シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

あのとき僕は「日本のアニメは世界一だよねっ!」と頷いてあげるべきだったのだ

 
 数年前のその日、僕はオタク達の集うあるオフ会に出席していた。まだ居心地の良かった秋葉原にメイド喫茶ができるか出来ないかぐらいの時期だったと思う。初対面の人も少なくないオフ会において、臆病な触覚を伸ばしあってお互いに接点を見出すにはアニメやゲームの話題に限る。酒宴の場は、(オタクオフ会にはしばしばありがちなことだが)オタク趣味に関する話題で多いに盛り上がったのだった。
 
 僕がに気づいたのは、宴たけなわの一次会の終わり頃のことだった。
 
「今では、コミケの会場までわざわざ同人誌を買いに来る外国人もいるんですよ。」
「…ですから、日本の萌えは日本発の文化として、大きく羽ばたいていくんです。」

 
 その甲高い声*1は、遠いテーブルにいてもよく聞こえてきて、勿論耳障りなものだった。アルコールでほのかに赤くなりながらも目を輝かせ、いかにオタク文化が優れているのか、いかに将来性あるものなのかを初対面のオタク達に説く彼。その誇らしげな語りが、「素晴らしいオタク文化を語る」ことを通して「俺って素晴らしい」と勘違いする為の代償行為であることを僕は素早く見抜くことができた。素早く見抜けたのは、当時の僕が*2彼とまったく同類の人種だったからであり、同族嫌悪によって強い不快感がもたらされたからに他ならない。
 
「…経済的にも凄いですよ。ブロッコリーの株、買いますよ僕は。」
「これはもう、新しい文化です。将来、オタクが馬鹿にされることなんてなくなる。」

 
 ああ、確かに日本の萌えは凄いかもしれないね。ブロッコリーの株価だって、高くなるかもしれないね*3。だけど、それを誇らしげに、むしろ痛々しげに語るお前さんはどうなのかい?オタクだけが集まるこのオフ会という名の安全地帯の外では何も出来ない、誇れる何者も持たないお前さんは馬鹿にされずに娑婆を渡っていけるのかい?
 
 勿論、この問いは僕自身に向けられたものでもあった。オタク趣味が広く認知されようとも自分の好きなアニメキャラクターが人気者になろうとも、いつまでも僕は日陰者だったし、コミュニケーションの出来ない自分が人気者になることなどあり得なかった。だけど、否だからこそ、健気な美少女キャラやオタク文化を称揚せずにはいられない僕らは、今日も地べたを這いずり回っては、天上のオタクコンテンツを敬うのだ。彼は今、目を輝かせながらオタ冥利に耽っているのだろう。気持ちは分かる。でも、それはきっとみっともない行為であり、代償行為に過ぎないんだ!
 
 二次会では、僕は彼のすぐ近くに座ることとなった。おそらく、偶然というよりは必然の結果だったのだろう。彼の姿を一瞥し、とても猫背な姿勢であることに気づくや否や、優越感に飢えた僕の自意識は偽りの安心感に舌なめずりをするのだった。だが、そうした僕のみっともない営為に気づくでもなく、彼は無邪気に“AirやKanonの素晴らしさが分かる同志”として僕を遇するのだった。
 
「Summer編の神奈のラストシーンは特別ですよ。炎上する寺院と蒼い月夜のコントラストが…」
「そもそも18禁扱いすべきじゃないですよ、Airは。オタクじゃない人にも、もっと見てもらいたい。」

 
 お前さんが見てもらいたい・褒めてもらいたいと思っているのは、Airという作品でもなければオタク文化でもない。見てもらいたい・褒めてもらいたい本当の対象は、お前さん自身なんだ。その証拠に、お前さんは我がことのように目を輝かせ、頬を紅潮させて“Airを褒めよ讃えよ”とやっているわけだ。そして、特別扱いしたいのも、本当はAirじゃなくて、Airを讃える自分自身や、Airの素晴らしさに気づいている自分自身なんだ。
 
 結局は、そんなの代償行為なんだ。惨めなまやかしなんだ。僕は知っているぞ。お前さんは(そして僕も)、本当は自分が認められたいけれどもオタク趣味以外に認められる手段が無いから、せめて仲間内のなかだけでも、自分自身と、自分のよりしろに出来る作品とを褒めあって讃えあって、そうやって自意識を慰めて生きているんだ。そのうえ、自分自身で素直に自分自身を褒めてあげることも出来ない(第一、どこをどうやって褒めればいいのか?)、いびつなナルシストなんだ。
 
