シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

アドバイスの受容確率に影響する因子群

 
 忠告やアドバイスの類は、対象の長期的な適応を向上させる可能性がどれほど高いものであろうとも、対象がその忠告なりアドバイスなりを実行しない限りは有用ではない。ましてや精神的負担をかけるだけかけて反対されて終了、などということになってしまっては、忠告なりアドバイスなりをわざわざする意味が無い*1。以下は、その忠告やアドバイスを受け容れて貰えるか否かを左右する因子の幾つか(全部ではない)を書き出したメモ。
 

・アドバイスを守らなければならない期間が長ければ長いほどダメ
 継続は力なり。確かにその通りだが、人は同じことを継続する事に耐えられるようにはできていない。後述する通り、それが苦痛を伴うものであればあるほど、である。幾らかの楽しみや快感を伴うものでさえ、「飽き」という問題がついて回る。守らなければならない期間が長いことは、それ自体アドバイスが履行される可能性を低くする。
 
・時間だけでなく、金銭や苦痛の支払いが大きい場合もダメ
 人は、一瞬だけとはいえ巨大な苦痛を選択することが困難だし*2、軽めの痛みであっても継続的なモノにはなかなか耐えられるものではない。“苦痛を経由して快楽や自意識を満たす”という奇妙な形式さえ採り得るのが人間とはいえ、原則的には、伴う苦痛が大きければ大きいほどアドバイスは履行されにくい。もちろん苦痛は身体的な苦痛だけでなく、自意識に関する痛みや憤怒である場合もある。自意識に関する痛みや憤怒は、むしろなまじっかの身体的苦痛を上回るコストとして被忠告者の行動にブレーキをかける。
 
 なお、金銭も概ね支払いが大きければ忠告コンプライアンスを悪化させるが、それはあくまで継続的支払いの場合であり、初期投資一括の場合には初期投資の額が大きいほど固執するケースがあることには留意しなければならない。
 
・アドバイスを受け容れた場合のメリットが認識されなければされないほどダメ
 どれほどアドバイスが的を射ていたとしても、受け容れる側にメリットが明確に意識されない限りはアドバイスは受け容れられないだろう。まして、アドバイスを受け容れるデメリットやコストや苦痛ばかりが目につくようでは尚更である。人間は自らの認知の及ぶ限り*3においては、メリットも無いことに大きな時間や苦痛を支払うほど愚かではない。
 
・アドバイスを受け容れない場合のリスクがわかりにくければわかりにくいほどダメ
 同様に、アドバイスを受け容れない際のリスクやコストがわかりにくければわかりにくいほど駄目だろう。カツアゲを繰り返して喜んでいる中学生に対して、カツアゲすることのリスクやデメリットを明確に意識させることが出来ない限り、彼はカツアゲをやめることがないだろう。繰り返すが、人間は自らの認知の及ぶ範囲に関する限り、リスクやコストを避けてメリットを選択することが出来る程度には賢い。アドバイスを突っぱねたところで痛くも痒くも無いと判断した時、果たしてわざわざ苦痛な(または損っぽかったり面倒くさかったりする)忠告に従う人がいるだろうか。
 
・アドバイザーが信頼に値しない感じほどダメ
 もし、ある人がアドバイスを受け容れるとしたら、信用ならない人物の信用ならない言はなるべく採用したくないと思うのが普通だろう。見ず知らずのすれ違った人に「君は、心の闇にトラウマをいっぱい持っているから、おじさんのカウンセリングを受けなさい」などと言われてノコノコついていく人は余程の馬鹿だろう。また、意見が二転三転することで有名なブロガーに「君ははてな中毒だ。はてなを退会して2chだけやればいいと思う」と言われても誰も従うまい。
 
 どうせアドバイスを聞き入れるなら、誰だって有効なアドバイスを言いそうな人の意見を聞きたいと思うのはまぁ自然なことだと思う。自らの心象がどうなのか、アドバイザーはよくよく考えておく必要がある*4
 

・忠告者との関係がダメであればダメであるほどダメ
 喧嘩している相手や悪意を持っている可能性のアドバイスなど誰も聞かない、という事も忘れてはならない。逆に言えば、喧嘩している相手や悪意を持っている相手にアドバイスすることなど出来ないし、それはアドバイスの形をとった何か別の目的を持ったメッセージであることを意識しておく必要がある(当然、敵意を持った人からアドバイスされる場合だけでなく、敵意を持った人に自分がやたら忠告したいと願望した時にも言えることだ)。とりわけ、自分を陥れる可能性があるとみなされている場合や、騙し討ちしそうな相手だと思われている場合などは絶望的にアドバイスは通らない。そもそも、瞞す可能性のある敵対者から善意のアドバイスがあると期待するほうがおかしいわけで、何らかの繋がりが両者の間に成立していなければアドバイスはアドバイスとして真価を発揮し得ない。
 

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 多分、この他にも幾つか留意したほうが良い点はあるだろうけれども、最低限これらのことが頭に入っていなければアドバイスはアドバイスとして生きる可能性を持ち得ないだろう、とは思う。誰かに何かアドバイスをしなければならない立場にある人、誰かに何かアドバイスをすることで自分に(または自分と相手に)何らかのメリットを誘導したいと思っている人は、これぐらいは最低限心得ておく必要が、ありそうだ*5
 

*1:ただし、その忠告なりアドバイスなりを行うこと自体がアドバイザーの目的となっている場合はこの限りではない。忠告なりアドバイスなりが、自分自身の優越感やジャンヌダルク気分と関連している場合には、対象がどう思おうとも気分よく人はアドバイザー気取りになることが出来る。

*2:アドバイスが苦痛を伴う時、人は防衛機制を作動させてダメージコントロールを行うことが出来る

*3:なお、この認知、というやつに情念が多大なバイアスをかけていることは前もって断っておく。

*4:この辺りは、むしろ詐欺師の皆さんから学ぶことが出来るモノは大きいと思う。詐欺師の人達は、心象操作に実に長けている

*5:もちろん、詐欺師になろうという人はこれぐらいじゃあ駄目でしょう。例えば私などは、詐欺師として生計を立てていく自信が全くありませんので、倫理的検討以前の段階として詐欺師になることが出来ません