シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

時間管理がグダグダのオタクコミュニティにおける悩み

 
 世の中には時刻表の如く時間に几帳面な人から、とても時間にルーズな人もいる。また、特定の分野においては時間に厳密なのに、別の分野では時間にルーズな人もいる。さらに、自分の時間には几帳面だけれど他人の時間にはルーズな人もいる。几帳面な時間管理を望んでいる人にとって、ルーズな時間はしばしば大いなる苦痛と「非効率さ」「勿体無さ」を体感させるものだが、ルーズな時間のなかで過ごしている人達がその事に思いを馳せるのは難しい。
 
 先日遊びに行ったとあるオタグループは、グループ全体としてルーズな時間の流れるグループであり、個々のオタク個人のなかにも時間管理がルーズな成員を含んでいたりする。
 
 私個人は、外部のオフ会などではタイムスケジュールを割と気にしながら過ごすほうだし、またそうしなければ上京中に二つ以上のオフ会に参加することなど不可能に近い。だが、このオタグループとの会合にあたっては、郷に入りては郷に従えということで、予定通りに時間が進まない事・そもそも予定なるものが成立する余地が無い事を前提としてお付き合いすることにしている。以前、それが出来なかった頃はイライラすることもあったが、「タイムスケジュールは数時間単位でグダグダになるのが当たり前」「時間は、必ず遅延する」という前提でスケジューリングをしてしまうようになってからは、執着に苦しまずに済むようになった。
 
 しかし、今回のオフ会では、比較的最近このコミュニティに入ったと思われる女性オタクさんと遭遇することになった。彼女にとって、「正確に遅延するオフ」「イタリア人よりもゆっくり」という割り切りは未だ身に付ききっていないものらしく、当日も“他のスケジュールを中断して集合場所に行ったけれども二時間ぐらい集合場所で待つことになった→それじゃあスケジュールを中断した私はいったい何なんだ→二時間後に呼んでくれるか、次の場所で参加させてくれればよかったのに”という気持ちを抱いていると推測された。もちろん彼女にとって、この二時間のタイムラグは居心地の良いものではなかっただろう。この出来事について、少し考えてみる。
 

  • まず、集合場所がゲーセンであったこと・メンバーが(女性自身も含め)ゲーセンで遊ぶことが出来る面子であったことがスケジューリングを甘いものにしていた可能性は、あるだろう。ゲーオタがゲーセンを集合場所にする際には、「早く来た人はとりあえずゲームやってれば大丈夫」的な認識を抱きやすそうだ。ゲームやってりゃ早く来た人も退屈しないでしょ、待っててもゲームやってれば楽しいでしょ、という「空気」または「期待」。
  • そのうえ、“ゲーセンでゲームをして遊ぶ”という行為はそれぞれがてんでバラバラにゲームをするため、全員一律で時間を区切るのが難しい。誰か一人がゲームオーバーになる頃には別の誰かが他のゲームを開始するような連鎖が起こると、いつまで経ってもダラダラと続くことになる。何時にどこそこ集合とか、居酒屋の××を何時に予約してあるとかでない限り、非常に区切れがつきにくい。
  • しかし、実際にはオタク女性さんの側にフレキシビリティの高い動きを期待する向きはあった筈だ(少なくとも、私は件の女性がそのような期待を持っている、という事を察知した)。他にも似たような認識を持っていた人が混じっていた可能性も(私のみるところ)高そうでもあった。にも関わらず、他の成員がそれに気づかない、気づけないという事態をどうみるべきなのか*1
  • なお、「このルーズさ加減こそがゲーセンオタクコミュニティの“文化”なんです」という意見があるならば、それはそれで尊重されて然るべきだろう。その場合は、むしろ意図的に時間的ルーズさ加減が遵守されることになる。だが、今回のオフ会からは、意図的に“ルーズ文化”が守られているという雰囲気は感じられなかった。もっと天然に、なすがままに、どうしようもなく、そうなったという感じ。
  • 「ゲーセンでゲームをする」という目的でゲーセンに来ている時と、「人と会って話をしたり一緒に何かをやる」為の集合場所としてゲーセンに来ている時との在り方の区別が曖昧な所も着眼の価値がありそうだ。1.ゲーセンでゲームを個人が楽しむことを目的としている時の時間管理2.集団で話をすることを目的としている時の時間管理の使い分けが殆ど存在せず、集団でいる時も一人でゲーセンで遊んでいる時と同じ個人単位の時間管理に近い有り様を呈しているオタクさんがいる、という可能性について。この他者性の希薄さ・自分の時間と他人の時間の境界の曖昧さは、優れてオタク的な有り様であると認識する。

