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文部科学省が発行する、学習指導要領のPR小冊子「生きる力」の08年版において、「理想の子ども」として、ゴルフの石川遼さんと、フィギュアスケートの浅田真央さんの文章を載ったというニュースを耳にした。この小冊子に関して、文科省初等中等教育局教育課程課の小幡泰弘課長補佐(37)は、こう言う。
「親にとって石川君や浅田さんは『こんな子供に育って欲しいな』という理想の存在ですから」*1
少しぐらい躊躇ってくれればいいのに、と私は思うのだが、この小幡課長補佐は、あの二人を親が子どもの理想とすることに何の抵抗感も持っていないにみえる。小冊子を読む側の親や先生のなかにも、抵抗感を持たない人がいそうである。しかし育てられる子どもの立場からみて、「理想の子ども」としてこの二人が持ち上げられるのはどうなのだろうか。
子ども自身がTVのスーパースターを理想化するのなら、これはまぁ分かる。子ども向けの本や冊子に世界で活躍する若い世代を掲載するのは、悪いことじゃないと思う。だが、学習指導要綱という、子どもを育てる側が読む冊子において「理想の子ども」としてスーパースターを呈示すると、親の子どもに対する要求水準を釣り上げてしまったり、親が高い理想を子どもに仮託する度合いがひどくなってしまったり、という副作用が出やすくなるのではないか、と私は懸念する。
私は、学校のテストで85点を取ってきても子どもを褒めず、「100点取れなきゃスーパースターになれないでしょ!」などと怒るような親のもとでは育ちたくないし、そんな親では子どもの心的成長や能力の獲得に影を落とすのではないか、と思う。高い理想を親から仮託されながら育つ子どもは、かなり悲惨だと思うし、その理想が破れたら、子ども自身だけでなく親も含めて、大変困ったことになるんじゃないかとも思う。等身大の自分・今ここで忍びがたきを忍んで塾通いなどをしている自分自身、というものはちっとも顧みられぬまま、メディアに映るスーパースターのほうばかり理想と感じる親のもとで、子どものメンタリティがスクスク育ちやすいとは私には思えない。理想を仮託されすぎた子どものメンタリティが、遂に追い詰められてしまった状況を目にする機会の多い私としては、教育要綱なるメディアのなかで「理想の子ども」として石川遼さんや浅田真央さんが無邪気に称揚される状況を、複雑な心境で眺めずにはいられなかった。その辺りをまとめてみたのが、リンク先です。