シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

おかあさんとファッションセンターしまむら

 
 久しぶりにファッションセンターしまむらに行ってきた。今日も沢山のお客さんでごった返しているが、やはりしまむらはおかあさんの為の店だという事を改めて痛感した。週末、日本全国の国道沿いにマイカーで押し寄せるおかあさん達*1に特化した販売スタイルとラインナップがそこにある、と感じる。しまむらはしばしば、秀逸なビジネスモデルとして取り上げられるわけだが、あくまでそれは「国道沿いに買い物に来るおかあさん達に特化したビジネススタイル」という枠を踏まえて理解されなければならないと思うし、しまむらがビジネスモデルとして秀逸かどうかは、私達男性オタクがしまむらで服を買い求めることが、どの程度脱オタに有効なのかとは別のお話である。幾らしまむらが服屋として優れていようとも、それが「脱オタに向いているか」「コミュニケーションの一アクセントとしての服飾として期待し得るか」とは限らない。
 

おかあさんがいっぱいのしまむら

 しまむらのお客さんは、やはりおかあさんがたが多い。駐車場には、軽自動車やマーチ、ヴィッツ、といった車がずらりと並ぶ。大型のファミリーカーも多い。自分自身の服だけでなく、息子や夫の服を一人で物色する女性達。年齢層も幅広く、母親に連れられてきた小学生や中学生、さらに還暦を超えていると思われるおばさんまで、実に沢山の女性で店内は賑わっていた。
 
 男性がいないわけでもないが、中学生以下の男の子か、中年以降の男性であり、しかも必ずと言っていいほどおかあさんを伴っている。男性客が完全に一人でしまむらを闊歩しているとおぼしき人には出会わなかったし、二十代と推定される男性には(今回)まったく遭遇しなかった。
 
 ファッションセンターしまむらの客層は、圧倒的におかあさん中心、ということが出来るだろう。
 

おかあさんが服を選ぶ、という前提のラインナップ

 誰が服を選ぶのかの主導権や主体性は、おかあさんや女性達によって握られているように見受けられた。女性モノは当然として、男性モノの服も、しばしばおかあさんがたが選んで買っていく姿がみられたし、そこまでいかなくてもおかあさんがたが(男の子やパパの)服選びに助言・意見している姿が多々認められる。少なくとも、その場で最も積極的に服飾を見繕っているのがおかあさんがただった事には殆ど間違いが無かった、と思われる。
 
 改めて店内のラインナップをチェックすると、男性モノは女性モノよりも価格が一回り安く、販売ブースの広さも半分以下。“誰が主たるお客さんなのか”が明白に意識されているようにみえた。要は、しまむらに買い物に来るのは女性であり、服を選ぶのも女性だと想定して店内の間取りや商品のラインナップが定められているのだろう。未婚の女性客も含め、服を選び財布からお金を支払う主体者は女性であるという前提に基けば、女性には少し力の入った値段も高めの商品を数多く取り揃え、男性向けにはコストパフォーマンスを優先した商品を種類を絞って配置するという構図は了解しやすい。女性客は自分達自身の服選びなら財布の紐も緩みやすいだろうし、男性ファッションのノウハウや良し悪しまではよく分からないおかあさんがたにとって、安くて種類の限られた男性モノが置いてある事はありがたいことの筈だ(逆に、男性向けの高価なアイテムをやたらバリエーション豊かに取り揃えてあっても、おかあさんがたはどれが良いのか選びきれないし、自分が着るわけでもない服に高い金額をかけることを躊躇してしまうことだろう)。
 

おかあさんが選んだ男性モノは、脱オタに向かないと思う

 店内の概観はここまでにして、しまむらの男性モノにクローズアップしてみたい。…激安である。皮状ジャケット2980円とか、重ね着Tシャツ1200円とか、もうそういうのはザラである。『ファッショントレンドを提案する』と毎回チラシに書いてあるしまむらだけあって、ユニクロとは対照的に、デザインに意を用いた服が多い。惜しむらくは(そして価格を考えれば当然なのだが)、パルコや丸井で流行したデザインを二年遅れぐらいに採用しているということ、服装の裁断などの面でボディラインを綺麗にフィットする商品が少ないということである*2。この、流行サイクルのズレと細かなつくりに関した問題が、しまむらの男性モノを“おしゃれ”に用いるにあたって大きな障壁となってしまっている。また、これも価格帯を考えれば当然なのだが、洗濯に強くない商品が多いため、しまむらの男性モノは比較的早いサイクルで買い換えることが綺麗に着こなすうえで重要になってくるわけだが、おかあさん任せにしておくと、この買い換えサイクルが伸びてしまいやすく、そうなると服の襟元や袖がヨレてしまいやすい。
 
