シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

草薙観音――草薙素子の菩薩行――

 
 合掌
 
 一切経ーーッス!
 業、重ねてらっしゃいますか?
 私は、どろんどろんと重ねています。
 
 ネットのお節介さん - ARTIFACT@ハテナ系という文章を拝見すると、はてさて、ネット界隈は自意識や優越感を満たすためのお節介を行うに適した場だというのがわかります。
 

しかし、ネットのお節介は文章を書く時間がかかるぐらいで、現実のお節介に比べたら、コストが低く済むし、リスクもない。好きなときに、好きなだけ、好きな相手の「面倒」を見てあげることができる。お節介をした相手が感謝してくれれば気持ちいい。感謝されなかったら「人が親切に言ってあげてるのに! 親切を受け入れないなんてひどい人ですね!」と言っておけばいい。

そして、ネットのお節介さんは今日もお節介ができそうなセキュリティホールを晒している人をネットで探す。はてなダイアリーだったら、キーワード「非モテ」を見ていれば簡単に見つかるから。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070228/netosekkai

 なるほど、ローコストであるが故に、自意識の備給に飢えた人はありとあらゆる場所に飛んでいって“お節介”をやらかし、喉をゴロゴロ鳴らすことが出来そうです。尤も、そういう喉鳴らしばかりしているねこさんの頭上には、すぐに“カラス”やら“イナゴ”やらが集まって、優越感の残飯漁りを始めそうで怖いですね☆ ホント、ネットは地獄だぜ!
 
 
 しかし、自意識地獄の獄卒どもは置いといて、今日は夢でも語ってみたいと思います。
 
 確かに、ネット世間において他者に介入するには文章を書く手間があるぐらいなので、じかに会って話をして…という直接会話に比べると色々ローコストといえます。しかも介入のレベルは匿名同士のスレッド内コミュニケーションから個々のハンドルネーム間の数年にわたるやりとりまで、色々と次元調整が可能です。そのうえ、不特定多数に単一者が意見を発信できるというメディア全般に共通したアドバンテージを持ち、個別のニーズに合わせて幾らかのカスタマイズを施した文章配信すら可能です。そういう意味では、実際の会話よりは広い対象とコミュニケート可能で、なおかつ書籍などに比べて個別のニーズにフィットした小回りを利かせる余地がありそうです。これは、“お節介”を通して自意識を満たす以外の目標に際しても、有用な特徴でしょう。
 
 さらにもし将来、既存のネットコミュニケーションの利便性に加えて、情報入出力のインターフェースがキーボード/ディスプレイの制約を超えることが出来たらどうなるでしょうか?例えば“思念”とまではいかなくても頭の中で文章をなぞっただけでテキストが組めるようになったら?
 
 そんな未来の情報発信者は、コミュニティじゅうに、否、世界じゅうに“お節介”をばらまくことさえ出来そうです。もちろん単なるお節介だけでなく、“洗脳断片”やら“実際の当人のニーズを汲み取ったうえでの助言”まで、実に様々なモノを様々なヒトにばらまくことが出来ます。一方、情報受信者は(脳味噌が負荷に耐え得る限り)の情報を吸い上げることも出来ますし、脳の統合性の許す限りにおいて統合を試みることも出来るでしょう。十分に情報を収集し、十分に深く長い智慧を持ち、十分に個人個人のニーズを観ることのできる人は、もし望むならですが、非常に多くの人の個別的問題を聞き、答えることが可能になります。さらにそのノウハウを蓄積させることによって、時には失敗することもあるにせよ多くの人の悩みやニーズに(僅かづつとはいえ)助力やエンパワーメントを行えるやもしれません。
 
 コミュニケーションツールとしてのインターネットは、それ自体はニュートラルな、そして(既に十分)素晴らしく有用なコミュニケーションツールだと思います。出刃包丁によって和風懐石ができあがるか失血死体ができあがるかがユーザー次第なのと同様、インターネットという簡便かつ様々な可能性を秘めたコミュニケーションツールは、それを持つ人の属性次第で“お節介まき散らし装置”にも“個別のニーズを把握し返答する為のツール”にも“個別のセキュリティホールを突いて詐欺に陥れる為のツール”にもなることでしょう。
 
 さて、真面目な検討はここまでにして、怪しげな本題らしきものにうつります。
 となると、実は、インターネットというコミュニケーションツールは、四弘誓願*1に向けて精進したがっている人にとっては、またとない修行と試行の場となるのでは??
 

1.衆生無辺誓願度 一切の衆生を度脱せしめん
2.煩悩無尽誓願断 一切の煩悩を悉く断じつくさん
3.法門無量誓願学 一切の教法を必ず学習しつくさん
4.仏道無上誓願成 無上の仏道を成就せん
 (四弘誓願)

 面と面を向かい合ったコミュニケーションよりも幅広いレンジと、書籍などよりも小回りの利く個別性をもって、四弘誓願に邁進することが出来るのでは?と思ったりするのですが、どんなものなんでしょうか。>仏様に詳しい皆様
 いや、別にこんなの仏教に限ったお話でもなく、一神教だろうが多神教だろうが非宗教だろうが、何でもいいんですが*2
 

もし、インターフェース問題や個人の情報処理限界を超克するできるなら?

