シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

初音ミク――データベース化とシミュラークルへの限りなき欲求

 

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

 
 東浩紀さんは『動物化するポストモダン』のなかで、オタク達の美少女キャラクター消費形態をデータベース消費、という概念で巧みに説明した。この事はご存じの人も多いと思う。美少女キャラクターという「属性の束」から好みの情報片を抽出し、それを芯として想像力と願望に合致した二次シミュラークルを再構成して消費する、というのがこの考え方の要旨だろうというのが、私の理解である。
 
 このような『キャラクターに含まれる属性群→望ましいデータ抽出→想像力や願望をふりかけて二次シミュラークルを再構成→消費』という構図は、美少女キャラクター以外のオタクコンテンツと向かい合う場合にも適用可能な考え方で、事実オタク達はコンテンツから望ましいデータフラグメントを抽出し、それを芯とした願望と想像力のシミュラークルを形成することに長けている。例えばドラゴンクエスト3の画面から得られる情報など、いかにも断片的・記号的にすぎないものであるが、脳内で膨らまされ消費されるシミュラークルは、粗いドット絵の世界を超越した豊かさのうちに再構成され得る。ドラゴンクエスト3の場合なども、むしろ願望-不一致的なノイズの混じった精緻なグラフィックなどよりは余程想像力や願望を付与しやすい、と言えるだろう。
 
 シミュラークルの消費、というコンテンツとの対峙形式に長けたオタク達だからこそ、コンテンツがデータベースとしてavailableになればなるほど彼らが想像力や願望を投げかけて二次シミュラークルは創りだすことは容易になり、また願望-合致的なものへと純化させやすくもなる。オタク達が脳内で作り出す二次シミュラークルや、それを基とした二次創作作品群は、キャラクター・作品からデータベースをいかに容易に抽出しやすいか否かや、データベースに合致しない剰余(またはノイズ)をキャラクター・作品から除去しやすいか否かによって生産性が大きく左右されるがちである。幾ら図像が美しいといえども、あまりにもキャラクターが生々しくデータベースに分解して抽出される事を拒みがちな『時をかける少女』の紺野真琴の場合などは、「萌え」たり二次創作したりする事はなかなか難しい。殆ど記号で構成されたキャラクターとも言うべき『らき☆すた』の柊かがみなどとは対照的である。「萌えに供されるキャラクター」に限って言うなら、美少女キャラクターの進化と淘汰の歴史の趨勢は、荒削りで生々しい美少女キャラクターから、データベースを取捨しやすい臭みの少ない美少女キャラクターへの流れというものがあるように感じられ、よりデータベース消費に好適な、つまり「萌えやすい」キャラクターが台頭しているのが現在、と私は理解している。
  
 一方、オタク個々人の二次シミュラークルを具現化したところの二次創作作品はというと、ハードウェアやソフトウェアの技術的制約によって創作可能性を常に制限され続けていた。環境が整備されていなかった時代においては、それは雑誌投稿の葉書という形をとったり、同人誌という形をとることが殆どだったが、技術的制約がなくなるにつれて、オタク達は幅広い二次創作コンテンツを比較的少ない労力で作り上げることが出来るようになっていった。MS-DOS時代には凄まじい技術的・労力的ハードルを有していた動画作品分野でさえも、Flashの普及によってかなりの所まで敷居が下がった感がある。
 
 しかしこれまで、どれほど二次創作・二次シミュラークルの生成に好都合なキャラクター・作品がリリースされようとも、どれほど技術的進歩が認められようとも、女の子の声だけは、自由度の高いデータベースとして取り扱うことが困難であった。“リミックス”という手法自体は遙か昔から存在していたし、それによってBGMの領域においてシミュラークルの再構成を達成することこそあれど、好みの声優の声をサンプリングして自分の想像力と願望にぴたりとフィットした台詞を喋らせるには至らなかった。任意の声音で任意の台詞を自由にエディットした二次創作など殆ど不可能に近く、せいぜい、輪郭のぼやけた歌声や声優の喋りに対して自分の願望や想像力を付与してただただ萌えるくらいしかなかったわけである*1。オタク個々人が頭の中の二次シミュラークルとしてツンデレキャラに“べっ別にあんたのこと好きってわけじゃないのよ!か、勘違いしないでよねっ!”と妄想してみるか、好みのドラマCDを買ってきて我慢するまでがせいぜいで、女の子の声そのものを二次創作して、目前のコンテンツとして具現化することは出来なかったわけだ。
 
 ところが2007年に入って、遂に女の子の声を決定的に属性化・データベース化する出来事が起こった。『初音ミク』の登場である。彼女は、遂に女の子の声をデータベース化することを許容した!というよりもその為に生まれてきたのが初音ミクなのだ。ミク…恐ろしい子!
 
