求める人よりも割合としてはかなり少なそうです。
 
 
 もし、私個人がにマズローの欲求段階論を良いトコどりするとしたら、直感に逆らわない分かりやすさ(つまり説明のしやすさ)と、意外と上手く出来ているカテゴリを良いトコどりしたいと思います。マズローの五段階カテゴリは、どれも直感に訴えやすく、わかりやすい。しかも、この五つのカテゴリ分けの内側では、個々人の動機付けを意外と手間取らずに分類できます。欲求を求めての行動の殆どを、ちょっと習えば誰でも五つのカテゴリのどれかに一応振り分けることが出来るというのは、これはこれで一つのメリットだと思いますし、マズローのカテゴライズの大きな長所の一つだと思っています*2
 
 ただ、マズローの説の欲求ピラミッドのヒエラルキー関係を全ての人に素直にあてがっても、やはり上手くいかないなと思うことはあります。ある種の人達、ある種の状況、ある種の文化のなかでは、寝食を忘れて承認欲求や所属欲求に命を賭ける頻度は様々でしょうし、所属欲求をろくに持たない一匹狼が承認欲求や自己実現に励んでいるケースもあるでしょう。マズローの欲求ピラミッドは、マズローの生きた文化圏・マズローの生きた人生・マズローの生きた時代において最もしっくりするものだったかもしれませんが、異なる文化圏や異なる人生、異なる時代においては多少のアレンジを施さないと上手く適合できないと思います。例えば昭和年代の日本人において、承認欲求や自己実現の段階は別に無くてもさほど構わないものだったのではないかと思いますし、それが無いことをもって未成熟と言うことは出来ないと思います。それに、マズローの説単体では、“DV夫の奴隷になったまま離れない妻”のような存在は説明出来ません。マズローの欲求段階のピラミッドが厳密に守られるなら、DV夫と奴隷妻の共依存など滅多に無い筈ですが、安全や安心が相当のところまで脅かされていても、案外と共依存カップルは離れません。
 
 また、マズローの欲求段階、という話には、上位の段階ほど成熟していて、成熟した人間ほど上位の段階があって然るべきダロ、という変なスキーマが忍び込んでいるような気がして、気になることがあります。承認欲求や自己実現欲求があるのが立派な大人で、上の段階の欲求のほうが立派なものという先入観があるのでは?だからヒエラルキーが形成されているのでは?という疑いです。食欲や性欲が下で、所属欲求が真ん中、承認欲求や自己実現欲求が上、というのはしばしば見かける価値観にはなかなかフィットするかもしれませんが、そんなヒエラルキーを所与の条件として良いのか、迷うところです*3
 

 ですが、厳密な欲求のヒエラルキーを想定せずに、“それぞれの欲求カテゴリが個人差や状況差によって競合しあうことがある”と考えるに留めるのであれば、意外とマズローのカテゴリ(段階ではなくカテゴリ)は便利で、わかりやすさの長所を減じることがないように思っていますが、如何でしょうか。個人・状況・時代によって、どのカテゴリが最優先になるのかは実際には様々でしょう。ですが、この個人ではこのカテゴリが優勢だとか、この時代この文化ではこのカテゴリが優勢だとかいった傾向は確かにあると思います。例えば日本*4においては、所属欲求はかなり優先度の高い欲求で、全体に占める割合も、美徳として認知される度合いも高かったのでは、と考えています。マズローの五つの欲求カテゴリのどれが今の時代や目の前の個人において最優先なのかを読み取って、ヒエラルキーのピラミッドを積みなおすように取り扱う限りにおいては、(使えねぇと言われがちな)マズロー単体でも意外といいところまで整理整頓が出来るんじゃないかと思います。*5

 
 巻尺も天秤棒も30cmモノサシも天体望遠鏡も使い方次第。
 

*1:または、誰かの言い回しを借りるなら“欲望”というカテゴリーに入るものもここには含まれるかもしれない

*2:もちろん、簡単な分だけ精緻な検討には向かないという部分もありますが、どうせなら簡便さを精一杯生かしたいものです。精緻な検討には、別の理論を用いれば良いのでしょうし。

*3:今日日の世界的趨勢を考えれば、そのようなヒエラルキーを所与の条件としたほうが、色々な便宜にありつきやすいという話には、もちろん賛同します。

*4:特に昭和時代などの日本

*5:ただ、私はそこまでしてマズローを選びたいとは思いませんし、現代の日本の、団塊ジュニアより下の世代の動機付けを説明するには、かなりモディファイしないと駄目だとも思っていますが。