 これらの問題が、特に都市圏において脱オタを行う場合の大きな障壁になってくる。近郊にパルコや丸井があるような地域において、異文化コミュニケーションや男女交際を行うにあたり、しまむらの服は“無難な水準”を保つことさえ難しい*3。パルコや丸井より流行の波が少し遅く届くこと、裁断やボディラインの問題、などなどは、小さな変化ではあっても差異化の記号としてのファッションにとっては無視できる変化ではない。まして、服の買い換えサイクルをおかあさん任せにしてしまい、よれよれになってしまったしまむらの服を着続けていれば、だらしない格好、と思われてしまうリスクを負いやすくなってしまうだろう*4。しまむらの服を、それもおかあさん任せにしておくことは、思春期男子のコミュニケーション的には危険が伴うのではないか、と私は考えざるを得ない。少なくとも、或る程度の注意を払って用いない限りは、“もっと高価な服を自分で選んで買っている人達”との比較において色々なペナルティを被る可能性があるのではないか、と危惧せずにはいられない。まして、コミュニケーションに関して劣等感を持っている者が、自分とは異なる文化圏の人とコミュニケーションを試みる段においては、尚更であろう。
 

おかあさんの為のしまむらは、俺の為のしまむら、ではない。

 良くも悪くも、ファッションセンターしまむらは、おかあさんを顧客対象として特化したお店であり、若年男性がお洒落をする為に訪れる店ではないのだろう。おかあさんが選ぶ服としては、女性モノのコストパフォーマンスと品揃え、そして男性モノの低価格と絞ったラインナップは優れているという他ない。しかし、それはあくまでおかあさん目線に適ったお店づくりという事であって、思春期男性が差異化ゲームに適応するのに向いたお店づくりというわけではない事に、男性諸氏は注意しなければならないだろう。ファッションセンターしまむらは、優れた服飾ビジネスを展開していると思うし、それは業績と店舗数に反映されているわけだが、しまむらはおかあさんの為のしまむらであって、俺の為のしまむら、脱オタの為のしまむらではない点に留意する必要があるだろう。勿論、ファッションセンターしまむらの男性向け低価格商品は、そのコストパフォーマンスを考えれば使いどころは少なくないし、男性だからと言ってしまむらは用無しかというとそうではないわけだが、思春期の差異化ゲームとしてのファッションに追随するには苦しいこと、まして洗濯しすぎてよれてしまう弱点を含んでいることを意識しなければ、若年男性は困ったことになってしまうかもしれない。国道沿いで買い物をするおかあさんがたは、良かれと思って(息子のあなたの服を)しまむらで買ってくるわけだが、思春期男性が直面しがちな諸状況を考えると、しまむらの服をおかあさん任せにしておいて、自分ではろくに服を買いに行かないというのは、大きなディスアドバンテージを被りかねない、と改めて感じた次第である。
 
 ファッションセンターしまむらは、おかあさんや女性達のほうを向いたファッションセンターである事を、もっと意識したほうがよさそうだ。
 

*1:勿論、そのおかあさん達と家庭というのは、ファスト風土とかスーパーフラットとかいう言葉で表されそうな、ムラ社会が崩壊した、田舎ではあっても都市空間化の進行したエリアに暮らしているわけだ

*2:なお、ボディラインにフィットした商品が無い、というわけではないし、パルコや丸井でもひどい商品はやはりひどい事は付け加えておく。また、そもそも太っている人にはボディラインもクソもない、という事も付け加えておこう

*3:ファッションとコミュニケーションにおける差異化ゲームの帰趨は、当人の自意識だけでなく、まなざす女性の側、まなざす他の男性の側にも大きな影響を与える。そのなかで、平均的水準を下回る服飾と見なされることは、当人の自意識にも、コミュニケーション対象からの評価にも、負の修正を与えてしまう。ファッションというものが普遍化した現代社会において、とりわけその平均的水準の高い都市部においては、こうした差異化ゲームによるアドバンテージ/ペナルティを無視する事は出来ないし、だからこそ脱オタに際しては、superiorとまではいかないにしても或る程度の服飾を用意したほうがやりやすかろう、と私は考えるわけである

*4:勿論、しまむら以外の服であっても、よれよれになるまで着続けていればまずい事になる