シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

福祉界隈には夢を売って人を買う傾向があるかどうか

 
 仕事柄、老人福祉などにおいて中核的な機能を担うであろう“ケアマネージャー”達と接することが多い。彼ら彼女らは、介護ケアプランの作成や各種機関との連携、福祉リソースを誰にどれだけ投入するかのマネジメントetcの重要な職務を担っている。
 
 それにしても、顔色の良いケアマネージャーというものをあまりみたことが無い。病院お抱えや施設お抱えのケアマネージャーは良いが、家庭介護のケアプランに在野で関わっているケアマネージャーは憔悴しきって燃え尽きそうな人を頻繁に見かける。ただでさえ、限られた現地の福祉リソースと家族からの要望の板ばさみに遭いながら頑張っているのに、被介護者の病状が悪化すれば大変。押しても引いても動かない状況をケアマネージャーは動かさなければならず、マネジメントしなければならず、しかも(例えばドクターなどに比べて)立場が弱いときている。医者同士がICUの一ベッドを巡って行うゲームのような、対等な戦いはケアマネージャーには望むべくもない。家族側にも、病院側にも、福祉施設側にも、ケアマネージャーは強いカードを投じることが出来ない。ただ唯一、「おねがいします」の一押しぐらいしかない。福祉プランを管理運営することを期待されながらもフリーハンドな発言権は与えられず、関係機関を「おねがいします」だけで“調整”せざるを得ない彼ら彼女らの心痛は察するに余りある*1
 
 しかもケアマネージャーの待遇はお世辞にも高いものとは言えない。確かに金銭的には月数万円前後の追加報酬があるものの、夜中や休日にも容赦なくコールされ、人間間の提携や連携を行うという、相当高度な判断力を要される。本来、「おねがいします」だけで関係機関を“調整”するなんて芸当は途方もなく高い能力・体力を要するはずなのだが、同等のマネジメント能力を期待される他業種と比較して報われるところは少ない。「おねがいします」の一点張りでは、溜まるフラストレーションは大きいに違いないし、(例えばドクターなどと比較した場合)感謝されることも明らかに少ない。彼ら彼女らは福祉の戦場のなかで最高度に動き回っているが、あれだけの能力と消耗に見合ったものを与えられず、昼夜の区別なく磨り減っていく以上、モチベーションも身体機能も普通は維持出来ないだろう。それでも使命感と義務感に燃える人は無理して続けるかもしれないが、自らの限界を超えて命の蝋燭を燃やす者にはそれ相応の反動――その反動はうつ病かもしれないし脳梗塞や心筋梗塞や胃潰瘍かもしれない――が待っている。実際、在野のケアマネージャーを長々と続けている人というのは「この人は他の業種で相当な収入を貰っていてもおかしくないのになぁ」というぐらいの数少ない最優秀の人材で、本来、並みの能力で勤まるものではない。少なくともあの給料に相当するよりは遙かに高い能力が求められるように私にはみえる。
 
 じゃあ、ケアマネージャーには誰がなれば適当なのか?もちろん所属施設側から資格を取るように言われて取得する人もいるけれども、実際には福祉系の学校を卒業し資格をとって自らケアマネージャーへの道を選ぶ者が多い。あれほど大変な業種を敢えて選択する動機はどこから来ているのか?現状の福祉シーンにおける舵取りの大変さを知っていて選んでいるのか?ケアマネージャーがいなければ現行のシステムが立ち行かないことを知りつつも、個人個人の適応について考えた時、ふと持ってしまう疑問である。「幾ら福祉がやりたいからって、何もそこまで果敢にチャレンジしなくても」と思ってしまう。
 
 この件で私が気にしているのは、「福祉界隈もまた、夢で回転しているのではないか?」ということである。例えば困難なケアマネージャーのなり手を募集するにあたって、志望者の夢を上手く動員して人間をかき集めて、使い捨て同然に取り扱っているのではないか?と気になってしまうのだ。こちら→はてなブックマーク - ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!に書いたように、人間は、夢さえみせてくれるならば案外低賃金や粗悪な労働環境にも飛び込んでくれる。そして夢が破れて燃え尽きる瞬間までは高いエネルギーで燃焼してくれる。夢を売って実を取る雇用形態においては、「使い捨ての鉄砲玉でも可。ベテランになったらラッキー」という前提で一握りのベテランとサイクルの早い鉄砲玉を比較的ローコストに動かすことが出来る。福祉界隈において「指揮官」や「将校」としてのさばっているのは、間違ってもケアマネージャーやヘルパーやソーシャルワーカー以外の存在ではない(そう、あいつらあいつらである)ので、ベテランが多少ほしいにしても、人間焼畑農業を行ってもそれほど困ることは無い*2。夢さえあれば、夢さえ売れれば、下からどんどん新しい成り手が入ってくる状況が維持できるなら、業界のホメオスタシスも揺るがない。
 