 輪郭の曖昧な声音の日本人女子ヴォイスという、ただでさえオタク男子の想像力を仮託しやすそうな声を、自由自在に操って二次創作することが、遂にオタク達に許されたわけである。初音ミクを与えられたオタク達は早速彼女の“調教”を開始し、ニコニコ動画には早くも二次創作作品が投入されはじめている。多少機械っぽく聞こえる部分はあるにせよ、生の声に比べると混じりっけの無い、「声に萌えて」「脳内で二次シミュラークルを形成してその想像力を楽しむ」には好適なキャラクターヴォイスが歌を歌っている。歌を歌わせるだけではない。その気になれば、ビジュアルノベルに声をあてるような使い方も出来ようし、自分だけの為に徹底的にカスタマイズした初音ミクのあんな台詞やこんな台詞をDドライブに大量に溜めておくことだって出来よう。声無しエロゲーにミクの声をあてて、Flashにすれば、さてどうなるだろうか*2。自分の想像力と願望の及ぶ限りの、ありとあらゆる二次創作が初音ミクによって解禁されることになるのだ。ミク…恐ろしい子!
 
 この、初音ミクが十分に成功すれば(いや、成功すれば、などと書くのもおこがましい。すでに彼女は成功しているようにみえる)、後続のアプリケーションが出てくるだろう。彼女はあくまでVOCALOIDシリーズの一人目なのであって、これが最初で最後とはどこにも書いてない。ほかの声優さんを起用した第二弾や第三弾、または拡張パックの類がリリースされる可能性も高く、そうなれば、“女の子の声”という分野まで二次創作を行う範囲が拡大することになる。生身の女の子では絶対に不可能なシチュも、初音ミクを調教すればコンテンツとして具現化することが可能になる。テキストの分野→漫画の分野→そして動画の分野と進められてきた、コンテンツのデータベース化と二次創作という一連の征服劇は、遂に女の子の声までもオタクのモノにするに至ったわけだ。女の子の声までをも自由自在に二次創作し、願望を回収するという境地に、遂にオタク達はたどり着いた。ニコニコ動画をみてもわかる通り、初音ミクは調教主の願望と想像力の二次シミュラークルを具現化・作品化するツールとして早くも活躍しはじめている。
 

本当に恐ろしい子なのは誰なのか

 げに恐ろしきは、初音ミク。
 
 しかし本当に恐ろしい子なのは、女の子の声までもデータベースとして自在に取捨選択し、それをもって自らの願望-合致的なシミュラークルを生み出してしまうオタク文化圏の人々のほうなのかもしれない。これまでにもオタク達は、美少女というものを、自らに取り扱い可能な・自らにチューン可能なデータベース群へと還元してきたわけだが、遂に声までもデータベースに還元し、今まで以上に自由なシミュラークルの再構成を可能としたわけだ。なんという貪欲さ、なんという所有欲だろう。データベースへの還元と所有、という形でオタク達に征服されていないのは、後は女の子の肉体そのものぐらいだろうか*3
 
 ニコニコ動画をはじめ、ネット空間のあちこちに初音ミクの登場を歓迎する声があふれている。女の子の全てをデータベースに。女の子の全てを所有し、女の子の全てを取り扱い、女の子の全てを自らの願望と想像力に合致させる。どこまでも貪欲なオタク達が迎えた21世紀として、初音ミクの登場は予期されて然るべき出来事ではあった。とはいえ、私達のデータベース親和性・私達が理想とするシミュラークル・その背後に蠢く私達の願望と想像力、といったものに多少の戦慄を感じなくもない。私達は、初音ミクを調教することも消費することも所有することも出来る。だが他者として対峙・対話することは永遠に無いのだろう。ただただ彼女をベースにしたシミュラークルに「萌える」だけであり、つまるところ自分自身の願望と想像力で膨らませたモノにうっとりし続けるだけなのだろう。
 
 どちらにしてもVOCALOIDは誕生したわけだ。誕生してしまったわけだ。オタとして、これを楽しまない手もあるまい。私もまた初音ミクという“女の子の声”を、想像力と願望の内側で消費していくのだろう。
 

*1:「せいぜい」とは言うものの、特定層の男子をねらい撃ちするようなタレントは昔から常時存在し続けて、そうしたタレントの声を用いて男子達が二次シミュラークルを形成する、という送り手-受け手の関係が存在していたことは断っておこう。例えばkiroroや大塚愛などの場合、私達は彼女達自身のじかの歌声を消費しているだけではなく、むしろ彼女達を引き金として想像される二次シミュラークルを形成し、それをむさぼり食っている部分が大きいことを指摘しておかなければならない。つまり私達はkiroroや大塚愛に「萌えて」いる。もちろんオタク達にとって、女の子の声というものは「萌え」の対象に違いなく、間違っても「他者性を実感する契機」などではない。エロゲーなどでもしばしば登場する輪郭の曖昧な声などは、オタク達が声のレベルで二次シミュラークルを再構成するにあたって、有用性の高いアイテムと言うことが出来そうである。なお、perfumeが『アイマスブーム』を通してオタクに再発見され、消費されている様をみるのは、此度の初音ミクの登場と相まって非常に興味深い。

*2:ふと、柏木初音という名前が頭をかすめた

*3:フィギュア、などのレベルではすでに征服されていると言えなくもない。