「加奈も泣けるし、最近は感動的なゲームが本当に増えました。いいことです。」
「だんだんと社会的に認知されていくんじゃないですか、オタク発の文化って。」
「涙腺の蛇口を開くだけなら、あなたが馬鹿にしているハリウッド映画や月9だって五十歩百歩じゃないでしょうか」
 
 同族嫌悪を我慢するフラストレーションに加え*4、したたかに酔っていたからだろう。思わず私は呟いてしまった。隣に座っていた人が、鼻白んだ顔でこちらを見た。彼は、気づかなかった。だから、僕はもう一度言ってやった。
 
「いや、社会的に認められるのは一部の漫画とかゲームとかだけで、別に俺らじゃないでしょ。」
「!?」
「俺らが認められるかどうかと、Airが認められるかって、全然別の話のような気がする。」
 
 やってしまった。
 
 自己陶酔の魔法は一瞬にして解け、彼の目は輝きを失った。彼の落胆ぶりは誰の目にも明らかで、テーブルを囲む皆がばつの悪さを共有する羽目となってしまった。僕は、自分がしでかした不手際と無作法に*5うちのめされた。抑圧されているオタクなら誰もが薄々気づいている、けれども心の奥に蓋をしてなんとかやりすごしている事を、オフ会というハレの舞台で暴くこともなかろうに。幸い、他のオタクさんが話を繋げてフォローしてくれたのでその場は収まったものの、自分のしでかした事のみっともなさと狭量さへの後悔と反省はいつまでも残存した。
 
 
 
 
 
 
 あれから数年が経ち、僕は僕なりの理解の枠組みでではあるけれども、飢えた自意識や劣等感について詳しくなったと思う。今思い返すと、あの時の僕の発言は、本当に酷いものだったと思う。彼は初対面の人間に、いきなり冷や水をぶっかけられたのだ。彼にだって、オフ会という温室のなかで、普段は補い得ない自意識と誇大感を胸いっぱいに吸い込んで帰る資格があったに違いないだろうに、つまらない僕の同族嫌悪が水を差してしまったわけだ。
 
 たぶん僕は「日本のアニメは世界一だよねっ!」と頷いてあげるべきだったんだと思う。彼の目の輝きを一緒に喜びあうのが最適だったんじゃないだろうか。楽しみにしていたであろうオフ会でまで、(普段逃げ回っているっぽい)現実を突きつける必要はなかった筈だし、よしんば現実を直視させることが当人のためだとしても初対面でいきなり言うことでは無かったはずだ。それに(オフ会の席だけとはいえ)オタク仲間同士で認め合い支えあうことが、厳しい現実を生きる一筋の支えになるかもしれないし、小さな自信を積み重ねる第一歩になるかもしれない。オタクオフ会で有頂天になるのは、そんなにいけないことなのか?オタク趣味やオタク作品をよりしろに自己肯定することがそんなに悪いことなのか?
 
 2007年。僕は三十代のオタクになった。
 今でも色んなオフ会に出るし、そのなかで鬱屈した自意識を持った人と初対面で出会うことも少なくない。はたして、今の僕は目を輝かせてオタ話に興じる人に何らかの共感を持てているだろうか?数年前の彼にやってしまったような仕打ちを回避できているだろうか?願わくは、(オフ会において)僕自身と僕に出会う人達の心が、なるべく楽しいものでありますように。
 
 

*1:オタクが有頂天になった時に特徴的な、あの裏返りかけの例の声である

*2:そしておそらくは現在の僕も

*3:今思うと、彼の未来予想図は或る分野においては見事に当たっていたし、或る分野においては見事に外れていた、と言えるだろう。彼、結局ブロッコリーの株を買ったんだろうか?

*4:「同族嫌悪があるなら近くの席に座らなければいい」。確かにその通りなんだけれども近くの席に吸い寄せられて嫌悪してしまうという構図こそまさに同族嫌悪的であり、業が深く救いがたい性質だと言えよう

*5:おそらくは自己愛的に、と推測されるが