 
 では、女性オタクさん側は黙って我慢するしか無かったのか?オタク男子達と遊ぶ以上は諦めるしか無いのか?否。そんな事は無い。オタクコミュニティの成員の一人として、自分の意見を表明すれば良かったのである。正直に言って疎まれてしまうようなら、他のコミュニティに引っ越せば良いのである。世の中には、もっと時間的に几帳面なコミュニティなど幾らでも存在する。どうしても気に入らないというのなら、時間にルーズな人達と付き合うのをやめてしまって他のコミュニティに引っ越してしまえば良い。それで一件落着…と言いたいところだが、そうは問屋が卸さない。以下に示すような問題点が存在する為、女性オタクさんはおいそれと自分の感覚を表明出来なかったのではないかと私は推測している。
 

  • オタクコミュニティを諦めて他の趣味コミュニティを選択する、という外部能動性が高ければ引っ越してしまえば良かろうが、そういった選択肢がどこまで意識されているのかは定かではない。何より、オタク趣味をわざわざ諦めるというのは明らかに大きすぎるコストであり、オタク趣味愛好家としては容認し難い選択肢だろう。
  • まして、時間に関するグダグダさを上回るメリット(例えば居心地の良さや懐の深さなど)があって代え難いと感じているなら、グダグダさを忍んででもコミュニティへの帰属を優先させる、というのも頷ける話ではある。個々のコミュニティ成員を好いているならば、尚更である。
  • 地方都市レベルでは、ゲーセンオタクコミュニティが一カ所しか無く、代替のきかないことが少なくない。中核ゲーセンが半径数十kmのなかに一カ所しかない場合には、そのオタクコミュニティを抜けるという事がゲーセンのなかで村八分になる事に直結していることがある。もし、彼女が首都圏に住んでいたなら他のコミュニティに引っ越すことも容易かもしれない。だが、彼女が他のゲーセンオタクコミュニティに引っ越そうと思ったら、数十km離れた場所まで行かなければならない。人材も筐体も、地方ゲーセンでは非常に限られた代替の利かないものなのである。(参考:地方の中核ゲーセンが担うサロン機能――雛見沢化する地方ゲーセン風俗 - シロクマの屑籠)
  • 結びつきの強さという点では多面的かつ太いパイプでコミュニティ内のオタク達が結びついている。一方で、“村八分になるわけにいかない”“気を遣っていかなければならない”という微妙な緊張も観察されるのだ。地方のムラ社会のメンタリティが、そこには凝縮している。この特徴は、長所ともなり得るし短所ともなり得るところだろう。
  • そういえば、全員が揃うまで次の場所に移動しない・全員が揃ってゲームオーバーになるまで行動しない、という全会一致を前提とした行動原理もコミュニティ内に潜在していたかもしれない。これはオタク的云々以前に、すぐれてムラ社会的といえよう。
  • もし、彼女が都会のオタクだったとしたら、話は大きく変わっていたかもしれない、とも予測される。コミュニティを巡るインセンティブやメリットの算盤勘定にもっと選択の余地があったとしたら、さてどうなるか。

 
 地方のゲーセンオタクコミュニティに帰属しているが故に、彼女には他のオタクコミュニティという選択肢を選ぶ余地は殆ど存在しない。ムラ社会的しがらみに保護されつつも束縛される構造ゆえに、彼女もかなり気を遣わざるを得ぬまま、時間的グダグダ感に対する消化不良を隠し持っている、といった所だろうか。もし、彼女が都会のゲーセンオタクだったら、おそらくこんな悩みは持たなかっただろう(或いは他の悩み方になっていたか)。“ゲーセンという場”の傾向・そのオタクコミュニティ成員のメンタリティ・地方ムラ社会的束縛……どれが主因なのかは私には分からないが、とにかくこれらの要素が重なり合って女性オタクさんの悩みを形成している、と解釈する。難しいところだ。
 

*1:そして僅かながら、別の可能性もあるだろう。つまり全員が気付いていながら、時間のルーズさに困りながら、私も含めて全員が音頭を取らずに放置した、という可能性である!