 福祉、というのは「他人思いな自分」「素晴らしいワタシ」といった夢を投げかけやすい業種だと思う。他人に尽くす自分、というヒロイズムや理想を仮託するにはうってつけの分野の一つだ。実際の福祉の現場を半年みれば、「寝言は寝てから言え」ということが分かろうものだが、現実よりも夢を見るのに忙しい人達*3にはあまり関係ないことなのだろう。そして、例えばケアマネージャーという職種は(実際上の発言力の小ささにも関わらず)いかにも遣り甲斐のありそうな、「あなたの能力を発揮出来そうな」職種にみえるので、夢を膨らませる力も大きそうにみえる。いや、確かにケアマネージャーは大いに遣り甲斐のある仕事だし、実際相当に高い能力が期待される職業なんだけれども、厳しい現実を踏まえた十分踏まえて用心深く入ってくる人が思ったよりも少なく、けっこう夢見心地のまま飛び込んできて1〜2年頑張った果てに夢破れる人もいるように見受けられる。福祉のなかでも複雑な連携や提携を業務とするケアマネージャーは、資格があるだけで生きていけない分野の最たるもので、夢や理想に向かって邁進するだけで何とかなるなんてことはあり得ない。よりしたたかで、現実的なプレイヤーでない限り、あの業種で長期間生き残るのは不可能と思われる。お客さん(学生)を夢で釣るのは幾らかやむを得ないにしても、福祉のgood imageがチョウチンアンコウの提灯の役割を果たしている部分に世の薄情を感じることは、ある。
 
 もちろん実際は、ある種のサブカル専門学校系などに比べれば福祉系大学などの人材育成→供給体系は現実的で堅実な人材育成が出来ているほうだと思う。少なくとも、某サブカル専門学校などと比べれば遥かにしっかりしている。入学以後は、各種実習も実地の厳しさから目を逸らさないカリキュラムが組まれていることが多く、単なる資格取得以上の経験を学生に与えようと取り組んでいる姿勢は頼もしい。しかし、大学受験の段階ではこうした厳しさよりも、むしろ甘言ばかりが学生に伝えてはいるような気がする。いったん入学してしまってからは幾らでも厳しい現状を提示するにしても、入学前段階において高校生や浪人生達に対してはどうだろうか。「風船みたいに膨らませて夢を売って」いないだろうか*4
 
 いやいや、「福祉系教育機関がとりわけあこぎな事をやっている」と表現するのは間違っているだろう。どこの業種もどこの学部も、今日日「夢を実サイズより膨らませて受験生(と親)に宣伝しない学校なんて存在しない」からだ。情報系の学部然り、国際なんとか学部然り、カタカナいっぱい学部然り。夢が売れるというけれど、買う側も買う側だし、皆がこぞって夢を買うのが今日日の流行らしいので福祉系教育機関だけが極端に夢を売っていると考えるのはやはり早計だろう。幾ら夢をばら撒こうとも、夢に対する需要がなければ誰も手にすることは無い。夢を売る人、夢を買う人。見極めながらサバイブしようとしている人、ひたすら夢に自分を擲つ人。福祉界隈だけでなく、幅広い分野で見受けられる夢売りリクルート現象は、夢を売る側の責任だけの問題ではなく、おそらく、夢を買う側の病理をも反映したものと捉えるのが適当と私は考える。複合的な作用の結果として、現在があるのだろう。
 
 ともあれ、今回取り上げたケアマネージャーは夢だけでは立ちいかない大変な業種であると同時に、現在の福祉シーンで重要な業種のひとつには間違いない。私見では、彼ら彼女らの牽引力に占める夢の割合は過剰に高すぎないことが望ましい、と思う。本来、沢山のプロフェッショナルが末永く働くことが望ましい立ち位置である以上、夢だの自己実現だの以外にも彼らを牽引するものがなければ立ちいかないんじゃないかな、と思う。
 

*1:しかし、例えば病院側は病院側で、病床数の問題などを抱えていて何でもケアマネージャーの言うとおりにというわけにはいかない。ここら辺はしばしば非対称なゲーム理論的様相を深めるわけだが、その際、カードの弱いケアマネージャーは相対的に苦戦を強いられているようにみえる。言葉の一つ一つに政治の魂が宿っているような恐るべきケアマネージャーなら何とかできるかもしれないが、現在の福祉系の学校で「言葉の一つ一つに権力の魂を込めましょう」などと教育されているとは到底思えず、事実そのような政治的辣腕を振るうケアマネージャーというのは見たことが無い

*2:長期的でマクロ視野に立てば、例えばケアマネージャーという職種においてベテランが育ちにくいということは大きな損失に違いないが、短期的でミクロな視野に立つ限りはやっぱりあまり困らないようにみえるだろう

*3:そして、そういう人こそが夢売り商人たちにとって最も良いお客様なのだ!

*4:まあ夢を売らないと、福祉なんて誰もやらないか