ライトノベル(ラノベ)を昔から読んでいる人から話を伺うと、彼らは一冊のラノベを通勤片道で読破してしまうという。だから月に何冊も消化することが出来るのだという。うらやましい話だ。尤も、年間に何十冊何百冊のラノベを読もうと思ったら、それぐらいしなければラノベ界隈の把握など無理なのかもしれない。
でも、ラノベを読み慣れていない自分はラノベを読むのに時間がかかる。それがキャッキャウフフで萌えなラノベであるほど駄目だ。駄目な主人公がいろんな女の子の綱引き道具のように取り扱われている作品などは論外で、一ページ読むたびにウッヒャーウッキャーと(お猿さんのように)情景に耽溺しつつ進むものだからページが進まない。そんなわけで、ラノベを一冊読破するのに2時間近くをかけてしまいがちで、消化速度がラノベのリリース速度に追いつかない(実際、まともについていこうなどとは最初から考えていないわけだが)。ラノベを素早く読破出来る人は、俺のように各駅停車で萌えたり本を閉じて身悶えしたりはしないのだろう。しかし俺の場合、キャッキャウフフの一つ一つのシーンに耽溺してしまわずにはいられず、だからラノベやエロゲーの類の消化速度が無様なほどに遅い。
ある親切なラノベ好きの人が教えてくれました。
ある親切なラノベ好きの人が、twitterでこう教えてくれました。
「ラノベは、タイトルと表紙をみて大まかな話が分かり、口絵を見ると大体分かる、というのが便利です。」
あ、いや確かにその通りで。「内容が分かる」「筋を追う」という意味ではそれで十分なのかも。まとめ脳な厨房のように「タイトルと表紙と口絵だけのまとめマダーチンチン」と催促したくなってしまいます。本屋でタイトルと表紙と口絵だけをザッと立ち読みするというのは行儀が悪すぎるのでやるつもりは無いけれど、それだけをパッケージした商品なりなんなりがあったら「便利」かもしれない。
でも、内容を把握する・筋を追う・便利さを追求するということと、一冊のラノベを楽しむということは多分別個の命題のはず。素早く把握出来ればそれで良しという割り切りも、それはそれで寂しい。俺のようにあまりにも読破に時間がかかりすぎるのも困りものだけど、把握至上主義というのもかなり勿体ないことではある。で、ラノベを長年読み慣れている人達は、ここら辺の時間バランスやのめり込みとかのバランスが、自分なりによくとれているんだろうな、と思った。