「僕自身がエゴイストか否か」については今更問題にするまでもでもないし、「自分はエゴイストではない」という人の足元をみれば、彼のエゴが食い散らかした痕跡がかならず見つかるので、そのこと自体を問題視しても仕方ないよね、とは思う。
しかし、一人の、我が身可愛いエゴイストとしての自分自身を踏まえたうえで、どのようなエゴイストたろうとするのか・エゴイスト同士ではあってもどれだけ周囲の人達と折り合いよく、快適に過ごす道があるのか、には重大な興味を自分は持っている。
「エゴイストか否か」ではなく、「エゴイストとしてどんな風に生きていく」のか。