シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

へぇ、君は[リア充⇔ネット充]をわざわざ区別する人なんだね。

 

 時々、職場・学校・家庭なんかの日常生活場面における充実度(リア充)と、インターネット空間における充実度(ネット充)とを区別して考えたがる人をみかけるけど、実際にそんなに割り切って二分化出来ている人ってのはあまりみたことは無いように思える。ネットで充実していても、リア充でなければうめき声を上げるのが大半のようだし、リア充という言葉がぴったりの人達の振る舞いが、ネット上では惨めを窮めているという類例もあまりみたことが無い*1
 
 大体から言って、その二つをわざわざ二分すること、ネット充なるものをリア充からわざわざ切り取って別件扱いすること、という振る舞い自体が、その人がいかにリア充というものに絡めとられているかを暗示しているじゃないですか。ネットだって娑婆世界の一部だし、ネットで発言する自分も、リアルで振舞う自分も地続きな自分のはず。リアル空間での葛藤や執着から、ネット空間における葛藤や執着を切り離して考えることは、あまり現実に即したものの見方ではないと僕は思う*2。勿論、ネット空間における自分の振る舞いや娯楽の貪り方というものも、「ネット充」という視点だけ切り取って考えるのは片手落ちも良いところで、日常生活場面におけるその人の充実度なり葛藤度なりとリンクして推定されるのが適当なはず。
 
 にも関わらず、[リア充⇔ネット充]、などという白黒的対比をわざわざ仮組みしたがる人は後を絶たないし、まるでそれが当たり前であるかのように語る騙る人がネット空間には満ち溢れている。実に興味深い、面白い現象だと思う。
 

*1:ちなみに、リア充という言葉がよく似合うネット上の人物としては、小飼弾さんとか、jkondoさんとか、そんな人を想像しています

*2:いや、日常生活から目を逸らすための方便として、そういう見方を敢えて採用するという人がいるとしたら、その気持ちはよくわかるけれども。