シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

沈没船を見捨てた船長さん/そんな船長さんへの恨み妬み

 
 ダイエットの次はお洒落へ----最近、岡田斗司夫さんの発言に関する文章を見る機会が何度かあったが、少なくともはてなブックマーカー達の反応はあまり芳しくないようだ。kagamiさんとkanoseさんの記事に対する反応は以下のようなものであり、なかなかの熱気がかんじられる。
 
はてなブックマーク - 岡田斗司夫さん、お洒落に目覚める −オタキングからおフランスへ− - ロリコンファル
はてなブックマーク - 中川翔子氏は男オタクの理想の彼女に見えるがそうではないという岡田斗司夫氏の発言 - ARTIFACT@ハテナ系
 
 なるほど。以前はオタクを称揚する芸風をもって知られた岡田さんが、オタクイズデッドと言ったのが昨年。そして、ダイエットを経由して“お洒落”へ。先日たまたまTVで岡田さんがダイエットを語っている所をみかけたが、単に痩せたというだけでなく、自分自身のタレント性をもこの機に変更しようという意図が感じられたような気はする。もしかしたら、既に年齢的に現今のオタク界隈の流れとセンスについていけないからこそ、サバイブを賭けてキャラクターを変更しようと舵をきったのかもしれない。
 
 しかし、ダイエットにしてもお洒落にしても、もっと早い時分から出来ることだったんじゃないかなぁとか、49歳という年齢になって「ダイエットとお洒落を語るタレント」にジョブチェンジするというのもなかなかに凄絶という印象は否めない。「ダイエットやお洒落は自己投資・知的で論理的な遊び」などと、今更オタキングが言い出すというのもなんともかんとも。ダイエットやお洒落を自己投資・知的で論理的な遊びだと岡田さんが主張するなら、以前の岡田さん自身の生活はあまり知的ではなかったということだろうか(そんな事は無いと思うが)。以前の自分のライフスタイルとは対立するような言動に走ったその姿は、まるで脱オタクファッションしたてのファッションオタのように初々しくもあり、痛々しくもみえる。にも関わらず(未練がましくも)しょこたんに対する屈折した発言をするにつけても、その痛々しさは遂に明確なものになった感がある。いや、岡田さんであれば、イメージを損得勘定したうえで意識的にそういうキャラを選択するという事は十分有り得るけれど、だとしても、よくもまぁこのようなジョブチェンジをやるなぁと驚かされた。あれじゃあ「脱オタに遅れたおじさんオタが、ついていけない新世代オタに難癖をつけながら、お洒落を使った優越感ゲームに走った」と言われかねない。
 
 尤も、岡田さんをこれから初めて知る新しいファンの人は、そういった疑問を持つことは無いだろうし、職業人としての岡田斗司夫さんのサバイブ戦略としては、必ずしも悪い選択では無いのかもしれない。TVでダイエットを語る岡田さんの口調は淀みなく、上手にやっていたと思う。「潔癖すぎる人にはこのダイエットは向かない」と断りを入れるあたりも流石である。旧来のオタキングを知る者にとって寂しいことかもしれないにせよ、岡田さん個人のサバイブ戦略としては、あれはあれで十分に考えて選んだ戦略なのだろう、と思うことにする。
 
 

岡田斗司夫さんは、中年オタクという沈没船を見捨てた船長か?

 
 岡田さん自身の去就よりも私が興味をもって考えさせられたのは、昨今の岡田さんの発言の変節ぶりに当惑する私達は、果たして彼のことを他人事として澄まし顔をしていられるのか?ということだ。確かに、いい歳した岡田さんが突然ダイエットとお洒落にキャラチェンジするというのは応分に痛々しくもある。だが、岡田さんはそうやって御飯を食べていく職業なんだから、致し方ない&構わないという部分はあるだろう。だが、誰もが岡田さんになれるわけではない。オタク趣味一本でやってきたけれどもついていけなくなった、という中年オタが、ある日お洒落に突っ走ったからといって、さて良いことはあるだろうか。第一に、突っ走ることが可能だろうか。
 
 オタク中年化問題(汎適所属)について最近私は考えることが多いが、果たして、岡田さんのことを三十代以降のオタク達はどこまで他山の石とすることが出来るのだろうか。新しいオタクコンテンツについていくのが厳しくなって、古いコンテンツにしがみつかざるを得ないオタク、ニコニコ動画で[おっさんホイホイ]にホイホイされまくっているオタク、といった人達は、これからどうしていくというのだろうか。俺はオタクなのかオタクじゃないのか、誰か教えて!に書かれている文章は、誇張こそ含んでいるような気はするものの、[既に先細りが確定したジャンル・コンテンツにしがみつきながらオタク的メンタリティを持て余すという境遇]は必ずしもレアなものとは私は思わない。実際にこの手の人というのは結構みかける。オタク文化は、十年一昔ならぬ五年一昔。新しいジャンル・コンテンツについていけないと承認欲求も所属欲求も優越感も得られない、かと言って新規ジャンルを開拓していこうにも現在の承認欲求や優越感を手放すのが嫌で、おまけに感性も歳くって保守化しているからついていけない、というのは三十代オタの誰もにとって他人事ではあるまい。そして自分には手の届かぬ若い世代とコンテンツに対して「ああいうのはわかってないよね」「最近どんどんアニメとゲームが腐っていく」と駄目出ししてみせる所まで来てしまえば、多分おしまいである。
 
 しかし、モノカルチャーなオタク趣味以外には自意識を満たす手段を持ち得なかったような、そういう中年オタクが岡田さんのように華麗な転身を図ろうにも、それは著しく困難なことだ。アニメとゲームだけにチップを積み上げる生活をしていた人が、四十五十になって急遽ファッションだ何だといい始めても、岡田さんのようなメリットを享受できるとは考えられないし、“俺って格好いいぜ”と思い込むのも難しい。お洒落を対人関係に利用しようと思っても、肝心のコミュニケーションのその他の実行機能が年齢不相応のままであれば、おめかししても実効性はあまり期待できない*1。オタク界隈のトレンドに追随出来ない自分自身を持て余しながらも、岡田さんのような転身も期待出来ない中年オタクにとって、または自分自身がそのような中年オタクになるのではないかと予感している予備軍の人達にとって、岡田さんの華麗な転身は、沈没船を見捨てて一人で逃げ出す船長か何かのようにうつるのではないか?だからこそ上記のはてなブックマークのように、岡田さんへの不満や皮肉が飛び交っているのではないか、とふと思ってしまったわけである。
 
 図らずも、今回の岡田さんの華麗なる転身は、徐々にオタクトレンドについていけなくなりつつある中年オタク(とその予備軍を自覚する人達)の不安を刺激するものとなったのではないだろうか。じりじりと沈没しつつある中年オタク達を見限って、自分だけは「オタク趣味と無縁の世界」へと脱出する“オタキング船長”の姿に苛立ちを感じているのではないだろうか。なかには、沈没する船には船長が残るべきだ、などというロマンチズムを好む人もあるかもしれない。だが現実には、オタキングは中年オタクとして沈没船と命運を共にすることなく、さっさと新天地に脱出してしまったわけだ。同世代オタクのオピニオン・リーダーの一人としてのオタキング“船長”がおかくれになったことに、密かに恨み妬みを感じている人もあるのではないだろうか。

*1:ちなみに岡田さんは、面白く話が出来る程度にはコミュニケーションが巧みなのである!