 
 とはいえ、現状のインターネットでは情報発信にキーボードを使い、情報入力にディスプレイを使わざるを得ません。よって、完全ニート生活になったとしても、個別のニーズにわかりやすく回答できる限界は数百名程度が限界でしょうし、個別ニーズを拾い集めたり娑婆の動きを知るにしても、RSSの類を導入したとて数千サイト/dayを越えるのは困難でしょう。また、そんな事を続けていたら容易く脳がぱんぱんになってしまうでしょうし、心身の限界を越えてしまいます。
 
 しかし、あくまで未来に夢を広げ、もしキーボードが不要になり情報処理限界を超克出来る世界を考えるなら?
 どのような技術によってそれらが可能かはここでは置いておいて、妄想夢を膨らませるだけ膨らませましょう。ここで、我らが未来の観音様にご登場いただきます。
 

攻殻機動隊 (2)    KCデラックス

攻殻機動隊 (2) KCデラックス

草薙観音菩薩さまです。合掌。
  
 現在のホモ・サピエンスの身体的制約を何らかの方法*3でサポート・超克できるとするなら、人は、ありとあらゆる事物や衆生を観ずることが出来、ありとあらゆる事物や衆生に働きかけることが出来るでしょう。流石に路傍のナメクジに働きかけることは出来ないかもしれないし、ネットで個人が幾ら限界を超えたところでレアメタルや化石燃料や穀物が増加するわけでもないかもしれませんが、娑婆のなかでも人間が関わるコミュニケーション空間・政治空間における限りにおいては、情報処理限界の拡張が進めば進むほど、より多くのことを識り、より多くの人に発信出来る余地が生まれるでしょう。となると、菩薩行に励むにしても阿羅漢めざしてまっしぐらにしても、一個人が勤めることの出来るレンジは爆発的に広がります。もし、草薙素子さんクラスが“一切の衆生を度脱せしめん”とか言い出したらどうなるでしょうか?
 
 妄想が膨らみますすごいことになりそうです。草薙観音さまの菩薩行。困っている人をみつけたらゴーストレベルまでダイブして的確に情報収集。相手にもわかる形で一番大切なアドバイスを、自意識その他に抵触しない形で呈示。お腹を空かせて泣いている孤児には宅配ピザを届け、嫉妬に狂ってライバルの靴に画鋲を入れる子には“それはしないほうがいいんじゃないの?”と語りかける草薙観音さま。広範囲に悪縁をまき散らし続け、大きなパワーを膨らませる“悪の大手ウェブサイトコンツェルン”が立ちはだかるなら、攻性防壁やタチコマ不動を差し向けて“調伏”といったところでしょうか。
 
 現在のネットコミュニケーションが持つ個人の制約を超えた、圧倒的な情報入出力が実現した場合、ネットコミュニケーションを通して個人ががもたらし得る(そして享受し得る)情報は莫大なものになりますし、情報に付随した善意も悪意も自意識も大変なものとなるでしょう。これは、ずる賢い詐欺師にとって未曾有のチャンスであるとともに、菩薩行に励もうとか思っている人に対しても有史始まって以来の機会を与えます(ここら辺、真剣に宗教チックなお話にもっていくと、とっても怖い宗教洗脳大戦のテキストになっちゃいそうですが、飼い犬が手を噛むので、私ここで帰ります。)。インターフェース上・情報処理上の限界が克服され個人が持ち得るコミュニケーションと情報入出力の限界が上がるなら、四弘誓願などという大それた話はともかくとしても、沢山の個人との間に望ましい“ご縁のネット”を広く構築することは可能だろう、とも思います。そしてそのことは、私が聞きかじっている範囲の仏教の教えとも、それほど矛盾しないものだと信じている次第です。
 

南無草薙観音菩薩

 最終的に行き着く先として、ネットコミュニケーションに関する個人的制約、つまりインターフェースや情報入出力の限界を超えてしまった草薙素子さん状態になったら、どうなるでしょうか?ましてやそんな存在が大小複数生まれちゃったらどうなるでしょうか?
 
 素子さんクラスがひたすら己の道を究めるなら、草薙羅漢とか草薙如来が生まれちゃうかもしれません。また、自力本願に拘らずに衆生に関わり続けると決意するなら、娑婆六道の哀れな僕らを、千の目と千の手で導き救う草薙観音になってくれるかもしれません。南無草薙観音菩薩!しかし草薙素子さんだけが観音力を手に入れるのではなく、もっと悪い連中も観音クラスの目と手を持っちゃったらどうなるでしょうか?女神転生的な、天使軍団vsオリエンタルの神々のような、恐ろしい妄想が広がります。
 

合掌

 以上、妄想をおわります。
 さしあたり、草薙観音とまではいかないにしても、ネットコミュニケーションという小さくない可能性を個人は手に入れているわけですから、願わくは、良縁やら機会やらを広げるために用いることが出来ますように。出刃包丁もネットも、使う人の心がけ次第。餓鬼道や畜生道をうろつく僕なんかでさえ、そう思うことがあります。
 
[参考?:]菩薩 - Wikipedia
[参考?:]観音菩薩 - Wikipedia
[インスパイア元1:]ネットのお節介さん - ARTIFACT@ハテナ系
[インスパイア元2:]http://d.hatena.ne.jp/nand/20070109/p1
 

*1:wikipediaではhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%93%E9%A1%98を参照。なお、各宗派の四弘誓願が微妙に違うという点についてはhttp://members.jcom.home.ne.jp/webchikoin/shiguseigan.htmをみてから色々な宗派のそれぞれの誓願を読んでまわるといいかもしれない

*2:たまたま私が仏教スキーだから、このテキストではそういう表現をしているだけの話で、類似した観念なり近似可能ななにかなりは大乗仏教だけの専売特許というわけではないだろう、とは想像してます

*3:それは、攻殻の草薙素子さんのレベルまでいけば完璧!そこまでいかない諸方法でも、これまでの説法師の誰もが為し得なかった程度の質・量の真摯な説教を可能にすることでしょう